コロナ感染6日目:勤務先にどうやって頼るか
昨日はひどい目に遭った。
自分のもつパラノイア気質の一種にこれだけふりまわされるなんて。
看護師にも相談すればよかったのかもしれないが、コロナウィルスのことには全く関係ないではないかと思うとこれは睡眠薬をもらってお終いということにもなりかねない訳である。
とにかく昨晩は当座の感情から目を背けるという不健康な方法、ほぼほぼ気合のようなやり方で乗り切ると眠れない夜を過ごした。
勤務先には連絡をしなければならない
朝起きると目と顔がパンパンになった状態でやつれ果てた顔が鏡に映っていた。仕方ないとばかりに今日こそは会社に電話をかけて現況と今後のことを上司と話さなければならない。
大体、いつくらいにホテル療養が終わりそうなのか、自分としてはどうしたいのか、などある程度決めてから会社に電話をしなければと思うが、思考回路が全く機能しない。
ひげそりを忘れてしまって髭がぼうぼうに生えている顔を鏡に映しながら、僕は途方に暮れてしまう。
仕方なく持ってきた社用携帯で上司に連絡を試みる。
「具合どう? まだ発熱あるの?」
「もう一昨日くらいから熱はさがって、もう普段通りになっていまして…」
話し出すとこちらが何か不都合があるのかと思われるくらいに妙な饒舌さで長々と話を始めてしまう始末。
「ああ、うん、わかった…一応、コロナの有休措置を会社で決めたから今週いっぱいは休んだらいいんじゃない?」
「ミーティングとか、会議とかはどうしましょう」
「そりゃ、休んでいるんだから出なくていいよ、コロナなんだから休んでいるという事実は(会社にとっても)大事だよ」
「そうですか」
「だって、コロナで療養してるのに会議に出たら、なにやってんの?って不審がられるよ」
その通りだ。
ここは上司には申し訳ないけれど、自分の仕事をやってもらうことにした。売上予定やら、何々の申請やらなにやら細々したことを押し付けた。
だって、ここにいてもできないから。会社のパソコンとつながってはいるけど、ミーティングからの意見を資料に反映させたり、いろいろとあるのだ。
もう、どうせみんなに迷惑をかけるのだ!と思った瞬間、一気に睡魔が襲ってきた。
会社への電話を切ってからしばらく寝てしまい、12時の昼食の時間までぐっすりと眠ってしまった。
意外とぐっすり眠れてしまうと昼食がとても美味かったのを思い出す。人間など現金なものだ。いくばくかの睡眠といくばくかの栄養で生命力を漲らせることができる。昼からは「相棒」を2話立てつづけて観てしまうと会社の資料をゆるゆると作成することにした。本当の意味での恢復期はここからだったのかもしれない。
もう、できないことはできないし、できないことは他人に頼んでしまおう。これしかない。カッコつけてもしかたないし、期限があるものなら出来る人にやってもらう方がいい。僕にはなんといっても10日間休む権利があるのだ。これは四の五の考えても仕方がないことだ。それで廻らないというならば会社がマズいのである。
回復していくということ
心持は少しだけラクになった。
少なくともこの療養期間は何もできない自分がいて、そのために同僚や上司に色々とお願いすることもある!と。だって今は何もできないし、「どこでもドア」もないし、そんなものがあったとしても出社停止措置には変わりはないのだから(笑)
たしかに来週のことが気になるけれど明日は明日の風が吹く、と思わないとやってられない。そう思えるということは回復に向かっている何よりの証拠でもある。
何よりも優先させなければならないことは自分が回復すること。
周りを思って自分自身を悶絶させることではない。あれこれ考えてみたところで変わらない。状況が変わらないのであれば、それはその状況に甘んじることしかできない。どこか宙ぶらりんながらもぼんやりと外のことを思ったりもできる。
それは回復している証拠。よほどのことがない限り死ぬことはない。それは2年前よりも進んだ新薬や行政の対応などの蓄積のおかげだ。
ヒトはあらゆることをリカバリーする。医療・行政対応・インフラ整備・各関連企業への連携。僕は今回の行政を対応を見て、あながち間違っていないと思うようになったかな。
“絶望”ニュースにしがみつくな!
毎日、行政の遅滞がニュースを賑わせるが、コロナに罹患してみて見えてくることも多い。それらは罹患しなければ知りえないことばかりだった。
僕たちは常に学んでいる。ディストピア思考はやめよう。僕たちが選択している民主主義を腐らせるのはそういう嘲笑的な視座(斜め切り?)と選挙権の放棄から始まる。
葉桜になりつつある桜の木を見ながらそう思う、今日このごろ。
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