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1⃣機能性ディスペプシア 痩せすぎで太れなかった私が回復中

こんにちは!ここちゃん と言います。
https://lit.link/cocochan7


 痩せすぎの悩みは深刻💦です。

なんとなんと!!
人生 2度も 160㎝ 体重(34㌔)
 骨と皮みたいに
に陥った経験があります。


この一年間で原因がわかり みるみる回復したその方法とは? 
これから少しずつ記事を書いていこうと思います。実体験に基づく記事が多いので参考になると思います。
太りたい方、これから結婚される方(妊娠の前に体調を整えておくこと)
お子様の不登校傾向の方、元気不足だなと感じる方、
これからアップしていきますので 関連記事を読んでみてください。

胃腸の不具合による摂食障害に人生で2回もなった経緯

1度目の摂食障害になったのは約30半ばでした


  この時の私は、結論から言うと全く知識がなくて病院に頼るしかなく、西洋医学で治しました。
47㌔の体重が、 食べても痩せると言う数年を過ごしていくうちに 胃もたれが時々するようになり、やせ細ってからは、急激に悪化し固形物を食べられなくなってしまい34㌔になって生理も止まり主治医と相談し入院治療をすることになり、 4ヶ月の入院で元気になりました。食不振症 不安神経症 と診断名がつきました。

今考えると色々原因はあるのですが 
下記に述べます。


  

拒食症の治療と同じ治療を受ける

丁度当時、宮沢りえさんが激痩せし拒食症で話題になっていた頃でした。 私は拒食症ではなく 胃腸の不具合が原因でしたが低体重の治療はそれしかありませんでした。
 当時は、機能性ディスペシアと言う名前は全く存在してませんでした。
「食不振症」と病名が付きました。病名に反感を覚えたのは、私、食べたくないのとは違うのに😢と思ったのです。
 治療は普通なら胃にチューブを入れて、栄養剤を流して太らせるのですが 私は胃に何かを入れるのは苦痛で (当時は水さえ胃がもたれた)
栄養剤の液体が胃に入ると思うと不安で
X線をしながら鼻から腸にチューブを入れて 栄養を直接に腸に入れて太らせる方法になりました。
(今思うとそっちのほうが怖い💦) 
その際に腸までチューブを入れるためにX線で見ながら挿入したのですが
飲み物が胃から腸に到達する通過時間が通常より遅いと診断されました。
レントゲンの結果も骨盤まで胃が下がっていたそうです。
 
昔は、胃下垂の手術があったのだそうですが、 
結果が芳しくなく、現在はしていないのだと説明された。

胃下垂自体は病気ではなく,機能が悪くなると症状が出るということは
現代であれば機能性ディスペプシアと言われる状態で
情報がたくさん出ています。良いお薬もあるようです。

栄養状態が悪化すると精神症状があらわれる

胃腸科に入院中、カウンセリングを受けに神経科に(当時、精神科とは言わずに)行くように言われました。→今は心療内科?
 
 かなり抵抗感がありましたが、
どうしても行くように主治医に言われ
仕方ないので月一度、入院中の外出許可で カウンセリングに通いました。
家族付き添いで 家族にも話がありました。 
 
 自分は胃腸の不具合なだけだからと…
先生には反抗的な態度で 今思うと申し訳無い話でした。 
精神的な薬は一切もらわずにいたし、
精神の病ではないので カウンセリングの必要性はない! と頑固に思っていたわけです。
 
 ある程度痩せてきてから
痩せることへの恐怖から精神が不安定になっていました。
ノイローゼのようになっていたのは間違いないのですが。
当時は自分が精神を病んでいるとは思わなかった。

 笑う事も出来ず、テレビも興味がなく、入院直前からは、死にたいと思った事もありました。
  これって うつ状態だったかもしれない!!
と今なら言えます。

うつ病に似た精神の状態が 
【副腎疲労、低血糖、甲状腺機能低下】 
から起こる事を今なら解明できるほど、私は知識を習得しています。

チューブの栄養と一日に二度点滴しました。
 ほとんど最初は食事がとれず
水さえ飲みたく無かったくらい胃腸に違和感があったのです。

便秘にはカマグと言う過酸化マグネシウム薬を飲んでいましたが、
他に薬は無かったです。
(胃薬は以前あったのが効かないので止めていた)
飲むタイプの高カロリーの栄養剤も1日2本 これは入院前にも出されていました。飲めたらいいのですが難しかったです。

栄養で太れたら酷い胃下垂も少し改善し、胃腸の状態が良くなると聞いていたけれど
 その通り4ヶ月経つと 体重は40キロになり食事もほとんど食べられるようになっていました。
40キロが退院の目安で 4か月もかかりました。
それ以後は徐々に44キロくらいまで太り、
50歳くらいまで普通に揚げ物やケーキなど 食べられて元気で体重を維持できました。
 

2度目の摂食障害になったのは50代後半でした

  • もともと花粉症でアレルギーがあったのですが2015年ごろから喘息みたいな症状が出た(詳しくはのちほど)同時期、慢性上咽頭炎になり後鼻漏になっていました。

  • 2020年より喘息のような症状が悪化して体力が消耗すると同時に そういう時には痰が喉にへばりつく感じになり飲み込みにくい という症状が時々現れるようになりました。昔は、鼻水が外にたらたら出るのが悩みだったのですが、それが喉に流れるようになって量が多いので器官に入ってむせることもありました。アレルギー専門の先生に相談すると、患者さんからよく聞く症状だとおっしゃったし、耳鼻科の検査は異常なかった。

  • 胃腸に関しては お腹が張り、たまに下痢気味になるようになりました。胃もたれはすくなかったです。(30代は胃もたれが酷かった)30代と違うのは、数年かけて徐々に痩せてしまったのは同じですが、前回とは違って食べられなくなったわけではなく、食べ物が飲み込みにくく、ご飯のつぶが散らばるとむせそうになった…。 59歳だった私は 耳鼻科の飲み込み検査を受けたが異常なかった。甲状腺機能低下かもしれないと思い 検査をしたが異常なかった。(数値に異常がなくても低下した状態だったことがのちにわかる)

  • 2021.9月 夏は調子よかったアレルギーも秋に悪化 頻繁にアレルギーの病院へ ネブライザー吸入や、点滴は少しは楽になっていたが 2021春から効かなくなっていた。予防薬に昔ながらの吸入薬と、飲み薬(オノン、気管支拡張剤 と抗アレルギー薬 )を処方で 調子悪い時は ネブライザー吸入しに行く。(ダメなら月一回の点滴) 発作時の治療薬を出された事は無い。それは先生の方針でした。強い薬で抑えてはいけないと。 一般的なマニュアル治療では無かったことは知っていたが のちに先生が亡くなられて 一般的な治療の病院にかかると吸入予防薬でネブライザー吸入の代わりもできて それだけで症状が安定する。月1回の病院で良くなった。シムビコートという吸入薬だ。現在はそれだけでコントロールできている。

  • 10月に藁をもつかむ思いで気になっていた治療院に行きました。メタトロンで原因がわかったものの すぐに良くならないのは当たり前でした。(副腎疲労、低血糖症、甲状腺機能低下) 副腎疲労による症状はすごくたくさんあって すべて当てはまっていました。

  • 2022.1月くらいにまた入院レベルまで痩せてしまいました。30代の時も冬で同時期に具合が悪化したのを記憶していることから、冬の冷えに関係しているのかも。喉にへばりついた痰が酷く食べ物が飲み込めないという状態になって激やせした。胃腸も不調になっていきました。

メタトロンから人生が変わった

●メタトロンは内海先生のうつみんの動画配信で知った機械で体の状態がわかるらしいと知り受けてみたかったのです。
結果は意外にも大きな問題はなく未病で 痩せる原因は糖代謝異常だったのです。低血糖症でその裏には副腎疲労があるようでした。副腎疲労って⁉️
本の題名を見た事がある程度でした。
なんと 本好きの私が見てもスルーしていた題名でした。
これから副腎疲労について話していきます。
別記事に追加していきまね。

●副腎疲労、低血糖症について勉強をしました。
 本を読んだり、有料のYouTubeを見たりして勉強した1年でした

それから治療院の先生の治療と YouTubeで出会った副腎疲労の整体の先生のご指導で 私がしてきたセルフケアにつては またゆっくり紹介しますね。
一部有料にしたわけは、副腎疲労以外にも言える本気で体を治したい方に読んで欲しいからと、
西洋医学で常識と言われている話とは違う内容もあるからです。 
指導して下さる先生の話も含まれており、本気な方しか読んでほしくないからです。
60歳専業主婦なので、私も貯金を崩して、たくさんお金を掛けて勉強しております。ご理解いただけますようにお願いいたします。


30代での激やせの原因で思い当たること


体の状態のこと

 2人目のお産が30歳でしたが、その後から、徐々に数年かけて痩せて行きました。その子が1歳半の時に転勤で主人の実家の近く(車で15分)の所に引越してから
水が変わったせいか?ストレスか?酷い便秘に。
 その子が幼稚園になった頃、たまにですが、胃がもたれるようになりました。47㌔あった体重がこの時に37㌔になってしまいました。この時に
病院で胃カメラを受けました。異常なしということで 5月頃、自動車学校に通い免許を取って 夏には幼稚園の送り迎えを車でするようになりました。(田舎は車が無いと生活できないので、車は一人に一台所有というのが当たり前でした。)
 胃もたれがひどくなったのは、その翌年のお正月過ぎてからでした。
クリスマス、正月はご馳走を食べるじゃないですか?(🍰や黒豆、きんとん、ぜんざいなど 甘い物がたくさんあるし)
普通に毎年恒例のケーキも食べクリスマスを過ごし 正月は実家でおせち料理を食べたりして 小食だっかもしれないし、食べたら横になりたいくらい胃もたれする日もあったかなと思います。その体に負担のある食べ物の連続のせいか胃がおかしくなって
固形物が食べられず、ミキサーにかけたりして食べました。
2月の始め、とうとう水さえ苦痛になって34㌔になって 生理も止まり そこで入院することになりました。レントゲンを撮り、胃が骨盤まで落ちていて胃下垂の酷い状態でした。

●2人目の子を妊娠の前に4か月で流産をして 3ヵ月後にすぐに妊娠したことも影響があったのか?元々万全とは言えない状態の妊娠で
お産で赤ちゃんに栄養を取られて十分に胃腸の働きができなくなったのでは?
●妊娠中に増えた体重が出産後は1週間で元の体重にもどった。(47㌔)妊娠中の栄養から不足していたのでは?

●徐々に産後から筋力が衰えて、胃が正常な位置に保てなくなって、胃が骨盤まで落ちてしまったのでは?
●糖質の多い食生活を長くしていたので低血糖症で糖代謝異常になっていたと思う。
●子供時代から甘いお菓子を食べて育った。
●中学時代のテニス部以外の運動はしていない。(運動不足)
●少しだけ早く生まれ、未熟児で生まれた。保育器に入らずにすむくらいだったと聞いている。
●赤ちゃんの時から便秘だったらしい。生まれる前からの引き継いだ体質もあったと思う。

●中学のころ部活で座って立つときに、立ちくらみがしていた。(低血糖症だったと思う)
●子供のころから虫歯ができやすいのも関係あるとわかった。

ストレスとして


主人がお金にルーズだった
結婚後ストレスが絶えなかった。(嘘を平気でつく)その件で喧嘩が絶えなかった。
主人は長い年月経ち 変わってくれました。人は変わることもあります。
このことについて また記事にすることがあったらいいなと思います。

主人の実家から車で1分の場所に引っ越し
2人目の子供が1歳半の時
に主人の実家から車で1分の場所に引っ越して来た。実家に週一通う生活(この年1人目の子供が小学校に入学)
なぜか引っ越してから酷い便秘になった。ご近所のお付き合いがあり嫁として気を使った。 当時は、田舎なので葬式にはお弁当を作ったりして 一日がかりで手伝うなど。義母が足が悪く、代わりに手伝った。(現在は会館でお葬式になって手伝いはしていない)
義母が4か月入院
下の子が2歳~3歳 
足の悪い義母が4か月入院して膝の人口関節の手術をし、義父の世話と病院のお見舞いとで この時に42㌔になっていた。痩せたねって言われ始めた。
自動車学校に
下の子が幼稚園の頃
いくら食べても食べても痩せる 37㌔になった。痩せたので 自動車学校に通いたいが心配で 病院で胃カメラをするが異常なしで、予定していた自動車学校に5月から8月の時期に通って 精神的にも肉体的にもエネルギーを使った。
●痩せていくストレス
精神的にまいっていった。

間違った健康法や食生活のこと

●刺激性のある下剤をつかっていた。
下の子が1歳半のころ
引っ越してから、酷い便秘になっていたが、水を飲む量が足りなかったのだと思う。漢方便秘薬を飲んだり、カンチョウで出すことでしのいでいた。
刺激性の強い下剤で腸が悪化したと思う。
(刺激の少ない酸化マグネシウムは知らなかった。)
お肉の脂や焼く時のオイルを控える油抜きをした
主人の実家のお付き合いの奥さんから頂いた本に 健康本があり当時有名な鈴木その子先生の本で お肉の油抜きの作り方を真似して 肉じゃがの肉も一度茹でこぼしたり テフロン加工で油を控えた料理がはやったりもあって 肉の脂も 料理の油もなるべく控えた。
質の悪い油をとっていた。
中学時代、植物性のマーガリンが流行っていたのでパンに大量に塗っていた。
サラダ油を母が使っていた。私も結婚してサラダ油を使用し、揚げ物が好きだった。
子供時代から甘いお菓子が好きだったが質の悪い油が使用されている
結婚前に、娘時代はよくお風呂上りにアイスを食べていた。
妊娠中、チョコレートや菓子パンもクリームたっぷりの物を食べていた。
●玄米も食べてみたりした
玄米は胃腸の弱い人には負担である。

水をあまり飲んでいなかった



50代の激やせの原因で思い当たること

ストレスとして


●40歳から50歳の間パートで働いた
時給に満たない生産量だと儲からないので毎日何枚縫ったかを計算し、提出する。厳しい世界だった。
人間関係が良好で楽しく、縫製の仕事が大好きで頑張れたのだと思う。
 
休憩はお昼の30分だけ。9時から15時くらいまでトイレ以外ミシン踏みという座りっぱなしのことも多かった。

 縫製の仕事は海外に委託したほうが安くできるので 日本の縫製工場は多くはつぶれてしまったのだが、
個人経営のパート先は残っていたが 厳しい状況なので💦
時給に見合う働き具合かを社長が把握する為 
1日に何枚縫えたか記載して提出する。 不良が出た時のために
番号と枚数 を書く。
私は、損をさせないようにと 1枚でも多く縫うために頑張ってました
(^▽^)/
5ところが、50歳の時、仕事の繰り返し作業で起こる、頚肩腕症候群で 仕事が出来なくなり仕事を辞めました。
整骨院へ通い日常生活には支障がないくらいには回復しました。
高齢の義母のお世話をする
仕事を辞めて間もないころ、義父が入院後亡くなり 車で15分の家に住む高齢の義母のお世話をすることになり1年半、ほとんど毎日夕食を作り、一緒に食べてから帰っていた。

息子がうつ病で帰省する
義母のお世話をしていたある日、当時26歳息子は少しブラックな企業に勤めていた。上司からの突然の電話で
息子がうつ状態になったようで 様子がおかしいという事で
遠くに住んでいたので取りあえず、高速で主人が迎えに行く。
どうやって治すのかインターネットで検索して 母親としては心配したが
治った今では元気に働いている。
収入が減った
息子が帰省したころ、同時期に、主人の仕事の部署が変わり収入が一時的に減、自分も仕事を辞めていて収入が減っていたし、 精神的にストレスだった。収入が途絶えた息子にも車代や家賃や、健康保険など支払いがあり、 また、病院代など 立て替えたりでどんどん出費がかさんだ。
鬱を治す為に 犬を飼ったりカイロプラクティックに行かせた。

犬を飼い始め睡眠不足になった
子育てみたいなので おしっこの躾は大変で 
あちこちにされるお漏らし 洗い物も大変。寝かせつけも大変だった。別室で寝ようとすると夜泣きされて睡眠不足になった。
顔面神経麻痺になり入院後、無理しないように犬と同室で寝ることになった。

体の状態のこと


動悸がすることがあった
50歳になる前に動悸がしたり不整脈が出るので病院へ行くが異常がなかった。更年期かなと思ったが今思うとあれも低血糖だったのだろう。
関節痛が次々におこるようになった
10年前の50歳で仕事の繰り返し作業で肩甲骨周辺の痛み(頸肩腕症候群)で仕事ができなくなり辞めた。箸も使えないくらいだった。
整骨院へ通って落ち着いたと思ったら
その後、長時間座っていた後に急激に立っただけで 膝の捻挫をし、1年半治るのにかかった。
膝の次は 五十肩になった。 
2019年に引っ越してから足がつって股関節を痛めた。
2022年から孫の抱っこで腰が痛くなった
(これらの関節の問題は、今思うと低血糖症で脂肪や筋肉が溶かされエネルギーになる異化作用で筋肉も細く弱くなり負担もかかってしまうのだろう。 水不足の影響もあるのだと思う。)
●後鼻漏になった
 
2014年夏 犬を飼い始めた頃、抜け毛の時期にアレルギーが悪化した。後鼻漏と喘息のような軽い症状だった。最初は咳が出て治らず息苦しい感じで病院に行った。
喘息と診断された。
のちに検査したが犬はアレルゲンではなかった。不思議だった。
埃や犬の毛に化学物質が付着すると考えられる。
副腎疲労(低血糖の症状)はアレルギーが悪化する。

歯の治療が不完全。 奥歯が虫歯になり、根っこが割れていて治療不可能で、インプラント進められたが すぐにではなく2年後にと言われていたので放置していた。虫歯菌が及ぼす健康被害もあります。食いしばり癖があるので 歯の根っこが折れやすい。
子供時代から虫歯の治療済みの歯が虫歯になって
再治療して その後に根っこが折れるパターン。
白砂糖のお菓子の間食が1日2回 砂糖や脂質の入ったお菓子を食べていた。カフェ巡りでケーキを食べることもよくあった。
(副腎疲労の症状である血糖値スパイクの原因があった)
腸内環境悪化
50代になり、おなかが緩くなることがたまにあった。
(副腎疲労は腸内環境悪化の症状もある)
引っ越しの無理と冷えと水不足
2,019年秋に引っ越し後、片付けや家具の移動など 無理をしたのと、フローリングの底冷え、水も飲まず熱中。股関節をいためて、しばらくして前と違う側が50肩になった。
アレルギー悪化
◎マスク作りで埃を吸っていた。 
 2020年コロナのきっかけでマスク作りをして ガーゼの埃にやられてぜん そくっぽくなって ネブライザー吸入に度々医者へ行くように。それでも治らず月1回点滴になった。 
◎柔軟剤を使用した洗濯物の部屋干し、それをアイロンかけることで蒸気で拡散されたものを吸う。
◎中古住宅がリホーム済みで 購入後、納屋にシロアリ駆除をやっている作    業中に遭遇したことがある。入居後に納屋を拭かずにそのまま使っている。
◎8月に新車を購入 新車の化学物質にも反応したのかもしれない。
飲み込みにくい症状が現れる
更に2021年9月末に、喘息のような症状と、動悸がする 飲み込みにくく、痩せてきて 太ろうとカロリーの高い飲み物、プロテインも胃に負担なのか逆流してきたことがあった。胃腸の調子も悪くなっていた。
病院を変えた
2021年12月 喘息のアレルギー専門医師が亡くなったので 町医者に病院を変えて薬が変わった。
予防薬のオノンと抗アレルギー薬の飲み薬はなくなった。吸入予防薬1本でコントロール出来、点滴もせずにすみ、月1回の病院通いに戻れた。古い療法の病院から最新の治療に変わったということ。これがきっかけで喘息のような症状は落ち着いた。1日2回の予防吸入薬だけですむようになった。
アレルギー専門医の先生は、強い薬は使わない方針だったので選んだのだが
現在の、アニュアルでは大人にネブライザー吸入をしている病院は殆どないことを思い知った。 
現在は予防薬を代わりに間で吸入できるので(最大回数が設定してありその範囲なら間で吸える)
ネブライザー吸入は吸入薬の使えない子供だけやっているようだ。
柔軟剤をやめました化学物質過敏症
それから柔軟剤などの匂いに敏感になる。隣の洗濯物が臭くて迷惑と思うことや ドラックストアは臭くて入るのが苦痛になった。
化学物質過敏症の初期だと思った。

間違った健康法や食生活のこと

水を飲まずお茶とコーヒーで水分を摂っていた
40歳から50歳 仕事の合間にお茶、コーヒーのみで10年間仕事時間を過ごしていた

人参ジュース健康法
50代前半ころ 犬を飼い始めた頃 2015年夏
人参ジュースが癌にも効くという本を見て、人参リンゴジュースを
毎朝飲んだ。→メタトロンでりんごは合わないと2022年わかった。
体質的に合わない場合があると本にも書いてあった。
(ほかにも理由があって先生の有料の話はお約束なのでここに書けない。)

胃腸のために毎日毎食のように食べていた野菜
メタトロンで合わない食品と出ていた。
(理由は有料記事にデータを貼り付け、詳しく書いたので気になる方は読んでみて。絶対に為になります)

毎日の2回のコーヒータイム
甘い物とコーヒーが無い生活は考えられないくらい出先でも娘とカフェを楽しむ日々だった。お土産にもケーキをよく娘が買ってきたり自宅でも食べていた。質の悪い糖質と油を摂っていた。副腎疲労には珈琲は注意が必要。

朝はパン食が多かった。(メタトロンで小麦が合わないとわかった)
朝食に力を入れていなかった。

メガビタミンの本
たんぱく質が足りないのでプロテインが必要と聞いて
プロテインを飲んだりビタミンBとCのサプリを飲んだ。
消化力の落ちた体にはプロテインが負担。お腹が張るし下痢をしたり
胃腸がますます悪くなった。
小豆健康法の本
小豆を茹でて食べる健康法があるので試した。
胃に負担だったので続かなかった。
もともとぜんざいや餡子が好きでよく食べていたが 
近年はなぜか食べた後調子悪くなっていたので良くないと体感していた。
豆は腸の弱い体質には向いていません。豆乳も甘い物を飲んでいた。
豆製品は発酵したもの以外 腸の弱い人には負担。

白湯健康法の本を読んで 白湯がいいと思って水をほとんど摂ってなかった。
●砂糖の入った飲み物や食べ物を摂った
異常に痩せてきてから特に、太ろうとして間食に200カロリー以上ある物を選びアイスクリームを食べたり、栄養補助ドリンクを摂った。
逆に悪化した。

続きになります
回復記録です



ameba
ブログも書いているのでよろしくお願いいたします。


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