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『宝飾時計』鳥栖公演千穐楽を見て絶望した

前置き

これまで何本か、演劇の感想をnoteに書いてきた。

演劇に限ったことではないが、こういった感想noteはその日の夜のうちに書き上げてそのまま公開するか、一晩寝かせて翌日の午前中にアップすることがほとんどである。
逆に言えば、翌日の午後まで執筆の時間が取れなかったり、感想がうまくまとまらなかったりすると、どうしても熱量が落ちてしまい、長文の感想noteは書き残さないことが多い。

2月12日日曜日。
私は現住地の広島からはるばる佐賀県鳥栖市まで、舞台『宝飾時計』を見に足を運んだ。
このnoteを書いている今は、2月19日日曜日の夜。
観劇後に自分の中に生まれた感情を言語化するのに、かなり時間がかかってしまった

現時点で観劇から1週間も経っており、普段だったらnoteに感想を書くのは諦めていると思う。
それでも、「この作品の感想は残しておかないと」という強い思いが私を突き動かし、このnoteを執筆するに至っている。

『青春の続き』の歌詞と作中のセリフについて

本作品では、クライマックスで松谷ゆりか役の高畑充希さんが、テーマ曲の『青春の続き』を歌うシーンがある。
私はこの高畑さんの歌唱を聴いて、ただただひたすらに泣いてしまった
歌唱力の高さはもちろんのこと、ミュージカルで培われた歌詞に感情を載せるうまさ、音源とはまた違った表現となる声を張り上げるかたちでの歌唱など、「歌に感情を突き動かされるとは、こういうことなんだな……」と、ひしひしと感じた。
そして観劇後数日間は、「青春の続き」を聴くと、観劇中に感じたいろいろな感情がこみ上げてきて、誇張抜きで涙が止まらなくなった。

椎名林檎のファンクラブ林檎班の班員である程度には、椎名林檎のことが好きなので、この曲も舞台を見る前から何度も聴いていた。
特に、

「己自身のだめ生きるだけって
もうしんどいの
期待も落胆も知れている」

青春の続き 歌詞

という歌詞は、観劇前からかなり心に刺さっていた。
ただ観劇前は「自分自身に期待なんかもうできないよなー」と、なんとなく感じていたのだが、観劇後はこのフレーズについてさらにいろいろと思考を巡らせるようになった。

自分じゃないもののために生きられるのって幸せなんじゃないの?

『宝飾時計』台本より ゆりかのセリフ

この年になるとさ、自分のためだけに生きるより、誰かのために生きる方が希望を持って毎日を過ごせるもんだよね。一人で仕事続けて、戦い続けるのってすごい孤独だもん。

『宝飾時計』台本より 真理恵のセリフ

劇中でゆりかと、小池栄子さん演じる板橋真理恵は、上記のような発言をしている。
最愛の人・勇大のことだけを思い続けて役者の仕事を続けてきたゆりか、IT社長と結婚して絵に描いたような幸せな生活を送っている真理恵。
二人とも境遇は違えど、「誰かのために生きたい」と思っているところは共通している。

私は上記の真理恵の言葉を聞いて、観劇中初めて涙を流した。
なぜあのタイミングで初めて涙がこぼれたのか、この1週間ずっと考え続けてきた。

「己自身のだめ生きるだけって
もうしんどいの
期待も落胆も知れている」

青春の続き 歌詞

確かにそうだ。そう思う。
だけど私には、「この人のために生きたい」と思えるような人が、今いるわけでも、過去にたわけでもない

自分には期待ができない。
期待していないから、落胆すらしない。
でも期待をかけられる「他者」がいるわけでもない。
結局は、期待のない自分のために生きるしかない。

そんな自分に空虚さを感じてしまい、涙が止まらなくなってしまったのではないかというのが、1週間かけて出した結論である。

勇大(大小路祐太郎)という男

ゆりかの愛する勇大という男は、とても難儀な人間である。

どうやって自分のことを話したらいいのか、自分でもよくわからないんだ。

『宝飾時計』台本より 勇大のセリフ

心を閉ざすことが癖になりすぎてしまって、うまく開くことができなんだ・・ごめん

『宝飾時計』台本より 勇大のセリフ

ゆりかのことを思うあまり、自分の言動でゆりかのことを傷つけてしまうことを極度に恐れるあまり、勇大はゆりかの前に別人として現れたり、ゆりかの前から姿を消したりする。
ここまで難儀な人間は、さすがに現実世界にはあまりいないと思う。
しかし、

大小路は、思考が複雑過ぎて自分でもそれについていけてない人物。周りにとっても掴みどころがなく描かれていますが、どの人間の中にも大小路はいると思います。

『宝飾時計』パンフレットより 作・演出 根本宗子さんのコメント

とネモシューさんがおっしゃっているように、どの人間の中にも大小路はいるのだと思う。

観劇の少し前に、TLにこんなバズツイートが流れていて、かなりウッ……となってしまうという経験をした。
このツイートには賛否両論ついているので、必ずしもこれが絶対の正論というわけではないと思う。

ただ、昔から人との会話がかなり苦手で、会話の流れにうまく入れずだんまりを決め込み、場の空気を悪くする経験をアホほどしてきた身としては、「失礼」という言葉にかなりダメージを喰らってしまった。

私も勇大と同じように、昔から他者に心を開くのがかなり苦手だった。

「知人」レベルの付き合いならなんとかなるのだが、「友だち」を作るのはかなり苦労した。
中高一貫校に6年通って、休日に「友だち」と遊びに出かけるという経験は本当に片手で数えるほどしかできなかった。

コロナ禍で社会人になり、「卒業旅行に行けなくて、卒業式も出られなくて残念だったね」と、会社の人に言われた。
でも、コロナがなくても、卒業旅行に行く予定はなかった。
私と卒業旅行に行く人はいなかった。
卒業式が飛んでも、なんの感情も抱かなかった。

(ただ一応補足しておくと、中高大と「知人」レベルの付き合いは問題なくできていたので、いじめられてつらかったみたいな記憶は別に一切ない。)

対人コミュニケーション能力が低い自分のことが嫌いで、もう自分に期待もしていない。
期待していないから、自分に落胆する気持ちも年々薄くなってきた。
でも、他者に心を開くことも苦手だから、人と仲良くなれない。
人と仲良くなれないから、自分以上に大事だと思える他者に出会うこともない。

「自分のため」だけに生きるもしんどいし、「誰かのため」に生きることもできない。
え、じゃあ私どうすればいいの?????死ねばいいの?????????

そして「絶望」に至る

そんなことをずっと考えていたせいで、この1週間私の精神状態はかーーなり落ち込んでいたと思う。

一応念のため宣言しておくが、「死ねばいいの????」と「絶望」はしてしまったものの、実際に自殺したいといった願望は一切ない。
これからも舞台を見て、お笑いを見て、ラジオを聴いて、音楽を聴いて、アニメを見て、映画を見て、落語を聞いて、本を読んで……と、好きなエンタメを摂取しながら、なんとか自分で自分のご機嫌を取って生きていくのだと思う。

『宝飾時計』を見て、見たくなかった、知りたくなかった、自分の奥底に眠っていた感情が引きずり出された。

LiSA 私、傷付くのが嫌いじゃなくて、むしろ自分の感情が動くことが好きなんです。ムカつくことも、悲しいことも、大変なことも嫌いじゃないんです。ちょっとマゾなのかも。むしろ感情が動かなくなることのほうが怖くて、わざと絶望するような映画を観たり、傷付くような場所に飛び込んでみたり。そういう場所をなくさないようにしたくて。そこで気付いたことをノートに全部書いておく。言葉にならなくても吐き出しておくようにしてるんです。

a flood of circle佐々木亮介×LiSA|ロックに魅せられ、我が道を突き進む2人の相思相愛対談

ちょうど先日LiSAさんが、佐々木亮介さんとの対談で上記のようなことをおっしゃっていて、すごく共感した覚えがある。

エンタメ鑑賞をきっかけに、自分の中の負の感情が表にドバドバと出てしまったのは、ダウ90000の「ワンピース」を見て以来なのだが、こういう負の感情がドバっと放出する機会というのは、すごく貴重なものだと個人的にはとらえている。

これから私は「何のため」に生きていけばいいのか。
その答えはまだ見つかっていないけれども、その答えを見つけるために、これからも人生を全うしていきたいと思った。

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