『彼が愛したケーキ職人』と今

映画の話。そして私は生きるよ、という話。

ベルリンのカフェでお菓子を作るトーマスには、オーレンというイスラエル人の恋人がいる。エルサレムから時折出張でドイツに来るオーレンには妻子がいて、時々トーマスにも家族の話を聞かせる。ある時オーレンからの連絡が途絶え、不安に思ったトーマスは彼の仕事先にてオーレンが事故で亡くなったことを聞く。急な喪失に茫然とするトーマスは、エルサレムに暮らすオーレンの妻アナトが営むカフェを訪ね、オーレンとの関係を伏せながらも、自分が愛した人の妻と一緒にカフェで働き始める。

物語の冒頭はかなり唐突に思えた。お客さんだったオーレンと愛しあう描写は開始から10分足らずで、しかしあっという間に彼は死に、トーマスは彼の姿を追うようにエルサレムで暮らし始める。丁寧に描くことを省いたように感じたが、その後程なく私の中で何かが急に腑に落ちる。

出来事とはいつもいつも自分の知り得る世界で起きるわけではないのだ。文脈としては唐突に感じられるが、実際問題良し悪し関係なく様々なことが、私たちにはどうにも手繰ることのできないところで生まれてしまう。願おうとも嫌がろうともどうしようもないこともある。妻子のある人と恋に落ちてしまうことも、心が先に走って思わぬ行動力を発揮してしまうことも、交通事故で命を落としてしまうことも、全て意図して起きたわけではない。それらは理性や道徳で当てはめようのない「事実」だから、唐突さと無縁でいることはできない。肯定も否定もない、だってもう彼はいないのだから。悲しくても、それが生きていることなんだと思う。私は勝手に思う。

コロナが猛威を振るい、今や世界の感染者数は100万人を超えた。少し前まで呑気に春を待っていた私の足も、数駅隣の会社への道しか歩けない。自粛のご時世だから、という建前のような口ぶりも出来なくなり、ただただ恐ろしくて何度もうがいをする。自分が死ぬことよりも他人が死ぬことの方が怖い。今いる人が明日いないというのがとても怖い。意図なんてないのに誰かを殺してしまうかもしれなくて怖い。マスクも手洗いも消毒液も全て意味のないことに思える、だって人は簡単に死んでしまうから。

嘆いたり怒ったりしている場合じゃない、第三者のつもりでいたら私たちはいつまでもここから出られなくなる。やらなくちゃいけないこと、それはよく食べてよく眠り心の免疫を保つこと。私たちは全員この先も幸せに生きてゆく権利がある、だから未来の私たちの心を守るために豊かさまで殺してはいけない。

私は今日7時間半の睡眠をとり、1週間分の食材を買い込み、家で犯罪心理学の授業を受けた。親友と3時間の電話をしながら根菜と鶏肉をコトコト煮込み、白い泡の浮かぶ湯船の中で安野モヨコの漫画を読んだ。温めた白ワインの中にはちみつとレモンと生姜をいれて、映画を観ながら飲んだ。これが私の「Stay Home」だ。充分幸せだ、いつになく私は安心した1日を送っている。長い戦いになるだろう、その間の私の心の均衡は保証できない。けれどなにが大事かはわかっている、そしてきっといつかは終わる。終わるから、その日まで私は私を保っていく。意図せぬ何かが起きた時、少しでも早く相容れぬ気持ちを馴らせるように、保つことに徹するのだ。


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