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感覚、その輪郭をなぞった言葉

雑誌『FUDGE』の中で、
最果タヒさんが “「好き」の因数分解”という
連載をされていて、
彼女の紡ぐ言葉もなのだけれど
この「好きの因数分解」という名前が
あまりにも腹落ちするものだから、
私も時々自分の"好き"を因数分解している。

先日投稿したnoteの通り
東京事変のライブビューイングに参加した私、
以来これまでにも増して
事変の音楽にどっぶり浸かっている。
「どこが好きなの」と聞かれても
そんなのとてもじゃないけど伝えきれないよ、
といつも思っていたのだけれど、
十分か否かは置いておいて、
書こうと思えば
文章にできないことはないのだと思った。
想定以上に
脳は「好き」を言葉で記憶しているみたい。

とはいえ、全身が粟立つ感覚とか
胸の奥をギュッと掴まれるあの一瞬だとか
コンマ1秒の間に瞼に迫りくる涙とか
そういう身体の中に起こる反射のような感覚を
相手の中に再現することが私にはまだ難しい。
でもそれをやってのける人がいる、
その人の言葉で
一気に惹きつけられてしまうことがある。
すごいことだと思う。

探求心。
探求心を欠かさずに、
余すことなく好きを語っていけるよう
鍛錬していく所存であります。


朝吹真理子さんの『抽斗のなかの海』
というエッセイを最近毎晩読んでいる。
黄色と青が半分の、
見たそのままの色に私が染まる。
読み手を浸食するタイプの本ではなく、
ひとことひとことに、
こちらの心が溶けていくよう。

目にしたこともほとんどないのに、
薄く削れた白雲母の
粒の擦れあう音が聞こえてくる。
将棋会館の座布団の薄っすら湿った温もりが、
図鑑の並ぶ本棚のスライド式の戸の固さが、
私の両肘の間で開かれた本の中から
とても静かに浮かび上がる。
毎晩23:30ごろ、
朝吹さんの感性が私の身体の内に届く。
不思議、本当に不思議。
誰かの感じたことを、私が再体験している。

最果タヒさんの詩は、
世界を綺麗なものにも
穢れたものにもしないから好きだ。
受け取ったままの姿でそこにあるから好きだ。

「春の匂い」という詩の後半部分。
(『夜空はいつでも最高密度の青色だ』)
支えるでも助けるでも煽るでもなく、
この詩がいつも私の隣にただ立っている。
与えようとされると私は身構えてしまうので、
ただ一緒にいてくれるこの詩が嬉しい。


秋の始まり、その温度。
感受性の器、似合う言葉を探している。

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