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縫い針の進む先に野望を重ねて

「Next in Fashion」というサバイバル番組が大好きで、2シーズンをあっという間に駆け抜けた。世界中から集められた新進気鋭のデザイナーたちが与えられるテーマに沿ってバトルを繰り広げてゆく内容で、夢の実現をかけた誰にとっても負けられない戦いである。また、挑戦者であるデザイナー同士は当然ライバルになるが、互いへのリスペクトと友情が作業場に満ち満ちており、観ていてとても気持ちがいい。
なんといってもそれぞれの個性とアイデアに溢れた美しいファッションが素晴らしく、カラフルな画面にひたすらに心が躍る。次のシーズンが制作されることをとにかく祈っている。ほんとうに、私に喜びをくれてありがとう。

私にとって針やミシンはできるだけ触れたくないものだったし、図工・美術の授業のたびに苦痛を感じた。何かをデザインしたり形にすることに、強い苦手意識を持っている。自分のセンスを信じられないし、思い描いたアウトプットを実現できた経験が少ない。上手にできないことはやっぱりしたくない。だから可能な限り、遠ざけるようにして生きてきた。

そんな私でも、ミシンのペダルを踏みたくなってしまうのである。デザイン画を描くべくスケッチブックを探したくなるのである。

そのくらい、デザイナーたちの放つ強烈な熱にあてられてしまった。"作品への投影"なんて言葉では生温い。挑戦者たち自身が持つなにもかもが作品へ注がれてゆくのがわかる。クリエイティヴの持つ美しさは、人の心を動かすストーリー性が作り手自身にあるかどうかがキーなのかもしれない。

とはいえ、テレビを消した私が次に針を持つかというとそういうことではない。でも、絶対何かやりたい。「自己表現を通して誰かの心を揺さぶりたい」と心は跳ねた。ここからポジティブな手段探索が始まる。音楽が好きだ、言葉を綴るのが好きだ、声を届けるのが好きだ。少なくともそこまではわかっている。まだないか、"私のクリエイティヴ"を表現できる手がまだほかにあるのではないか。欲張りかもしれないが、余すことなく試したいのだ。

(自分がいかに、可能性というものを信じているかがよくわかる。「やったことがない」とはアドバンテージだと思っている。だってそれって、のびしろだから。)

生地を走る鋏に、トルソーに着せられたスパンコールのスカートに、そしてそこに添えられたデザイナーたちの手に、何度でもどきどきした。なにを見せてくれるの、どんな新しさを生むの。同じときめきを、私も誰かに与えることができるだろうか。壮大な何かじゃなくて、全然構わない。ひらめきに野望を這わせてチャレンジを続ける自分でいたいと、結局私は願ってしまう。Next in Fashionで奮闘したデザイナーたちのきらきらした表情が脳裏に残る。この記憶は、これから私のお守りになるのかもしれない。

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