どうしても頑張れないときの過ごし方
山崎ナオコーラさんの園芸エッセイ『ベランダ園芸で考えたこと』を読みました。そのなかに、好きな話があるのでご紹介させてください。
東日本大震災後の春のこと、山崎さんは「植物どころではない」気がして、鉢植えに水遣りもせず、ベランダから玄関に引き上げていたことがあったそうです。
放りっぱなしになっていた鉢植えは、全部葉が落ちて、枝しか残っておらず、見るも無惨な状態になっていたそうです。
それから2か月ほどして、山崎さんはふと思い立って鉢植えをベランダに戻してみました。
すると、枯れたと思っていたオリーブの木の枝から、緑の葉が吹きだし、つるばらにいたっては、薄ピンクの花まで咲かせたことに驚きます。
そして、悪環境をものともしない植物たちのたくましい生きっぷりに感銘を受けた山崎さんは気づきます。
「じっとしているだけでいい」「死なない、というだけで十分」というと、非常に後ろ向きな考え方に思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、人生には頑張ってもどうにもならないときがあります。
その「どうにもならない現実」を生き延びるために「死なない、というだけで十分」と考えるのは、実は前向きな一歩のように私は思います。
今が最悪の日でも、命さえあれば明日がやってきます。今できないことも、生き延びてさえいれば、できるようになるかもしれません。
どうにもならない日は、自分のなかにあるダメなことや、できていないこと、どうにもできない自分や現実を全部許して、春を待つ桜のようにただただ生きる。それは悪くない生き方のように思うのです。
山崎さんはどうしても作品が発表できなかった時期は「ベランダのテーブルか、あるいは仕事場の机の前に座って、ぼんやりと外や植物を眺めていた」そうです。
やがて山崎さんは作品の発表を再開させ、本書をはじめとした著作を発表.。2016年には自身5度目の芥川賞候補作となる『美しい距離』を発表しています。私自身、この話を読んで「そうか、死なない、というだけで十分なのか」と気持ちが楽になりました。
生きていると人生のあまりのつらさに、もう消えてしまいたいと思ってしまうこともあります。そう思ってしまう日は、山崎さんのベランダにあった植物たちのことを思い出してみませんか。
そして、今日一日だけ、それが難しければもう数時間だけ、生きることを頑張ってみる。そしてそれができれば、もう一日。「自分は死なないだけで、いいんだ」と考えてなんとか生き続けてみる。
いまが大変なときでも、生きてさえいればいつか笑える日が必ずやってきます。そして花が咲くときもやってきます。あしたに向かって生きるということは可能性そのもの。それを忘れずに生きることを、山崎さんのエッセイは私に教えてくれました。
園芸エッセイというと、園芸好きな一部の人向けの本と思われるかもしれません。しかし、そんな偏見なしに本書を読んでいただくと、じわーっと心に響いてくる一冊です。
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