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文芸編集者に必要なたった1つの条件/編集者の言葉#15

雑誌「文藝」のリニューアルが大成功して以来、各文芸雑誌が新しい試みをするのをよく見かけるようになりました。「純文学の鬼」と呼ばれた大久保房雄さんが編集長を務めた「群像」もデザインを大きく一新し、新しい試みに挑戦をはじめています。ちょっと長いですが各雑誌を紹介しますね。

さて、下記は大久保さんが書いた「文壇について」と題した文章の中の一節です。

「編集者はたとい新しい文学を知らなくても、文学の新しさをわからないとどうにもならない。」

『文芸編集者はかく考える』

私は文芸作品の編集は数冊しかやったことがありませんが、心にズシンと響きました。

大久保さんは文芸雑誌の編集者という仕事について、「文壇人ではないが、文壇に新しいものを紹介するのを一つの役目としている」と述べています。だからこそ「編集者はたとい新しい文学を知らなくても、文学の新しさがわからないとどうにもならない」わけですが、これがなかなか難しいです。

作家の名前さえ新しければいいというわけにはいかない。新しいように見えても本質的に甚だ古いものもある。新しいようだけれど文学として贋物の場合もある。贋物を真物と読み違えて掲載してしまうと、面目を失い、文士の信用も失う。口で、時には筆で、文士からこきおろされる。

『文芸編集者はかく考える』

さすが鬼編集長、言うことがいちいち厳しいです。

確かに編集者とは、売れるコンテンツをパッケージ化して世に送り出すだけが仕事ではありません。

たとえ新しさの割合が1割、2割であっても「こんな作品は読んだことがない」と読む人に思ってもらえるような挑戦がある。できうるなら、そうした本を目指したいと思います。

同じことはビジネス書や人文書の編集者についてもいえるでしょう(ひょっとすると事業にもいえることかもしれませんね)。やっぱり企画の持つ新しさが分からなければ、読者の知的好奇心を刺激するような本をつくりえないのではないでしょうか。

そんな新しさを見抜くには、一生懸命「その本の新しさ」や「読む人の心に隠された思い」を考えることが大切。「精神の動脈硬化」にならないためにも、肝に銘じたいと思った言葉でした。

本書は、「群像」の鬼編集長だった大久保さんが現役時代を振り返り、文章のことや、文壇のこと、編集者のことについて語り尽くした一冊で、作家さんの裏話などもでてきて面白い一冊です。

最後まで読んでくださりありがとうございました。
よい一日を!


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