Nao

物書きです。 自分の体験や感情を1つの「フィクション」として投稿します。

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最近の記事

1月9日「今を生きて」

最近はいつも明日のことを考える。 明日の準備をして、今日を過ごす。 そこに今が介在しないような日がたびたびある。 そこには予定されたことが多くて、なかなか自分に目を向けられない。 最後の今はいつだっただろうか。 大人は自由だと誰かが言った。 じゃあ僕はまだ子供なんだろうか。 子供と大人の間で苦しむ人はたくさんいる。 子供の頃は僕が世界の中心だった。 たとえどんなことが起きても いつも世界を救うのは僕だった。 いろんな明日を空想できた。 それを信じることもできた。 叶わなくて

    • 1月8日「月夜」

      職場から出ると、もうあたりは暗かった。無理はない、もう5時を回っているし、なにせ朝からずうっとここにいたのだ。むしろ暗くなってくれていなきゃ困るくらいだ。もう今日はつかれた。布団に入って早く終わらせたい。 さて帰ろうと駐輪場に向かうと、今朝は今年に入って初めて雪が積もって、歩いて病院まで来たことを思い出す。仕方ないから歩いて帰ることにしたが今すぐ歩くのも億劫だ。すぐ帰れるとはいえまだやることはあるし、先に図書館で課題を片付けよう。そう思い立った私は図書館に向かった。 今日の課

      • 1月7日「福猫」

        その猫は、福猫といいます。北の外れの埠頭におりました。埠頭には海人たちのほったて小屋が建っているのでそこをすみかにして居るそうです。朝が来れば埠頭の先にゴロゴロと歩いて行っておひさんに丁寧に挨拶をして、昼間は埠頭から少し行ったところにある小さな社の屋根に登って寝て居るそうです。綺麗な毛並みのその三毛猫は、北の村で「福猫」と言う名で知られておりました。 私がこの名を聞いて北の村へ向かい、村の方から聞いた話はこうでした。 「福猫は、名の通り福を運んでくれるのさ。もし気になるなら会

        • 1月6日「虚無病」

          ああ、明日からまた仕事が始まる。 仕事が辛いなんてありきたりな悩みだけど、僕は仕事が辛くないんだ。じゃあ何が辛いって?僕は怒られるのが怖いんだ。でも不思議なんだよね。僕は仕事に行って怒られることなんてあんまりないんだよ。でも仕事に行くのが怖い。辛い。毎朝腹から気持ち悪さがこみ上げてくるしこの前なんて電車で倒れて救急車で運ばれたんだ。過呼吸だってさ。情けないだろ?でも体が動かないんだよ。本当に情けない。 だからさ、最近考えてみたんだ。何が僕にとって心の枷となるんだろうって。僕は

        1月9日「今を生きて」

          1月5日「雪のこ」

          ぽぽぽぽぽ。 二人の雪のこが生まれました。見渡す限りの灰色の世界にぽぽぽと、小さな小さな命が生まれた瞬間です。 「おお、こんにちは。」 「ああ、こんにちは。」 「おやおや、ここは雲ですかな。おお寒い。これはすぐにみんな生まれますな。我々少し早かったかもしれませんな。」 「へえ。ここは雲と言うのですか。私は初めてでございます。それにしても、本当にここは寒いですねえ。雲と言うのはどこなのですか。私何にも知らないのです。」 「おお初めてですか。いやはやおめでたい。ここは

          1月5日「雪のこ」

          1月4日「かくれぐも」

          あの雲は、「かくれぐも」と申します。はっきりと境界のわからないもくもくとしたかたち、薄くくすんでその姿を少し誇張するようないろ。吹き付ける風にも抵抗してその場に留まろうとする図々しい胆力。すべての生きとし生けるものの父とも言える太陽の前に愚かにも覆いかぶさり、天からの寵愛を独り占めしようとする本当に憎いやつです。あやつが「かくれぐも」と呼ばれる所以は、その形にございます。あやつはその不透明な巨体で太陽を覆い隠すゆえに、地に生きる花々や生き物、やまや海からをも日々憎まれて追いか

          1月4日「かくれぐも」

          双子の星/宮沢賢治

          2020.1.3 天の川の西の岸にお宮を持つ双子のお星さまの物語。 彼らは毎晩、夜に空のほしめぐりの歌に合わせて銀笛をふきます。 彼らはとても無垢で、善人で、運命に従順です。 ある日は傷を負った蠍星を身を粉にして家まで送り届けたり、ある日は悪戯な箒星に騙され海の底に落ちてしまったり。そんな彼らのほんの少しの冒険譚のようなお話です。 「銀河鉄道の夜」の天の川に住む星たち双子の星の作中には、蠍星や空の星めぐりの歌が登場します。これは銀河鉄道の夜の作中でも登場するものです。特に

          双子の星/宮沢賢治

          1月3日 「朝露」

          ある晴れた朝、私が窓から差し込む朝日に目を覚まされて、うんと伸びをしようとお庭に出た時のことです。名も知らぬ植物の葉っぱの上に二人の朝露がおりました。朝露たちは私が近づくのも気づかぬ様子で、何やらぼそぼそと話し込んでいたようでした。 「やあ、おはよう。今日は寒いねえ。」 「ああ、おはようございます。そうですねえ。僕らもっとはやくからいたもので、もうすっかり冷えてしまいましたよ。」 「そうだろうねえ。今朝は5℃くらいだろう。いつもは鳴いている鳥達も今日ばっかりはあんまし見ないね

          1月3日 「朝露」

          メモ

          2020.1.3FACT ドトールでコーヒーを飲んでいたとき、窓から見える駅前の人の往来を見てなんだか目が離せなくなった。 →その時僕は行き交う人を見て「みんな楽しそうだなあ」なんて思ってた。それで一人ひとりの表情なんかを個別に見てたら、初売りでいつもの2倍くらいの人数になったその一人ひとりに家族がいて友達がいて、わずかばかしの休日をその人たちと謳歌しているんだなってひどくセンシティブになってしまった。 抽象化 ・人は«多くの人»を目の前にすると、その人の感情や背景、人とな

          おきなぐさ/宮沢賢治

          うずのしゅげ(おきなぐさ)は誰からも嫌われていない。それはたとえ他の花でも、その下を闊歩するありにおいても。 私が昔見たふたりのおきなぐさは、空に浮かんでは流れ、消えゆく無数の雲を眺めては、その妖艶な美しさを語り合い、空を飛ぶことを夢見た。その二月後、彼らは自らが空を飛ばなくてはならないことを理解して、出会ったひばりに別れを告げて、風とともに北の空へと消えていゆく。そしてひばりはまっすぐ空へと飛び上がって、鋭く短い歌をほんの少し歌った。 あの歌は別れの挨拶だったのか、うずのし

          おきなぐさ/宮沢賢治

          初売りの商店街を行き交う人々を見て

          商店街の入り口に位置するこのカフェは2階の窓際にカウンター席がある。コーヒーを注文してここに座ると目の前の大きな窓からは、初売りに今から行く人たち、多くの紙袋を抱えて幸せそうな表情を浮かべる人たちが無数に見て取れる。外は強い風が吹いて、1月の少し肌寒い気候と相まって外出に向いた日とはお世辞にも言えないが、それでも歩く人の数はゆうに平時の2倍はあるだろう。みんな笑っている。このかけがえのない景色の裏にある商店街の皆様の多大なる功績には心から感謝せざるを得ない。 はじめはただ眺

          初売りの商店街を行き交う人々を見て

          1月2日「朝陽」

          朝目覚めると、いつものキラキラした均一で規則的な気持ちのいい朝の光ではなく、まるでくもり硝子がそこにあるかのような、不規則でふわふわとした和やかな光が部屋の中に差し込んでいた。六畳間の寝室に差し込んだ光たちは波打つ陰をつくって、さらりさらりと部屋の中を闊歩している。まだ寝ていたいという瞼をあげて外を見ると、そこには橙や黄色の魚たちが気持ち良さそうに泳いでいる。くもり硝子は水だった。 ああ、沈んだのか。 外の世界を泳ぐ魚たちは小さい部屋にぽつんと残された僕とは対象的に生き生きと

          1月2日「朝陽」