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おきなぐさ/宮沢賢治

うずのしゅげ(おきなぐさ)は誰からも嫌われていない。それはたとえ他の花でも、その下を闊歩するありにおいても。
私が昔見たふたりのおきなぐさは、空に浮かんでは流れ、消えゆく無数の雲を眺めては、その妖艶な美しさを語り合い、空を飛ぶことを夢見た。その二月後、彼らは自らが空を飛ばなくてはならないことを理解して、出会ったひばりに別れを告げて、風とともに北の空へと消えていゆく。そしてひばりはまっすぐ空へと飛び上がって、鋭く短い歌をほんの少し歌った。
あの歌は別れの挨拶だったのか、うずのしゅげ達は遠い空に光る、あの変光星になったのか、そんなことを私は考えます。

蟻との視点の違いを受け入れる

蟻はうずのしゅげの下を闊歩し、私はその遥か上の世界を見ている。蟻にうずのしゅげは好きかと聞けば、時にこの花は鮮やかな赤色に変化するという。この景色は蟻が花を太陽の光に透かして見ている故の変化であり、当然人である私にはそうは見えない。でも彼は会話の中でその事実をありのまま受け入れて、その上で蟻と対等に、彼等の主張に耳を傾けうんざりしている。たとえ違う視点から物事を見ていてそれらが対立したとしても、互いが見ている世界は違うからどちらも真実なんだろう。

刻一刻と変化する情景を会話だけで表現する

物語中盤、ふたりのおきなぐさが空を次々流れてゆく雲に思いを馳せる場面がある。片方が話している間に、雲は視界の端から端へと動いて行き、見えなくなる。とにかく目まぐるしく変化する小さな空の様子が、二人の会話でリアルタイムに中継される描写が面白い。会話の中でこれだけ情景が変化する文章は初めてだった。

ふたりのおきなぐさの最後に心揺さぶられる

ひばりに空を飛びたいと告げた二月後、彼らは風に乗って飛んでゆく。ひばりに飛んでゆくのは嫌ですかと聞かれたおきなぐさは、「なんともない、恐かない」となんの心配もない様子で、非常にさっぱりとした返答をする。このやり取りに、私はどうしようもない寂しさ、やるせなさを感じてしまう。二人の運命はもう決まっていて、彼らはそれを受け入れている。物語の中の彼らには清々しさしかないのに、読んでいるだけの私はとても切なくなってくる。銀河鉄道の夜でも感じたけれど、宮沢賢治の紡ぐ「さようなら」という言葉にはいかんともし難い哀愁が立ち込めている。
もしかしたら私はもっと長く、この話を読んでいたかったのかもしれない。

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