「失感情症」はどのように生まれたのか(3)

「失感情症」とは、自分の感情を認知したり、
感情を言葉で表現したりすることに障害を感じることを言う。

わたしは幼い頃から、怒りを爆発させる父親と、
中学に入っていじめに遭い人格が変わってしまった兄を見て育ち、
「感情=不要なもの」という方程式をいつの間にか育て上げいった。
https://note.com/climate_mountain/n/nc6aebff23c58

実は、父親と兄だけでなく、母親からも影響を受けていた。

感情や怒りを爆発させる二人と異なり、
母はいつも我慢強く、大人しく、感情を滅多に吐露しない。

どんなに父親が怒りをぶつけてきても、我慢。
夫婦喧嘩で怖い思いをしても、我慢、我慢。
兄が学校でいじめられて悲しみを負っても、我慢、我慢、我慢。

わたしはアラサーだが、人生で一度も、
母が取り乱したり、号泣したり、
落ち込んだり、騒ぎ立てたりした姿を見たことがない。

そう、母は感情を表に出さないタイプなのだ。

全てを母のせいにするつもりは全くない。

ただ事実として、そんな母を見て育ったから、

わたしも、悲しい事・辛い事があっても、表に出す方法が分からない。

(父や兄のように感情を爆発させ周囲を困らせる方法は絶対にしたくない、
 と思うと、それ以外の方法が全く思いつかない。)

表に出す方法が分からないから、怒りや悲しみは、心の中に仕舞い込む。

仕舞い込んで、無かった事にしようとする。

無かった事にするのはとても難しいが、要は、感情を無視する感じ。

それを続けていると、だんだんと本当に感情を感じなくなってくる。

というより、分からなくなってくる、という表現が正しいだろう。

心は傷ついて見えない血を流し続けているのに、

痛みを感じる器官が麻痺しているせいで、なにも感じなくなっていた。

なにも感じないという表現が正しいのかも、分からない。

麻痺させるのと同時に、マイナス(と思われがちな)感情を、
心の中で、一生懸命否定することもクセになっていたのだ。

こんな↓ような言葉を、毎日、心の中で自分に浴びせ続け、
「弱い」感情は、否定。抑圧。抹消(したつもり)。

「今、悲しんで意味あるの?そんな時間あるなら、もっとがんばれば?」「不安を表に出しても仕方がない。打ち消すための努力をしなきゃ。」
「悲しいけど、仕方ない。よく分からないけど、きっと私が悪いんだ。」

感情を抹消(した気になる)ために、
結果を出すための努力や、(見せかけの)笑顔や、
(表面上の)人当たりの良さ、明るさで、
自分をマスキングして、醜い自分の姿はなかったものと言い聞かせた。

そんなふうに過ごしても、案外、騙し騙し生きてしまえるものらしい。

社会は、そんな人間の心のうちなんて、興味がないのだろうか。
それとも、わたし自身が、心を閉ざして、誰にも悟られないように、
隠し通してしまったからだろうか。

わたしの場合は、ざっと10数年。
こんな感じのまま、自分の感情と向き合うこともなく、
「失感情症」だと気づくことも全くなく、
中学・高校・大学・就職と順調にキャリアを積んでいき、
名門大学を出て、大手企業に就職もした。

そんなふうにして社会人5〜6年が経った頃だ。

身体が突然悲鳴を上げて、手が震え、歩けなくなり、
目が開けられなくなって倒れ込んだ。

ある心理療法家によると、心のエネルギー(喜怒哀楽など)は、
表に出さずに仕舞い込んだところで、無くなるわけではないらしい。

代わりにどうなるかというと、
頭痛や、胃痛、倦怠感、食欲不振、不眠症など、
身体のあらゆる場所に不調をきたして、主張してくる。
そうすることで、そのエネルギーを発散させようとする。

当時のわたしは、正しくこんな状態で、
倒れ込むまで、かれこれ2〜3年、まともに食事は食べられなかったし、
ぐっすり眠れる夜なんて、もう一生来ないんじゃないかと思っていた。

当時は、まさかこれらの身体の不調が、
「心」の不調から来るなんて思いもしなくて(というか認めたくなくて)、
なんとなく、ずっと体調はしんどいけれど、
社会人なんて皆こんなもんだろう、と思い込んでいた。(とんでもない)

詳しい経緯は以下の記事に譲るが、そんなこんなで、
わたしは人生で初めて、心療内科に通う事になった。
https://note.com/climate_mountain/n/n70f14c6a8714

初めて担当してもらった先生は、とにかく薬を出すだけ。
見るからに、わたしの悩みや話に興味がなさそう。(なんで心療内科で働いているんだろう?)

そんな先生と苦労しながら自分なりに一生懸命向き合ったが、
一向に、症状が改善しない。

「心療内科ってこんなもんなの?
 ここは人気があるから予約待ちして、やっと来れたのに。」

そんな事に悩んでいたら、どうやら人気なのは、
別の先生、院長先生らしいという事に気がついた。

「院長先生に変えてもらいたい…
 変えてもらうべきなんだろうか…
 わたしはワガママすぎるんだろうか…」

そんな葛藤を何ヶ月も続けた結果、勇気を出して受付の方に相談してみた。

「症状がどうしても改善しないんです。
 院長先生の診療を受けさせてもらえませんか?」

案外、すんなり受け入れてもらえた。(言ってよかった〜〜〜〜)

その院長先生との出会いをきっかけに、
わたしは、根本的な心療治療に向き合い、
「感情」を取り戻す道を歩むことになる。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?