「失感情症」はどのように生まれたのか(1)

「今、どんな感情をもっている?」

「……分かりません。何を感じているのか、全く分かりません。」

「ゆっくりでいいから、考えてみて。」

「考えても、出てきません。ほんとうに分かりません。」

私はつい最近まで、「失感情症」に陥っていた。
「失感情症」とは、自分の感情を認知したり、感情を言葉で表現したりすることに障害を感じることを言う。

「失感情症」といったり、「感情抑圧」といったり
表現は様々あるらしいが、これの何がマズイかというと、
抑えられた感情は無くなって消えるわけではなく、
別の形でエネルギーを発散させようと、
体のあらゆる場所に不調をきたしてくる。

それにもかかわらず、自分がそんな状態に陥っていることに
全く自覚がなかった。なぜか。

それは「嬉しい」「楽しい」「面白い」というプラスの感情は、
曲がりなりにも表に出せたからだ。
少なくとも側から見て、「楽しそう」「幸せそう」に見える演技ができた。そして、それが自分が感じているもの(であってほしい)と思っていた。

しかし、そんな生活を続けていくうちに
ほんとうの自分がわからなくなっていた。
代わりに、その場の空気に流されて、
その場の空気が要求していそうな態度を、表情を、作って過ごした。

それがまた問題で、そうなると社会の側にとっては
都合よく振る舞ってくれる人間が一人増えたことになって便利なので、
誰も、「ほんとうの感情を理解していないこと」に対して、
注意も、指導も、疑問も、投げかけてはくれない。

「(大変な仕事も)なんでもやって、えらいね。」
「大丈夫?思ったこと言っていいんだよ。」

そんなふうに言われたことは何度かあった。
しかし、そもそも自分でも「何がやりたい」「何を思っている」かが
分からないので、発信したり、拒否したり、しようがなかった。

そのままどんどん順調に失感情症は膨らんでいき、ある日、糸が切れた。

糸が切れても失感情症なので、心の不調らしきサインは出てこない。

体の不調が限界に達したのだ。

なんとか気力を振り絞って働いていた職場で突如手が震えて、
歩けなくなり、目も開かなくなって、ついには倒れ込んでしまった。

それを見て心配した同僚は病院に付き添ってくれた。
「手が震えるってことは、内科?脳神経外科?
 脳のCTスキャンを取っておきましょう。」
そう医師に言われるがままに病院に行ったが、全く異常がないという。

そこで、脳神経外科の医師に言われた。
『「心療内科」を受診してみてください。』

この時はじめて、心療内科に行く決心をした。

もちろん、頭のどこかでは何度も考えていたことだ。

「もう何年も、体の不調やストレスが絶えない原因は何か?
 体に問題がないのなら、心療内科や精神科に行ったほうが
 いいんだろうか。」

「でも、行ったら、どんな目で見られるのか…
 まだそこまでひどくないのでは?まだがんばれるのでは?」

そんな得体の知れない不安感と葛藤と戦って、
結局受診するのが今になってしまった。

出された診断は「適応障害」
さらには身体全体の筋肉や栄養が著しく足りていないとのこと。

「とにもかくにも、栄養と体力をつけてください。
そこから投薬をするなり治療をしていきましょう。」と言われた。

ここから、身体の健康を取り戻しながら、
心の健康を建て直す人生が始まることになる。

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