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引きこもり時代、わたしを支えてくれた人達

前回の投稿で、休学していること、旅をしている理由について書きました。


今回は、わたしの引きこもり時代のことを紹介します。

このトピックはすごくシリアス(?)だと思うし、投稿するには少し、勇気が必要でした。でも、このインターンに参加した先輩方のnoteを見て、わたしは勇気をもらい、南伊豆に来ました。なので、わたしも誰かにバトンを繋げられたらなぁ、と思い、書くことにしました。


笑えなかった6ヶ月

わたしは、去年の12月から6ヶ月間、ずっと家に引きこもっていました。

原因は1つではなく、大学やアルバイト、やりたいことが上手くいかない時期が、全て重なったことでした。でも、そのことに気づかないフリをして、毎日過ごしていました。気づいた時には、バイト中に倒れてしまう、大学になぜか行けなくなる、そんな状態になっていました。

その時期から、周りにいた人たちと比べ始めるようになりました。だんだん自分がやってきたことに自信を失い、外に出られなくなってしまったんです。

もう全てがどうでもよくなって、いつの間にか誰にも会うことが出来なくなりました。それは、昔からの親友にもでした。


1日16時間睡眠、平均歩数は1000歩。多分これは、ご飯を食べて、お風呂に入って、寝るだけで稼げる歩数です(笑)。毎日、YouTubeをぼんやり見て、1日が終わっていきました。朝が来るのが怖くて、何もできなくなってしまった自分が嫌で、毎日のように泣いていました。それまでのわたしは好奇心旺盛で、なんでも挑戦してみるタイプだったので、この現実を受け入れられなかったのは、他の誰でもなく自分自身でした。

なんのために生きているんだろう。

何度もそう思ってしまったし、それでも容赦無く過ぎていく時間に、泣くことでしか抗うことができませんでした。

ずっと引きこもる未来しか見えなくて、この状況を変えたいのに、どうしたらいいのか分かりませんでした。それでも、こんなわたしを支えてくれた人がたくさんいました。

今回は、わたしを支えてくれた人達を紹介しようと思います。


どんな時も味方でいてくれた家族

わたしはお父さん、お母さん、お姉ちゃん、わたし、妹の5人家族です。わたしはきっと、この家族なしには、大きすぎる壁を乗り越えることはできませんでした。

「どんなに辛くても、そのすぐ隣に、同等か同等以上の幸せが絶対待っているから、大丈夫だ」と、6ヶ月間、1度もわたしを否定せず、信じ続けてくれたお父さん。

あまり多くは話さないけど、わたしのためを思って、多くの選択肢を教えてくれたお母さん。

いろんな働き方を教えてくれて、このインターンも紹介してくれたお姉ちゃん。

何に対しても興味を持てない中、「一緒にネイルしない?」と、きっかけづくりをしてくれた妹。

理不尽に当たってしまったこともあったのに、わたしの家族はいつでも味方でいてくれました。

お姉ちゃん(左)とわたし(右)。カフェのプロデュースをして、今年の10月にオープンさせるほどの行動力を持つお姉ちゃん。好きなことは、追求して妥協しない姿、ほんとにかっこいい!わたしもお姉ちゃんみたいな行動力、欲しいな。
わたし(左)と妹(右)。とても器用で、作ることが大好きな妹。よくビーズアクセサリーや、マスクチェーンを作ってプレゼントしてくれます。メイクもすごく上手な妹は、私たち姉妹の専属メイクさんです(笑)。
妹(左)とわたし(真ん中)とお姉ちゃん(右)。



どんなわたしも受け入れてくれた親友のAちゃん

外に出られなくなって3ヶ月経った時。

それまで、遊びに誘ってもらっても、嘘をついては断り続けていました。
”会いたいのに、会えない”
頭では会いたいと思うのに、身体がついて来てくれないんです。自分でも理解ができなくて、この現状を言語化するのに、すごく時間がかかりました。それでも、嘘をつき続けるのも限界で、初めて自分の現状を打ち明けたのがAちゃんでした。

その時のわたしは、今まで当たり前にしていた、バイトや大学生活が出来ませんでした。人に会う度に話についていけず、会うのが怖かったです。そんな状況だったけど、Aちゃんはずっと待っててくれました。

「どんなサリも変わらず大好きだよ」と言ってくれたその言葉に、どれほど救われていたんだろう。心から、ありがとうの気持ちでいっぱいです。


“他の人と違ってもいいや”って思わせてくれたB君

引きこもり期間、わたしはずっと“普通”になりたかったんです。

普通に大学に行って、就活して、4年間で卒業して、就職する。周りの人たちと同じようになりたかったし、遅れをとることに人一倍、敏感になっていました。

でも、それって自分の常識でしかありませんでした。自分自身の固定概念に当てはめて、縛って、痛めつけていたことを、B君が気づかせてくれました。

ある日、わたしの状況を知ったB君が、突然電話をしてくれて、
「大学だけがすべてじゃないと思うよ、ずっと英語が好きなんだし、一回海外でも行ってみれば?」と、励ましてくれました。

その時は外に出ることも、ままならなくて、とても留学なんて行けるような状況ではなかったけど、外交的になっていったのは、B君と話した時からだったように思います。

その他にも、ここには紹介し切れないくらい、たくさんの友人がわたしを支えてくれました。

看護学校で学んだ知識を共有してくれたり、自分の状況を知った上で一緒に成人式に行ってくれたり、わたしの状況を知っていても変わらずに接してくれた友人たち。

そのすべてがわたしの生きる糧になりました。そして徐々に本来、好奇心旺盛で「気になったら即行動!」のわたしに戻ることができました。


元気になって、カラオケで歌ってると、ボロボロ泣いて、復活を喜んでくれる友人がいました。照れ臭くて、触れられなかったけど、わたしも涙を堪えるのに必死でした。


わたしのモットー

突然ですが、わたしのモットーは
「自分の進んだ道は、全てに意味がある」です。

これは、大学1年生の時の、国際寮での経験からできたモットーです。

コロナのクラスター感染対策のための厳しい寮則。入寮後すぐ、オンライン授業への移行。安易に外出できないし、交流できる人がかなり制限されていました。

思っていたものと全然違う、何のために寮に入ったんだろう。

何度もそう思ったけれど、いま振り返ると、もがき、苦しんだ、コロナ禍での寮生活は、わたしを強くさせてくれました。韓国人の親友ができて、異文化交流の楽しさを知り、「世界中に友達をつくりたい!」と思ったのは、この寮生活がきっかけでした。人との交流は少なかったけど、多くのご縁を育てることのできた寮生活でした。

そんなモットーを持っているわたしだけど、この引きこもりの期間は、一生笑い話にはできないんだろうな、と思っていました。


南伊豆での出会いが、わたしの考えを変えてくれた

南伊豆に来て、わたしは初めて、
引きこもりの期間があってよかったって思えました。

自分とここまで向き合っていなかったら、きっと南伊豆にも来ていなかったと思います。

心温かい地域の方々と接することも、同じように自分探しのために休学している仲間に出会うことも、知らなかったかもしれない。

左側から、おすず、まなてぃ、はる。同じインターン生で、1つ年上のお姉さん達。私たちの共通点は、大学を休学していることなんです(笑)。分け隔てなく接してくれる3人に出会えてよかった…!
2期のインターン生と、この宿のオーナーのイッテツさん。編集者、漫画家でもあるイッテツさんから学んだ多くのことは、わたしの宝物です。


米農家の大ちゃん。後日、ご家族で宿に来てくれた時の写真。
海遊びの楽しさを教えてくれた、カズさん。このカズさん、かなり、かっこつけてます(笑)。

ここで出会った人たちとのエピソードはたくさんあります。受け取った言葉もたくさんある。この時のことはまた別の機会に紹介したいなぁ。

「わたしもこんな大人になりたい」
そう思える人がたくさんいるこの町に来れたこと、思いやりの溢れるこの町
で、いろんな働き方を知れたこと。辛すぎた半年間だったけど、その期間のおかげで、わたしは今、毎日幸せを感じています。


引きこもった時期がなければ、

何の不安もなく起きれること
何かに興味を持てること
友達に会えること
家族がいること

そんな当たり前の日常が、どれだけ幸せなことか、知ることもなかったと思います。

弓ヶ浜花火大会に行った時の写真。この花火を見た時、泣きそうになりました。「生きててよかった」って、大きな花火を見ながら思いました。

自分を認められた今なら言うことができます。

「実は引きこもってた時期があったんだ、でもね…!」って。

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