鈴木悦司

鈴木悦司

最近の記事

Pompidou Center、カシミール マレービッチ、“走る男” (1932-1934)

1932-34年に描かれたこの作品は晩年の作としてよく紹介されている。1913年以降、純粋な感覚の抽象的表現を企図し、単純な幾何学的形態を基礎とする抽象画を発表、構成主義を標榜したが、晩年に至りここに掲げる作品の様に“物の形”に立ち戻っている。 人物の表現は構成主義以前、キュビズムの影響下にあった時の陰影表現を用いているが、背後の十字架のモチーフ(形)は構成主義の作品でも繰り返し描かれている。 人物の形からかユーモラスな印象も受けるが、前方に差し出される黒い手、十字架、ささく

    • Musée d'Orsay、Claude Monet、”The Magpie” (1868–1869)

      1869年、モネ20代最後の秀作。この時期,パリで学んだアカデミーシュイスのアカデミズムから抜け出し、独自の描法を確立しつつあった。風景、特に雪景色と水の描写が特に多いが、ここに示す“シュールトワールの雪景色”はその中でも朝の光に映える雪の表現が秀逸である。特に画面左全面の雪の描写に注目したい。白い絵の具の間に、赤、黄、青の点が見える。色彩センサーとしてのモネの眼が雪の白の間から無意識のうちに発見し描出したのだろう。これは後の“積藁”、“ルーアン大聖堂”の連作を通じ、繰り返し

      • Musée du Louvre、レオナルド ダ ヴィンチ、“モナ リザ” (1503-1519)

        ご存知モナリザ。あまりの知名度に語るのも気恥ずかしいくらいだが、影を描くこと、輪郭をぼかして表現すること、空気を表現すること、で平面に立体を表現するという西洋絵画の基本路線を完成させ、しかもその頂点を極めてしまった。付け加えるならば、この西洋絵画の基本路線はその後400年、基本的には20世紀初頭の抽象絵画の出現まで続くことになる。 知名度について、試みにインターネットで主な泰西名画を検索してみたが、文字通り桁違いのヒット数である。 モナリザ    161,000  (5,16

        • Muése Marmottan、Claude Monet、”印象・日の出”(1873年)

          1874年に開催された第一回印象派展の出品作。この作品の題名が印象派の名前の由来となったこともあり、印象派の記念碑的な作品となっている。ただし、印象派の特徴ともいえる筆触分割は積極的には採用されておらず、手法的には印象派に先立つロマン主義の要素が強いのではないだろうか。荒々しい筆致、中央の小舟の描写のように、簡潔なひと筆が対象を的確に表現する描写方法、円形の彩度を落とすことによる遠近法の採用等、ターナーの作品を彷彿とさせる。普仏戦争の戦火を逃れるためにこの作品の制作に先立つ1

        Pompidou Center、カシミール マレービッチ、“走る男” (1932-1934)

          Musées de la ville de Rouen、Claude Monet 、“Portail dela Cathedrale de Rouen” (1894)

          モネはルーアン大聖堂の連作のために1992年、1993年の二度に渡りルーアンに滞在している。成果として33枚の傑作をものにするが、この連作はそれまでのポプラ並木、積み藁の連作以上の難産であったようだ。この年に結婚したアリス・オシュデ宛ての手紙に「ある夜、悪夢にうなされた。大聖堂が僕の上に崩れ落ちてきた。青やばら色や黄色の石がふってくるのが見えた。」とある。その苦労の跡は、画布に塗られた絵の具の層が他の作品と比べても格段に厚いことからも見て取れる。 上に塗られた絵の具が下層の絵

          Musées de la ville de Rouen、Claude Monet 、“Portail dela Cathedrale de Rouen” (1894)

          Musée Malraux Le Havre、Eugene Boudin 、"Twilight on the commercial Basin at Le Havre" (1890)

          若きモネに本格的な絵を勧めたことでも良く知られる、ブーダン66歳の作品。熟達した筆致が暮れゆく港町の空と景観を的確に表現している。すばやい筆使いが心地よく、その筆触はモネ晩年の睡蓮の連作を思いださせる。モネとの違いは水面の描写でも使われている筆触分割が使われず、モネのパレットには無かった黒が右手の帆船の影、マスト、後方の桟橋に多用されていることだろうか。 この絵が描かれた15年前、この絵の写生場所から一キロと離れていない海側で、モネが“印象-日の出”を制作している。ほぼ同様の

          Musée Malraux Le Havre、Eugene Boudin 、"Twilight on the commercial Basin at Le Havre" (1890)

          Musee des beaux-arts、Paul Gauguin 、"Nature morte aux pommes" (1894)

          1894年に描かれたゴーギャンの小品である。1891年タヒチに旅立ったゴーギャンはこの作品が描かれた1年前にヨーロッパに帰国している。パリにアトリエを構えヨーロッパでの再起を図ったが叶わず2年後には再びタヒチへと旅立つのだが、この絵はそのパリでの一時帰国中に描かれた作品ということになる。 一見してセザンヌの静物をうかがわせる。同一の色を重ねるタッチ、青みがかった陰(隣の林檎の赤との補色の効果)、多視点的な構図(2つの林檎の位置関係)、輪郭の処理、などなど“影響”というよりほと

          Musee des beaux-arts、Paul Gauguin 、"Nature morte aux pommes" (1894)

          Mauritshuis、フェルメール、デルフト眺望 (1659/60)

          フェルメールのほとんど唯一といっていい風景画で、“真珠の耳飾の少女“と同じデンハーグのマウリッツホイス美術館の所蔵品。フェルメールの作品としてはかなり大きな画面で、初期の”マリアとマルタの家のキリスト”と“取り持ち女”の次に大作となる。フェルメールの絵としては)モチーフのユニークさもさることながら、そのマチエールにも他の作品とは違う特徴が見られる。まず、遠景の明るいピンクの家の壁には壁の材質を表現するため、砂が混ぜられており、繰り返される薄塗りのために鏡面のような仕上がりにな

          Mauritshuis、フェルメール、デルフト眺望 (1659/60)

          Gemeente Museum、ピート モンドリアン、“ヴィクトリーブギウギ” (1942-1944年)

          戦火を逃れニューヨークで描かれたニューヨークブギウギとともよく知られている作品である。 この作品が制作される数年前、1941年ごろからカラー接着テープを材料に制作している。この作品にもまた既製品のテープが使われているが、当初、黒絵の具によるストライプの代替として使われていたものがここでは短く切られ、ストライプ上の点として幾度も張り合わされながらストライプ上を覆っている。マチエールはベースとなっている白、グレイ、青、赤の部分は絵の具の厚塗りで、従来の処理と同じだが、ストライプの

          Gemeente Museum、ピート モンドリアン、“ヴィクトリーブギウギ” (1942-1944年)

          van Gogh Museum、ヴィンセント ファン ゴッホ、“花咲くアーモンドの花” (1890)

          弟テオの子供、つまり甥の誕生を,ゴッホはアーモンドの花の絵をテオ夫妻に送ることで祝った。 ゴッホは木の描写に特別な思いを抱いていたように思われる。右のテオ宛てに送られたスケッチに、“自然をよく愛する人々なら、この苔や草の色合いを見て<ぼくの描いた鳥の巣>をきっと好きになってくれるのではないかと思う”と書き留めている。まるで、木のディテールを観察し、描き込むことで、生命の祝祭と言ったようなものを表現しているようだ。このアーモンドの花の絵も、背景の青と花の白(ピンクと黄が混じる)

          van Gogh Museum、ヴィンセント ファン ゴッホ、“花咲くアーモンドの花” (1890)

          The National Gallery、ヤン ファン アイク、“アルノルフィーニ夫妻”(1434)

          まず“神の手”と呼ばれたファンアイクの細密描写の技量に目を奪われる。 シャンデリア反射する光の表現。鏡に映された部屋の細部。窓から差し込んだ光を受け、無限のグラデーションで現された背後の壁。木枠に映る色ガラスを通した緑と赤の光の気配。花婿の毛皮の質感。花婿の衣装の襞の表現。犬の毛一本一本の明暗。などなど、画家の技量が画面全体を支配している。この細密描写によって描かれている物だけではなく、部屋の冷たく、少し淀んだ空気、外界から差し込む光までもが看取できる。つまり、物を絵描くこと

          The National Gallery、ヤン ファン アイク、“アルノルフィーニ夫妻”(1434)

          Tate Britain、Joseph Mallord William Turner、“雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道”  (1844年)

          ターナーの代表作の一つだが、まず1944年に描かれた事実に注目したい。題名となっているグレート・ウェスタン鉄道の設立は1933年ということで、設立から10年後に描かれた作品である。モチーフとなっているファイアーフライ型蒸気機関車は1940年に導入されている。つまり最新の蒸気機関車がこの絵のモチーフということだ。この時代、フランスではアングルを中心とする新古典主義とロマン主義のドラクロワが対峙していたが、モチーフの斬新さ、時代性という意味でターナーのこの絵のが際立った革新性を見

          Tate Britain、Joseph Mallord William Turner、“雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道”  (1844年)

          Museo Picasso、パブロ ピカソ、“Sainte-Anne-la-Palud Mas del Quiquet" (1898)

          1898年ピカソ17歳の作品である。この年から翌年にかけ、ピカソは同級生マヌエル・パジャレスとバルセロナから北方100キロ近くのサンジェルアンというい田舎町に滞在している。これはその時の習作の一つであるが、少年ピカソは田舎の農家の複雑な構造に興味を持ち、絵画的な視点から再構成、画面に定着させた。この美しい小品を眺めると、17歳のピカソが、絵画技術の全てを完璧に習熟していることがわかる。 この美しい作品を見て、セザンヌの構成、モネの色彩、ブーダンの筆触、モンドリアンのバランスな

          Museo Picasso、パブロ ピカソ、“Sainte-Anne-la-Palud Mas del Quiquet" (1898)

          Musse Royaux Des Beaux-Arts、Bonnard、“逆光の裸婦”(1908年)

          裸婦は逆光の中でオーディコロンをつけている。入浴の後、体を拭き終わった直後だと言うことが、左下の浴槽、足元の黒いタオルから窺い知れる。 逆光の中に浮かび上がる裸婦の形と影となっている体の色彩がこの絵の主題であるが、それを効果的に表現する為に、ボナールは上部の窓とそれに続くソファーの明るい色面を背景として周到に用意している。 レンブラント等、主題を強調する為に背景を暗色で覆ってしまう前代の手法とは対照的で興味深い。 先の浴槽とタオルは、女性が、入浴し、体を拭き、オーディコロンを

          Musse Royaux Des Beaux-Arts、Bonnard、“逆光の裸婦”(1908年)

          National Gallery、Leonard da Vinci、聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ (1499年 - 1500年頃、あるいは1506年 - 1508年頃)

          製作年については2説あるようだが、モナリザ製作開始が1503年、ダビンチ50歳、ということなのでこの時期に描かれた円熟期の作品である。マリア(画面右)の微笑み、輪郭をぼかすことで奥行きを表現するスフマートの技法などモナリザとの共通点が見える。作品製作の下絵ということだが、特に顔の表情など細部まで完璧に表現されており、下絵であるとは思えない。 構図は全体として聖母子と聖ヨハネをテーマにした絵画では常套となっている三角構図が用いられているが、注意してみるといくつかの仕掛けが組み入

          National Gallery、Leonard da Vinci、聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ (1499年 - 1500年頃、あるいは1506年 - 1508年頃)

          Neue Pinakothek、ヴィンセント ファン ゴッホ、「アリーズ風景」(1890)

          前景に画面全体を二分する大胆な構図は明らかに浮世絵の影響である。全体に白を大量に入れた寒色系の色が支配的でオルセー美術館にある最後の自画像の色調を思い起こさせる。色調だけではなく、陰影表現でも影の部分の描写に白を混ぜた寒色系の色を使うことで明度を落とさずに立体を表現するなど共通部分が多く見られる。 前面の木の小枝の部分の黄土色は背景の絵の具が完全に乾ききってから描き加えられている。一気呵成に描き進めたゴッホが推敲の上、最後の仕上げに描き加えている様子が、その筆致の違いからもう

          Neue Pinakothek、ヴィンセント ファン ゴッホ、「アリーズ風景」(1890)