カンナユウタ

塾講師です。 作詞作曲が趣味でした。 そして書くことが好きで、 また少しづつやりたいこ…

カンナユウタ

塾講師です。 作詞作曲が趣味でした。 そして書くことが好きで、 また少しづつやりたいことを取り戻そうと、ゆるく生きています。

最近の記事

アリスとジューダス・プリースト  その4

僕たちのバンドは、少しずつ ロックバンドに変容していった。 何より僕にとって大きかった変化は、 裕がバンドを抜けたことだった。 その頃の彼は、あまり人前に出ることを 好まなかったため、 それは自然なことではあったのだが、 彼と始めたバンドに彼がいないのは、 とてつもなく寂しかった。 とにかく、中学2年生の後半になると、 僕はロックバンドのボーカルに なっていたのであった。 しかしながら、そこには 大きな問題があった。 僕には、ヘビーメタルの ハイトーンの声が出なかったのだ。

    • 思いがけない収穫?

      ほとんどリサーチもしないで         「note」に飛び込んで 手探りで書いていますが、 レイアウトやら画像の貼り付けやら わからないことだらけです。 まぁわからないことはわからないとして、 とりあえずはいいんです。 ですが、他の方の記事を読むと、 皆さんのレベルの高さに 自分の稚拙さと薄っぺらさを痛感します。 で、自分にもわかる記事から いろいろ勉強してみようと思って、 音楽関係やDTM、宅録、作詞作曲等で 検索してどんどん読んでいたんです。 すると、ある方が、自

      • アリスとジューダスプリースト その3

        その日僕たちは黒川の家にいた。 ドラムのオサムは部活動で忙しく、 僕と裕、そして黒川の3人だったと思う。 黒川の家は町の商店街の中にあり、 この町ではそこそこ知れた自営業を営んでいたので 家というよりは、店舗兼自宅のビルだった。 僕と裕は、黒川のお母さんが持ってきてくれた 紅茶とケーキを面の前にして、 わかりやすいほどに緊張していた。 4階建ての家、きれいなお母さん、そして紅茶とケーキ という組み合わせは、中学2年生の田舎の男子を 緊張させるには十分だった。 「まあ、食べて

        • アリスとジューダス・プリースト その2

          僕たちのバンドは、その第一歩を踏み出した。 アコースティックギターとボーカルが僕と裕、 ドラムには野球部のオサム、 そしてエレキギターにイケメンの黒川だ。 4人の興奮は見た目にわかるほどで、 休み時間や放課後にはいつも肩を寄せ合い、 顔を近づけて、ずっとバンドのことを話し合っていた。 当然レパートリーは「アリス」だった。 また、ギターの黒川のたっての希望で、 「甲斐バンド」もレパートリーに加えられた。 何度も言うが、僕たちが住んでいたのは、 とにかく何もない田舎町だった。

        アリスとジューダス・プリースト  その4

          自己紹介

          突然noteに書き込むことを決めた。 自分でも、なぜそうしたのかは うまく説明できないが、 もう十分歳をとったことで、 何かしら書き残しておこうと思ったようだ。 思い返せば2年前に他界した父親が、 ずいぶん前に老後の楽しみの一環として 自分史を自費出版した。 そのときは、「へぇー」くらいにしか 思っていなかったのだが、 今にして思えば、 少し父が羨ましいと思っていたように感じる。 こうやって「書き残しておこう」などと思うとは、 確かに彼の血を引き継いでいるのかもしれない。

          アリスとジューダスプリースト 1 

          時は1980年代前半、 僕は中学生だった。 あの頃の日本は、原宿の「竹の子族」が踊り狂い、 校内暴力、家庭内暴力が社会問題となっていた。 しかし、僕が住んでいた田んぼと畑と山しかないような超マイナーな田舎町では、そんなことはどこ吹く風。 テレビの中の騒ぎは、まるで遠い異国の出来事のように、中学生の僕には、本当にどうにかなりそうなほど、平和で退屈な日々が繰り返されていた。 「ニューミュージック」の一大ブームがあったのもこの頃だった。さすがの我が愛すべきド田舎にもこの流れはど

          アリスとジューダスプリースト 1