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アリスとジューダスプリースト 1 

時は1980年代前半、
僕は中学生だった。

あの頃の日本は、原宿の「竹の子族」が踊り狂い、
校内暴力、家庭内暴力が社会問題となっていた。
しかし、僕が住んでいた田んぼと畑と山しかないような超マイナーな田舎町では、そんなことはどこ吹く風。
テレビの中の騒ぎは、まるで遠い異国の出来事のように、中学生の僕には、本当にどうにかなりそうなほど、平和で退屈な日々が繰り返されていた。

「ニューミュージック」の一大ブームがあったのもこの頃だった。さすがの我が愛すべきド田舎にもこの流れはどこからか押しよせてきて、僕もすっかりこの「新しい音楽」に夢中になっていた。僕は、小学校の頃に知り合いのおじさんからもらった、ホコリまみれのガットギターを持っていたのだが、3つ上の姉が親に頼み込んで買ってもらったフォークギターは、それはそれは憧れの的となっていた。
「ポロポロポロォーン」という音色に比べて
「ジャララァーァン」という響きは、それだけで都会的で、憧れのミュージシャンを思い浮かべることができたのだ。だから僕は必死になって頭を下げて姉にギターを借り、時間を忘れて練習した。そのおかげで、その腕前は下の上か、中の下程度にはなっていた。

 そのころ、僕には柴田裕(仮)という友達がいた。彼といるときは、もっぱらニューミュージックの話で、とりわけ二人は「アリス」の話に熱中していた。また、僕たちはおそらくそこそこ歌がうまかった(と記憶している)。高音でハスキーな声を持った裕と、まあ人並みの僕の役割はその時点で決まっていた。彼がベーヤン、僕がチンペイだ。二人は休み時間になるとアリスを歌い、そしてハモった。アルバムに入っている知らない曲を練習してはハモる、練習してはハモる、の繰り返し。僕たちは、自分たちの声でで音楽を奏でる快感に夢中になっていたのだ。
そんな二人が、「どうせやるならバンドをやってみたい。」と思うのは、もはや必然だった。そう思った僕たちは友達に声をかけまくってメンバーを探した。空前のニューミュージックブームだったこともあって、アコースティックギタ―を持っている友達はそこそこいたが、ほとんどが部屋に飾っている程度か、ほとんど弾くことができないというのが現実だった。そんな中、奇跡的に、ドラムを持っているという友達がいた。更に、僕らのバンド計画をどこからか聞いてきた同級生が声かけてきたのだ。
「黒川茂樹(仮)」― 彼はエレキギターを持っていた。そしてルックスがこの上なく良かった。
この彼との出会いが、それからの僕らの学生生活を一変させるとは、この時は全く思ってもいなかったのだ。

※ちょっとした思い出話を書こうと思ったのですが、
 思った以上に長くなりそうなので、何回かに分けて投稿します。


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