Micaさんへのファンレター
これは、Micaさんの書かれた文章を全力で推すnoteであり、半年かけて全作品を読んだ1ファンからファンレターとして届けるものです。
Micaさんと知り合ったのは1年と少し前。noteやTwitterでお話する中で仲良くしていただき、新しいnoteはもちろん、ぼくが過去の作品にもたまにお邪魔する感じに。不定期に5記事ぐらいまとめ読みする日々を過ごしているうち、気付けば全作品読んでました。本日時点で154作品(!)。
知り合いのnoterさんの作品を全部読むということが今までなかったので、自分でびっくりしてます。読み終えたら色々と込み上がってきてどうしたらいいかわからない。そんな想いを伝えたくて、このファンレターに至ります。
全作品すべて紹介したい気持ちで溢れてるけど、卒論みたいな分量になりそうなのでそれは自重。10作品に絞ろうとMicaさんの記事を改めて見返してピックしてたら、また読み込んじゃってこのnote書くのなかなか進まなかった。そして結局10作品じゃおさまらなかった(おい)。
Micaさんのnoteには「創作あれこれ」「音楽を聴く、読む」といったマガジンがあります。だから、以下のように勝手にカテゴライズするのは甚だ僭越なのですが、全作品を読んだ1ファンの目線と思っていただけたら嬉しいです。代表作はご自身でまとめられた「自己紹介代わりのnote」に詰まっているので、ファンは敢えて「これも読んでほしい!」を取り上げました。
でも、代表作に触れないのは無理でした。そして文字数が大変なことになりました。仕方ない。だって、良いんだもの。
音楽のお話
Micaさんといえば音楽note。もうね。カッコよすぎます。noteやTwitterでお話しているときはやわらかい感じなのに、音楽のことを真剣な眼差しで語っているMicaさんはイケメンにしか見えない(ちなみにZoomでもまだお会いしたことはない)。知的でクール、それでいて情熱的な語り口には惚れるしかありません。ぼくは音楽には疎い方ですが、Micaさんの文章を読んでいると、知らないアーティストの曲でも聴こえてくる気がするんです。Micaさんが奏でているのかもしれない。
1.BUMP OF CHICKENが歌う「強さ」と「強がり」の境界線
Micaさんのnoteで初めて読んだのが、こちらでした。入谷聡さんの私設企画「#磨け感情解像度」の投稿作品。Micaさんはこの企画の運営メンバーも務められていて、応募作品を丁寧に読み込む傍ら、読む人の感情を圧倒的に揺さぶるこんな作品を手掛けられていました。
BUMP OF CHICKENは、ぼくも学生時代によく聴いていたバンド。働き始めてからはぱったり聴かなくなってしまっていたのに、Micaさんのこのnoteを読んで、何年振りかにアルバムをフルで聴き直した。noteは人を動かすんだ、と思った。
本当の強さとは、弱さと向き合うことから始まる。
強さとは、己の弱さを克服しようと抗いつつ、その弱さを受け容れること。アーティストがそのような葛藤を経て成長する過程を、Micaさんは一つひとつの歌詞に込められたメッセージから細やかに分析する。その結論はタイトルのとおりなのだが、読み取り方がこの上なく鮮やかで、曲を聴くよりもMicaさんの言葉に全身を委ねたくなってしまう。音楽ってこんな風に楽しめるんだと、新しい世界を見せてもらいました。
Micaさんの人生に大きな影響を与えたロックバンド、ELLEGARDEN(エルレガーデン)。LINE MUSIC×noteの #いまから推しのアーティスト語らせて コンテスト準グランプリ受賞作品で、先ほどのバンプのnoteと同じようにMicaさんの鋭く熱い語りに静かに耳を傾けたくなる。
でもこちらの作品の方がぐぐっと引き込まれる。多分それは、Micaさん自身の人生をこの曲に投影するようにして振り返っているから。
好きなことを続けてきた、その事実が私に誇りを与えてくれる。
Micaさんは10年ほど前に単身アメリカに渡り、今はご家族と同地で暮らしている。渡米前のおよそ10年近くに渡る社会人生活で渦巻いていた葛藤や孤独が、エルレの繊細で率直な歌詞に重ねられ、読み手にもどこか既視感のあるメッセージとなって立ち現れる。情熱の灯を絶やさないことを、ここぞというときに全力投球できる自分でいられるようにすることの大切さを、忘れないようにしたいと思わせてくれる作品です。こちらのnoteでMicaさん自身の振返りも記されているので、合わせて読むのをおすすめします。
イケメンのMicaさんをもっと楽しみたい方は、下記のマガジンからどうぞ。「音楽を読む」ということの意味が、わかる気がします。
故郷のお話
Micaさんは福岡県出身。今でこそアメリカでの日常を切り取ったnoteをたくさん書かれています(これも後ほど)が、渡米されるまでずっと暮らされていた故郷への想いを綴った文章も魅力的です。アメリカと日本の狭間で揺れ動く感情は、先ほどの音楽noteで紹介したバンプやエルレの歌詞ともどこか重なるのかもしれない。自分のアイデンティティを作り上げた土地がいくつもある人のには、きっと響くものがあると思います。
Micaさんのnote初投稿。渡米された頃のお話はこの後も何度か語られていますが、初めに書かれたこの作品では、日本にいるお母様の目線からその様子が淡くも強い筆致で描かれています。
遠くで涙を拭っていたあの光景を、わたしは一生忘れない。
空港でお別れをされた後のひととき。親に感謝を伝えたいという気付きを得るまでにも葛藤があり、それを行動に移すまでにも更なる葛藤がある。そうこうしているうちに刻々と年月は経ってしまうこともまた、理解している。そんな風に渦巻く感情を抱えながらも、強い意思で日本を後にしたMicaさんの背中が見えるようなnoteです。
こちらは、どちらかというとお父様の目線が見えるお話。予定していた日本への帰省が、ご主人のご体調がきっかけでできなくなってしまったときのこと。寂しく思っているお父様に想いを馳せながら、言葉が紡がれる。
余裕。油断。たぶん違う、いちばん近い言葉は現実。
この言葉、はっとさせられる。言葉一つで届くものも違う。
ずっととか絶対とか思っていたものほど儚いことを何度も実感しているのにと回想しながら、Micaさんはこう語る。何年もの年月を経て確かになった、二つの街に生きているという現実。お父様の言葉を通じて改めて輪郭を帯びる「今」に、Micaさんはここでも強く対峙されている。
その後、結局世間がこんな状況になり、Micaさんご一家の帰省は叶わずじまいだった。今度帰られたときは、ご家族みんなで満開の桜を見れるといいな。そのときは、涙ぐらい流したっていいと思います。
故郷と太平洋を挟んだ距離を挟んで過ごされてる以上、「距離」というものに否応なく向き合わなければいけない。「近くて遠い国」なんてフレーズがあるけど、家族だって友人だって同じであって。
心理的距離がなくても「いつでも会える」という安心感は足を遠ざける大きな要因になってしまう。
自分の話になるが、最近家のリフォームを終えて、ぼくの両親と、妻とぼくとの二世帯住宅暮らしが始まった。近いどころじゃない。でも灯台下暗しとはよく言ったもので、近すぎると今度は見えるものも見えなくなる。Micaさんの上記の言葉は、今の自分には幾重にも響いて聴こえる。
心のどこかで大切にしている場所。いつでも、いつまでもあると思っている。だから本当に足を運ぶことは少ない。世間がこの状況で行きたい場所に足を運ぶのも難しくなった今、距離について考えるとき、こちらのnoteをまた見返したいなと思っています。
自分を見つめるお話
渡米前のお仕事での経験や、異国での新しい発見を通じながら、Micaさんはいつだって前を向く。ご自身は、自分に自信がないから上塗りが必要なのだとおっしゃるけれど、走り続けることは誰にだってできるわけじゃない。言葉を重ねながら自分の弱さと向き合うことは、紛れもない強さの証だと思います。冒頭で紹介したバンプやエルレの歌詞は、Micaさんと本当にシンクロしているのだあなと、これを書きながら改めて実感しました。
Micaさんのこのひたむきな強さに、ぼくは憧れます。自分の深いところにある思考と感情を見つめ続け、日常のさり気ない一瞬に、その変化の兆しを読み取る。そして、それを言葉にしながら前を向く。半年かけて読み、何度も励まされました。きっとこれからも。
短い中ですっごく大切なことを諭してくれている。日々メディアや他者は、自分のやりたいことや好きなことを大切にしよう、自己実現しようとこれでもかと唆してくる。でもそういう言葉がたくさん聞こえるってことは、それが現実として当たり前になっていないことの証でもある。自己肯定をしたくてもできない自分の気持ちの扱いづらさときたら。
自分を肯定できるようにならなきゃ!と思うのは、今できていない自分を否定するのに繋がる、という落とし穴。
Micaさんのこの言葉に、ひざを打った。そうだ。自己肯定ができるって、自己否定している自分も受け入れることなんだ。喜怒哀楽どんな感情でいる自分も自分として肯定する。「うん、それだったらわたしにもできそうだ。」と締めくくるMicaさんを見ながら、自分も顔を上げようと思いました。
昔から、大志というものを抱いたことがなかった。
この滑り出しにすべてを持っていかれた。クラーク博士が聞いたらさぞ残念がるだろうが、大志を持って社会に足を踏み入れる人なんて一握りなんじゃないかと思っている。大志なく社会に踏み込むどころか、組み込まれていくのが現実なのだ。
Micaさんが新卒入社した旅行会社でのエピソード。心身を擦り減らしながら働く中でつかんだ海外添乗の体験は、Micaさんにとって未来の兆しであり、7年後にアメリカ行きの決断に繋がる。一見みんな注目しないような些細な面でも、どこかで必ず誰かが見てくれている。小さな成功を喜びながら前に進もう。そんな風に声を掛けてくれるお話。最後に登場するタグがあまりにも眩しいので、ぜひ読んでほしいです。
例によって寝る前に読んでたんだけど、エピソードはもちろん、タイトルが素敵すぎて目が覚めてしまった。なんかの歌詞かと思った。そしたらMicaさんが奏でるエッセイという名の曲だった。美しい。
だから、大切な人とは「どうでもいい話」をたくさんしたいのかもしれない。
渡米して間もない頃、Micaさんがお仕事で日本人の先輩と交わした会話の記録。人は何かに熱中しているとき、熱い言葉に惹かれがちだ。動くためのエネルギーを必要としているのかもしれない。でも実は、ふとした瞬間の何気ないひとことが一番記憶に残っていて、後からじんわり心に沁みてきたりする。時間をかけないとわからないもの。人は、それをノスタルジックと呼ぶのだと思います。
こちらはタイトルで我が身振返らされるエッセイ。仕事でも家庭でも、自分以外のものに割く時間が増えるほど、「自分のために割ける時間」の価値が高まっていく。でも、それは見せかけのインフレだったりして。
特別なところじゃなくていい。買い物とか、公園とか、日常の中にあるもの。
理想的な生活だと思っていた「本や映画を好きなだけ楽しめる毎日」は、「毎日」欲しいものではなかったと気付く。隣の芝生はいつだって青い。でも自分の家の芝生に寝転がってみたら、とっても寝心地が良かった。そんなことがあるかもしれない。いや、実はそんなことばかりなのかもしれない。この経験があるから、Micaさんは誰よりもご家族との日常を大切にされているのだと思っています。
夫がわざわざ淹れてくれたそれを飲みながら、どこかで読んだ「一人と独りは違う」という言葉を思い出していた。
熱を出されたMicaさんを、ご主人がやさしく助けてくださったときのお話。一人の時間が愛しくなるのは、一人じゃないから。一つ前の理想の生活のエッセイと同じく、見落としがちな大切なことをこの文字数でそれとなく教えてくれる。はちみつれもん、美味しそう。
冒頭の「人生を考える日」も、自分にも似た経験があって頷くことばかりだった。頑張りすぎて何かがプツンと切れてしまう前に、思い切って一度手を放してしまおう。そしたらまた前を向ける。そう思っています。一生懸命生きているんだから、人生を考える日があっていいですよね。
これもグサッときた。ぼくは「どう見えるか」「何を見ているか」といった解釈や認知の話が割と好きなので、タイトルを見てからそんなお話をイメージしてスクロールしていったら、ちょっと違う角度からやさしい言葉で諭されてしまった。それこそ勝手な先入観で読み始めたことを太平洋の向こう側に土下座案件だった。
目の前にいる相手と話しているようで、本当はちゃんと向き合えていない、ということは少なくない気がする。
ある。身に覚えがめっちゃある。しかもよく知った間柄だからこそ、過去というフィルターを通して相手を見てしまう。相手がそのチャレンジを決断したことに、まずは前向きに耳を傾けたい。他のnoteも読んでいると、渡米前のこの経験は、その後のMicaさんの価値観に大きな影響を与えたように見えました(違ったらごめんなさい)。
Micaさんの過去note散策の終着点。最後に読んだ作品。Micaさんが大切にされてある「飾らず自然本来の姿があふれ出ているさま」を見つめる様子が、これまた日常の淡い光景に溶け込むようにして描かれている。
それは、作り出すものではなく、あふれ出てしまうものだから。
ありのままの自分でいるからこそあふれ出てくるもの。それを飾らず輝かせられることを天真爛漫と呼ぶのだとしたら。日常のひとときから、ご自身の深いところに紐づくエッセンスを読み取り、ひいては読み手の心にも届けてくれる。この作品を最後に読んだのはほんと偶然だったのですが、終着点でこのエッセイに出会えたのは幸せでした。
日常の大切なワンシーンのお話
いよいよ最後のカテゴリ。既に6,000字に迫っていて自分で若干引いているのですが、ここまで来たらやめられない。というか、セットリストの最後に持ってきた以上は紹介させてほしい。できたらアンコールもさせてほしい。
直前に紹介した「自分を見つめるお話」と、少し似ています。でも敢えてカテゴリを分けさせていただいたのは理由があって。それは、こちらで守ろうとしているのが、ご自身ではなくてご家族であること。
途中にも書きましたが、Micaさんはいつもご自身のすごく深いところを見ながら言葉を紡がれていて、ひたむきな強さを感じます。でもやさしい。すごくやさしい。たぶんそれは、今の自分を必死に守ろうとしながらも、本当はそれ以上に誰かを守ろうとしているからだと思います。理想の自分、日本のご家族、住んだ土地、そして、今をともに過ごされているご家族を、いつも一途な想いを持って見つめている。ただの「愛」では形容できない感情。Micaさんの言葉でしか紡げない、瑞々しくしなやかな感情です。
Micaさんは、海外noterの方々で連載されている「旅するように暮らしてる(かもしれない) 」(通称:旅くら)マガジンの寄稿者の一人。日本ではなかなか見ることのできない海外生活を垣間見ることのできるマガジンは、巣ごもりばかりの毎日に、太陽のような明るさをもたらしてくれる。
この「午前9:00の散歩道」は、そんな旅くらを彷彿とさせるけど、マガジンが始まるより1年半以上前に書かれたもの。多分、これが一番最初の旅くら系noteだと思う。旅くら開始がメジャーデビューだとしたら、これはインディーズだろうか(ちょっと音楽note引きずってるというか引きずりたかっただけで深い意図はありません…)。
彼が大きくなったときに思い出すのは、こういう何気ない瞬間なんだろうと、背中を見ながら思った。
朝、スクールに向かうお子さんをご近所まで送り届けたときのエピソード。ご近所を映した写真とそこに添えられた言葉たちが、上記で引用した一文に吸い込まれていく。ちょっと切ないけれど、そよ風が吹くような読後感がとても心地よいです。
冒頭の一文で「はっ」と少し心配になり、読み進めていって「おのれ、男どもめ……明日は絶対作らんからな」が出てきたところでちょっと笑ってしまったことをここに白状します誠に誠に申し訳ありません。
お子さんが体調を崩されてまもなく、せっかく用意されたお夕飯をお子さんもご主人もあまり食べてくれなかった日のお話。さっきのような呟きが出てきても不思議じゃありません。それでも自分の気持ちを整えようと次の日もお夕飯を準備したところ、ご主人からやさしい言葉が返ってきた。Micaさんも御礼の言葉を返そうにも、「お疲れさま」としか返せていない自分を思いながらひとこと。
素直じゃないねぇ。
やさしい。ご主人もやさしいし、自分事として前を向く理由に昇華するMicaさんもやさしい。みんなやさしい。なんて素敵なご家族なんだ。きっとここに描かれていない大変なことがたくさんあるのだと思うけど、こういうエッセイを読むたび、太平洋の向こうへエールを送りたくなるのです。
お子さんが絵本作りに夢中になっていた頃のお話。お子さんは、自分の作品とお父さん(ご主人)の描かれた作品を見比べて、上手く描けない悔しさから泣いてしまう。Micaさんは「楽しく描くのがいちばんだからさ」とお子さんを慰めようとするが、その言葉たちがするする出てくる違和感を覚え、さらにはそれが既視感に変わってしまう。
それは、まさに他人と比べて悔やむ自分の姿だった。
年齢を重ねれば重ねるほど、心に痛手を作りかねない「悔しい」を封じ込めてしまう。
お子さんの涙を見て、「大人になるということは、何かを感じなくなるのではなく、感じないフリが上手になるだけではないか」と気付かされる。お子さんの素直な涙は、本当はMicaさん自身だって流したかったものなのだ。
この一連のくだりに、目頭が熱くなった。だって自分にも思い当たることがたくさんあるから。きっとぼくだけではないと思う。Micaさんがお子さんの涙から受け取った想いは、確かな形ある言葉になり、それは読み手の心に届く。Micaさんが前を向くたびに、誰かもまた前を向くきっかけをもらっていると思います。
とうとう最後の紹介になった。全作品を読み終えるのも寂しかったけど、ファンレターを書き終えるのもまた寂しいことに気付いてしまった。
数週間前、Micaさんご一家は、長く住んだサンフランシスコを後にしてシカゴにお引越しされた。異国のさらなる異国で始まる新しい生活。お子さんにとっては生まれ故郷を離れることでもあり、期待半分、不安半分。そんな様子が「#引っ越し日記」のタグでまとめられてシリーズものになっている。
この引っ越し日記が、とてもとても素敵で。今さらながらMicaさんのプロフィールを紹介すると、冒頭にこう書いてあるんです。
心が動いた瞬間を切り取りたい。そんな思いで書いています。
そんな思いが、飾らないありのままの言葉で綴られている。それは天真爛漫な文章であり、ブレイブな文章でもある。故郷と異国で様々な葛藤を乗り越えられてきた今のMicaさんだからこそ紡げる言葉たちが、一家4人の新しい幕開けを鮮やかに彩っている。Micaさんの心が動いた瞬間は、喜び、期待、苦悩、悲哀それぞれの糸が繊細に織りなすタペストリーとして、読む人の前に現れ、心を動かす。
Micaさんのエッセイは、初期の頃のものからずっと必ず最後に「#ひとりごと」のタグが付いています。勝手な憶測ですが、ここにMicaさんのひたむきな強さが見える気がしてならないのです。
今の自分を守ろうとしながらも、本当はそれ以上に誰かを守るために頑張る姿。ぼくにはそう見えます。でも、Micaさんの切り取った日常を見て、声を掛けてくれる人はたくさんいる。だからきっと、もうひとりではないと思います。
次の10年を自分なりに彩ろう。今度は、家族4人で。
ぼくもそんな一人として、ファンの一人として、これからもMicaさんご一家を応援し続けます。
Micaさんへ、心からのありがとうを送ります。
次の10年を彩る文章、楽しみにしていますね。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?