見出し画像

理想の生活?って、それ本当に望んでる?

最近、自分にとっての「理想の生活」って何だろう?それを実現したところで人生がよりハッピーになるのかな?と懐疑的になっている。

そう考えるきっかけとなった出来事の話。

以前、わたしが手帳に書いた「理想の生活」リストにはこんな一文があった。

「本や映画を好きなだけ楽しめる毎日が送りたい」

昨年の今頃、これは思いがけない形で叶うこととなる。

2018年の年明け早々、第二子を妊娠中だったわたしは切迫早産の診断を受けた。当時まだ妊娠5か月ぐらい。

その後一週間ごとに精密検査を受けたが、どんどん状況は悪化して、最終的には妊娠6ヶ月のときに「今すぐ生まれてもおかしくない」と先生まで青ざめる事態となった。

唯一の対処法として提示された手術は、妊娠6ヶ月で施すには相当リスキーだと説明を受けた。刺激で産まれてしまうこともあるらしい。わたしと夫は時間をかけて話し合いながら「このまま過ごしていても早く出てきてしまう可能性が高いのなら」と、GOに踏みきった。

結果的に手術は成功して、息子は抜糸した当日の36週で誕生した。

わたしは異常の発覚から術後の容体が安定するまで、ほぼ寝たきりの生活を送っていた。体を平行にするために。

家事は、緊急事態とあって日本から駆けつけてくれた義理母の担当。

できることと言えば、本を読んだり映画を観ることぐらいだった。だから昼間のほとんどをそうやって過ごした。

「本や映画を好きなだけ楽しめる毎日」

実現した状況はイレギュラーだけれど、実際にやってみた感想はどうだろう。

…すごく虚しかった。まったくハッピーじゃなかった。

もちろん、家族に対して申し訳なさや罪悪感を持っていたから、という側面もある。

でも、心身が健康かつ誰にも迷惑かけずに実現したとしても、同じだったと思う。

おそらく、わたしの場合は、家族を中心に慌ただしく過ごす日々の中で、ときどき得られる「本や映画でホッと一息つく」時間が好きなんだろうな、と気付いた。

寝たきりだった時期、わたしの一番の願いは「長男と一緒にお出かけしたい」だった。特別なところじゃなくていい。買い物とか、公園とか、日常の中にあるもの。

普段は当たり前すぎて忘れてしまうけれど、いざというとき、心の底から求めているものって表面化してくる。以前も似たようなことを書いた。

理想の生活なんて意外と幻想的なもので。それを追い求めるより、意識的に毎日楽しむ工夫をするほうが、最終的に人生の満足度は高まるのかもしれないな、と最近は思い直している。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。これからも仲良くしてもらえると嬉しいです。