見出し画像

ふたつの街

故郷の夢を見た。

どこにいるのだろう。小高い場所から地元に流れる大きな川を眺めていて。30年分の思い出が詰まったあの川。対岸には木々が並ぶ。椎名林檎の歌にも出てくるそれは、長い長い渓流を繰り返しながらやがて海につながっていく。


12月、約一年ぶりに予定していた年末年始の帰省計画をキャンセルした。10月に夫が日本出張中に倒れて入院するという、我が家にちょっとした事件があったから。
私たちも若くないんだから気をつけないとね、夫がアメリカに戻って来てからそんな会話をした。健康は何にも代えがたい財産。それを思うと体調を優先して帰省を先延ばしにするのに迷いはなかった。

「2月の半ばに二つ法事があるのよ。何とか帰ってこれない?」母から電話でそう打診を受けたのは数日前。父方の祖父、母方の祖母。それぞれの何回忌。大事な行事ではある。でも、そう私に尋ねる本当の理由は。


どうやら、父が随分としょんぼりしているらしい。
お正月に孫たちと会えるのをとても楽しみに待ってくれていた。我が夫の体調が最優先であるのはもちろん納得している。けれど、寂しさは別の話。父も母も普段は「帰っておいで」なんて言わない。こちらにも事情があることなど、百も承知だからだ。

「一年半経ったら戻ります」
そう言ってアメリカへ旅立った。いったん出てしまうと、もう住むことはないかもしれない。そんな予感を抱きながら。
30年のあいだ地元で暮らしていた。長すぎるぐらい。この街を去るきっかけなどいくらでもあった。就職、転職。住み慣れた場所より、もっと都会へ。旅立つ者たちの姿を見送る。行ってらっしゃいとおかえりなさいを言うのは私の役目だった。

20代後半の、葛藤と焦燥。いつも少し泣きそうだった。
かつての恋人たちはみんな新しい出会いと共に家族を築いていく。直接おめでとうを伝えられる関係性が残っていても純度100%で言えたことはなかった。消息を知らない相手ですら風の噂とやらはどこからか吹いてくる。晴れ模様が急に嵐になる勢いで。地元は狭いのだ。"私はあの人にとって不合格だった" 別に未練なんかないのに、積み重なるとちょっと厄介な腫瘍ぐらいにはなる。ふとズキズキ痛んで、それは全く関係ないときにでも。

親指をパチンと鳴らしたら全てが様変わりしたような人生だと思う。透き通った空の青。映画のような会話。入り混じる文化。手を繋ぐ老夫婦。アメリカンジョーク。どれもあの頃の私には無かったものばかりだ。いちばん身近にいる夫や子どもたちでさえ。
そのせいか、私はこの街でいつもふわふわと生きている。今の暮らし。昔の暮らし。脳内でそれらが交差するとき一体どっちが夢なのかよくわからない。


一年半で戻るという約束を守れなかった。罪悪感に似た思いが時折ふっと顔を出す。夫と出会い、連れ添う人生を決めたことに後悔はない。父も母もとても喜んでくれた。「おめでとう」「よかったね」子どもに恵まれたときはもっと。けれど、それは純度100%の気持ちだろうか。
私たちが異国で暮らす限り切っても切り離せないもの、寂しさ。自分がそう感じるより、大切な人にそう感じさせるほうがうんと苦手だ。「顔を見せてほしい」堪えて堪えて溢れ出したものだとちゃんとわかっている。せめて年に一度ぐらいは、そう思ってもいる。


もう若くはないのだ。私や夫よりも、父や母のほうが。あのとき絶対だと思っていたものが一瞬で失くなる経験を何度もしているのに、なかなかどうして学ぶことは難しい。余裕。油断。たぶん違う、いちばん近い言葉は現実。
ここは私にとって故郷ではないけれど、子どもたちにとっては紛れもなく故郷となる。知らない言葉。知らない文化。知らないルール。調べて、試す、調べて、間違う。仕事をする。学校を選ぶ。夢見心地だとしても、ひとつひとつ歩みを進めてきた証が今。


父と二人でカモメにパンをあげた。小学校のマラソンでうんざり走った。初めて男の子とデートするとき歩いた。付き合っていた人にフラれて泣いた。すべてを包み込む。あの大きな川のふもとで子どもを育ててみたかったと、ほんの少しだけ思うよ。父母には言えない気持ち。
あの川の終着地となる海と、カリフォルニアの海は繋がっているはず。なんてうまいこと言おうとしたけれど地理感がないから本当のところは知らない。


電話の最後に母からリクエストがあった。「お父さんが、カリフォルニアワインまた飲みたいって」。それが何であれ。娘がこの街で暮らすことに、父がほんの少しでも喜びを見いだせるなら。いくらでも。

2月の半ばは少し近すぎるからね、4月の下旬ならどうだろう。そう言って日本へ帰る計画を立てていたら、夫が「もし行けることになったら、桜が見れるかもよ!」と嬉しそうな顔を向けてくれた。
4月=桜というざっくりとした方程式。ごめん、その頃には散りまくっていて跡形もない。でもそれぐらいがちょうどいいと思う。満開の桜なんか見たら、私はたぶん泣いてしまう。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。これからも仲良くしてもらえると嬉しいです。