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試される究極の自己愛


自分が頑張れなくなったとき、
他人に迷惑をかけてしまうだけで
なにも生み出すことのできない
自分になったとしても、
貴方は自分を愛せますか。




半年ぶりの更新

 ご無沙汰です、チャオです。

ここ数ヶ月は、自分のことで精一杯になっていました。
実は仕事のストレスで心も身体もちょっと壊れて? しまって、外に出られない季節を過ごしていました。


あ、でも今は回復しているので軽い気持ちで読んでくださいね!!


今回の経験から学んだことは、

・「自分には価値がないのかも」と思ってしまう相手とは距離を取ること
・自分を大事に扱ってくれる人と一緒にいること
・自分ぐらいは、自分をちゃんと愛して守ってあげること

です。



約1年前から出たナゾの炎症

 実は1年ぐらい前から、ずっと肌に炎症のようなものが出ていたんです。最初は皮膚が薄いところや粘膜である唇に。ちょうど仕事が増えて忙しくなった時期だったので、とりあえずお医者さんで処方された薬を塗ってその都度、騙し騙し抑えながら過ごしていました。ただ、皮膚科や眼科に行っても診断結果は「ものもらい」とか「ヘルペス」とか言われて、目薬だったり塗り薬を処方されて、内心ではなんかちょっと違うような……と思いながらも、とりあえず処方された薬で抑えたら一定期間は炎症がマシになっていたので、誤魔化したまま過ごしていました。


それがついに、最初の炎症が出てから半年ぐらいが経った今春ぐらいから、無視できないほどアレルギー反応のような炎症がブワーッと出て、外出はおろか人と会うのすら憚(はばか)られるような状態になってしまって。あまりの酷さに早朝に目が覚めて、そのまま皮膚科に駆け込む始末。


メイクはもってのほか、マスクですら着けていたらヒリヒリ、紫外線には浴びれず汗はかけないなど、在宅で仕事をしつつも、そこから数ヶ月間ほぼなにも出来ない状態になってしまいました。


顔に塗っていいレベルのなかで最も強いステロイドじゃないと、炎症を抑えられない段階までいってしまい、(ステロイドについては、とりあえず炎症を抑えなければならないということで、担当の先生と相談して適正適量を使用していました)症状のことはあまり詳細には書きませんが、ずっと肌が燃え上がるようでした、ほんとに。



そして結局、いろんな皮膚科に行って先生に聞いてみてもハッキリとした原因は分からずで。

食べ物はもちろんアレルギーテストや、原因になり得るもの全て変えてみたりやめてみたり(砂糖断ちまでしてみたり)、思いつくことは全て試してみたんですが、どれもこれも違うみたいだと。

すると結局の原因は、もう思い当たるのがストレスしかないという話になり、思い当たるのが仕事でのストレスでした。


実は、思い当たることは1年ぐらい前から沢山あったんです。


寝る直前まで仕事をしていたりする関係か、睡眠時間が短くなったり(熟睡ができず目が覚めてしまう)、急に人と比較して焦ってしまったり、気分が落ち込んでしまったり、自己肯定感みたいなものが急激に低くなってしまったり。

仕事で怒られたりしたときには、「怒られるのは私の力不足で全て私が未熟なせいなんだ」なんて、いま冷静にちゃんと考えてみたら、なんでそんな0か100思考みたいなことになっちゃってたんだろうと、おかしく感じるほどで。


最後の方は、パソコンに向かって仕事をしていたら急に涙が出てきて、そこから机に突っ伏して泣きじゃくったり、オンライン会議の録画映像を見ていたら、私だけ顔を終始かいていたり(ストレスで顔が痒くなることがあるんだそう)



なんか全部一人で抱え込んじゃって、誰にも泣き言や愚痴をポロッとこぼすことが出来なくて、泣きたいけど泣けないみたいなことが沢山あって。親には心配かけるからもっと言えなくて。それらにプラスして、仕事をしながらも、このままで私の将来は大丈夫なのかなぁとか、今月の収入はちょっと少ないなぁとか、どうして取引先は私が考え抜いて創ったもの簡単に粗末にするんだろう、とか。


ずっと我慢して誤魔化して隠して仕事をしていたら、今まで我慢していた分が全て炎症として表面化した、そんな感じでした。


そしたら炎症のせいで、物理的に涙がずっと出てきて。


それを鏡で見たとき、
あぁ、私の心はずっと泣きたかったんだなぁ
と思いました。




炎症で腫れた顔は、まさに泣きじゃくった後の子どものような顔だったのが印象的で。まるで子どものようだと仮に誰かに茶化されても、たぶん私は誰かにちゃんと大事に、大切にされたかったんでしょうね。



仕事でずっと粗末に扱われていたから、麻痺してしまっていた。
自分はそんなふうに軽く扱われてしまう人間なのだと、それは自分が悪いのだと思い込んで感覚が麻痺するところまでいってしまっていた。


それをずっと一人で抱えこんで隠して目を向けずに誤魔化していたから、「肌」という最大の免疫臓器であり、唯一ちゃんと目に見えて脳で認識できる部分に炎症が起きたんだろうなぁと感じました。


心がだいぶ回復した今は「あれらは全て自分が悪かった、自分のせいなんだ」なんて、そんなふうに全く思わないんですよ。だから表現としては、心が回復したというか、「正常に戻った」という方が正しいのかも知れません。


心が正常に戻った今は、前の自分はなんで全てを自分のせいにしてしまっていたんだろう? と思うんです。でも、仕事での慢性的なストレスや軽く扱われ続けることによって、それに知らず知らずのうちに心が染まってしまっていた。


最後の砦である自分ですら、自分を大切にできていなかった。
そんなふうに「私は、ダメな人間なんだ」と思ってしまう相手とは、たとえ仕事であっても一緒にいたらダメなのだなと痛感しました。なんと言うか、感覚としては洗脳に近いというか。表現の違いなどはあれど「あなたはダメな人間です」という旨のことをずっと受けてると、「あぁ、自分はそうなんだ」って自然となっちゃうんですよね、心が。


まだ外に出られる状態のときに、久しぶりに友だちと会ってそんな仕事の理不尽な話をしてたら「それさ、我慢するのおかしいよ、ちゃんと怒っていいことだよ。むしろ、ちゃんと自分のために怒らきゃダメだよ」って言ってもらって、そこで「え?」って目が覚めたというか。




いつでも早急に、言われた通りに。自分の大事なことも全て後回しにして、理不尽さも歯痒さも飲み込んで、我慢して自分を犠牲にすることが仕事だと勝手に思い込んでいた。でも、それは違いました。


一人で仕事をする以上、自分を守れるのは「自分」しかいなかったんです。だからその「自分」を何よりも大事にしてあげなきゃいけなかったのに、自分で自分をずっと責めてしまっていた。


ちゃんと自分のために怒って、ちゃんと自分のために戦って、ちゃんと自分のために逃げて、ちゃんと自分で自分を大事に、大切にしなければいけなかった。



ひどい炎症が出て、皮膚がつっぱって笑うことすらできなくなって、眼球の温度を下げようとする涙がずっと出て、何ヶ月間も行動できなくなって。仕事はもちろん、人と会うことすら、家から出ることすら出来なくなってしまった。ちゃんと治るかどうかも分からず、目で見えるその酷さを鏡で見るたびに思わず泣いてしまい、治ってきたと思ったらまた腫れ上がる。その繰り返し。


すでに決まっていた仕事も断って色んな人に迷惑をかけて、新規の仕事も半ば強制的に量を減らして、身体的にも元気が出ずメンタルも落ち込んでと、頑張ることがとことん出来なくなりました。




当時の私は、そんな自分をまた責めました。



どうしてもっと仕事をコントロールしなかったんだろう、とか。
粗末に扱われるようになったのは自分のせいではなかったか、とか。
力不足なのだからそんなふうに怒られても仕方がない、とか。


まだ仕事を頑張れていたときは、社会に対して何かしら貢献できている自覚があって「頑張っている自分」という事実があったから、それで自分を褒めることができていた。でも、それすらできなくなってしまったときに問われた一番必要だったこと。


それは、そんな自分をも
ちゃんと認めて受け入れて愛することでした。

他の誰でもなく、自分自身が
ちゃんと自分を愛すること。

ありのままの自分を、自分でちゃんと愛してあげること。


もし頑張れなくなったとしても、見た目が醜くなってしまっても、失敗だらけでも、外に出られなくなって人に会えなくなってしまったとしても、仕事で迷惑をかけてしまっても、なにも生み出せない日々を過ごしたとしても。迷惑をかけてしまったことにはキチンと謝って、助けてもらったことにはしっかりと感謝して。

それら全てをしたのなら、もう自分を責めずに、愛すること。


自分を愛するってなかなか難しいけれど、自分ぐらいは自分を好きでいてあげようと、ちゃんと自分で自分を愛してあげようと痛感した経験でした。



だって、自分ぐらい自分を好きでいてあげないと、自分が可哀想だなって素直に思ったんです。一生懸命に走り続けて仕事をしていたら、炎症が起きて外出できなくなって、人にも会えなくなって。そして、なによりも起きている間も寝ている間も肌がずっと痛いし痒いし熱いし。


だからもう散々自分を責めた後に、途中で「あんなに仕事を頑張ってきて成果もちゃんと出してたのに、雑に軽く扱われ続けて、さらにそのストレスの炎症で腫れて何も出来ないってなに?! わたし、可哀想すぎない?!」って、つい笑ってしまったんですよね、自分で。あまりに可笑しくて。


そのときに、やっと自分で「いや、十分やったじゃん。今までも頑張ってきたじゃん、わたし、よくやったよ」と初めて自分を抱きしめて、自分で自分の頭をヨシヨシしてあげられるようなそんな感覚があったんです。


ちゃんと生きてて偉い。色んなことを考えて、少しでもより良く生きようとしていて偉い。炎症が起こって、自分の皮膚は一体どうなるんだろうと恐くなって泣いてしまっても、頑張れないときがあったとしても、好きだよ、自分


ちなみに、今も無茶はできない状態ではありますが、だいぶ回復して心も元に戻りました。

自分のために、ちゃんと怒ること。
自分のために、ちゃんと逃げること。
自分のために、ちゃんと自分を愛すること。


自分のことを好きでいるとか、自分のことを愛することって難しい。
正直、まだ今でも難しいときがあるけれど、でも自分ぐらいは自分を好きで愛してあげたい。


それを痛感した経験でした。




あとがき

 ちなみに、慢性的なストレスがなぜ炎症につながるのか、また、どのように自律神経に関係するのかなと思って色々調べていたら、「ストレス脳」という本に書かれていた内容が個人的に納得できたので、以下に簡略して書いてみます(簡略し過ぎているので、ちゃんと詳しく知りたい方は本をご一読くださいね!)


・慢性的にストレスを感じる
 昔であれば一過性だったものが、現代では仕事スタイルなどの変化で慢性的なストレスがかかることが多い

・脳が免疫を上げる
 ストレスを感じる=(イコール)、敵対する物の出現だと脳が勘違いをするため、身体の免疫力をグッと上げる。一瞬「え? 免疫が上がるんだったら良いことじゃない?」と思うのですが、アレルギー反応の一種である炎症は簡単に言うと「免疫反応の暴走」なので、過剰な免疫反応は良くないらしいのです

・慢性的なストレスにより、免疫が上がりっぱなしの状態が続く
 通常は、交感神経と副交感神経が入れ替わり上がった免疫が徐々に正常に落ち着きます。ただ、現代の生活スタイルでは寝る直前まで仕事の通知などで脳が休まらずストレスを感じて、なかなか副交感神経が優位にならず、免疫が上がりっぱなしになってしまうとのこと

・免疫の暴走が炎症を起こす
 脳が勘違いをして見えない敵を作り出してしまい、実際には存在していない敵に対して攻撃をしてしまう

・アレルギー反応が起こる
 免疫の反応によって、血流を送られた箇所は赤くなって腫れ、かゆみを起こして脳に知らせる

 炎症が起こっている=なにかに感染していると脳が勘違いして
・脳は、身体を休ませようとする

 これ以上、外敵を侵入させないようにと、脳は新しい感染リスクなどを回避させようとする。他人と会うと感染リスクが上がるので、人に会いたい気持ちをなくさせ、さらには体力温存のためと新しい活動や外出、運動をさせないようにするため
・気分が下がる、外に出たくなくなる、ワクワクしない、人と会いたくなくなる

 そんなことを知らない私は、どんどん消極的になる自分に落ち込む
・気分が下がってしまう

免疫の暴走から起こったアレルギー反応を落ち着けるためには、
・ストレスを減らすことと、食生活や生活習慣を整えることが大切



少し時間はかかる自然治癒力

 肌のターンオーバーの関係で、肌が生まれ変わって回復するにはある程度のまとまった期間が必要とのことでした。私の場合もそうです。だからもし炎症が起きてしまっても焦らず、過度に恐がらず、鏡を見るたびにメンタルは左右されてしまうかも知れないけれど、それでも気長に自分を労ってあげることが大事だと感じました。

自分はいま休息や解放が必要な時期なんだなと。
仕事には集中できないし、早く治さなきゃとか、焦っちゃったり不安になったりするけれど、それでも心を解放させてあげることを最優先に心がけて、そしたら結局はそれが治すために一番の近道になったかも知れません。


久しぶりの更新がこんなに重たい内容だったのですが、もしどこかの誰かが似たような経験をしていたら、その人に少しでも何か伝えられたらと思って書いてみました。

では、チャオ!

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