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#72【雑感】「能力を活かす」とは
先日、久々にカラオケに行ってきました。
タイトル画像は「カラオケでマイクを持ってモニターに向かう少年少女」。まさか少女がモニター内に収まるとは。
少し前の自動翻訳もこういう感じでしたね。
『匂いをかがれるかぐや姫』(2006年/原倫太郎・原游/マガジンハウス)は、この自動翻訳のズレを活かした本で、とても好きでした。当時は自動翻訳で日本語→英語→日本語と翻訳すると、「かぐや姫」は「匂いをかがれるとすぐに、プリンセス」となってしまっていたのです。
前職での徒弟制度の師・あにさんがこの本を教えてくれて、一緒にゲラゲラ笑ったのはとてもいい思い出です。くらたはつくづく師匠と友達には恵まれる人生です。巡り合ってきた師匠たちのこともいつか書きたい。
それにしても、自動翻訳の精度の向上を考えても、生成AIの精度も遠からず上がっていくでしょうね……。おそろしや。
「愛をこめて花束を」(Superfly)好き!
カラオケでよく歌うのは「愛をこめて花束を」(Superfly)。アルトのくらたには音域的・声質的に歌いやすいです。最後の英語の部分以外は……。
このときも歌いました。
先日も書きましたが、
昨日とよく似た今日は 何気ない分かれ道を
わかって選びそびれた 臆病のせいでしょう
私は泣くのが得意で 最初から慰めをあてにしてたわ
何度も間違った道 選び続けて 正しくここに戻ってきたの
それな。……いい曲すぎません?
歌いやすいからとテキトーに入れたのに、この2番の歌詞に射抜かれました。『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』(ジュリア・キャメロン/サンマーク出版)でも似たようなことが書かれています。
大切にしてきた夢とみじめな現在の仕事のどちらかを選ぶ岐路に立たされたとき、私たちは夢を無視することを選び、その後に続くみじめさを神のせいにする。自分がヨーロッパに行かなかったこと、絵画のクラスをとらなかったこと、写真を続けなかったこと、それらがあたかも神の過ちだったように振る舞うのだ。
しかし実際には、ヨーロッパに行かないことを決めたのは神ではなく、自分だ。私たちは、宇宙が健全な浪費を支えてくれる懐の深さをもっていることに気づけず、神が常識を求めているかのように思い込み、常識的であろうとする。
しかし、常識を私たちに注ぎ込むのは、地上の父親、母親、教会、教師、友人であって、創造主では決してない。創造性は良識的ではないし、これまでも良識的であったためしはない。
これだけの内容を、歌詞4行に納めてしまえる言語化センスよ……。
「僕のこと」(Mrs. GREEN APPLE)も好き!
ここ1~2年は「私は最強」(Ado)や「僕のこと」(Mrs. GREEN APPLE)も好きでよく歌います。図々しいですね。もちろん、好きで歌うのと、歌えるのとでは大きな差があります。
「僕のこと」、わたしは昨年のカロリーメイトのCMのオーケストラバージョンで知りましたが、めちゃくちゃいいですよねえ……。
受験シーズンのカロリーメイトのCM、例年とても好意的に観ています。
今年の「光も影も」編もとてもよかった。
何かを目指して頑張る若者への、てらいのないまっすぐなエールは、すがすがしくてとても好きです。どうせ大衆に向けて感情誘導をするならば、こういうきれいごとに脳を使う企業があってもいいと思う。
くらた自身は、苦しいことも多くあったし第一希望の大学に入れなかったのも苦い思い出だけれど、勉強自体は嫌いじゃなかったしあれだけ勉強に投じた経験もほかにないので、今となってはよい思い出です。
「僕のこと」は全編好きなのですが、特に好きなのがここ。
僕らは知っている 奇跡は死んでいる
努力も孤独も 報われないことがある
だけどね それでもね 今日まで歩いてきた
日々を人は呼ぶ それがね 軌跡だと
「奇跡は死んでいる」「努力も孤独も 報われないことがある」……
ほんとにそのとおりだよ!
生きていれば、永遠はないし、傷は治りきらないし、「奇跡は死んでいる」としか言いようのないことが、自分の身に起こることも家族や友人の身に降りかかるのを目の当たりにすることもあります。
でも、そのうえで、あの歌モンスター大森さんの圧倒的歌唱力の高音で「ああ なんて素敵な日だ」「嘆くにはほど遠い」と高らかに歌い上げる。
もう何も言えないです。若いのにすごいよね。
「能力を活かす」ということ
またこのとき、試しに探してみたら劇団四季『ウィキッド』の曲がそろっていたので、ろくに歌えもしないのに片っ端から入れました。なお機種はJOYSOUND(自分のための備忘録)。
『ウィキッド』1ミリも興味ないのにセリフまでひとりで演じるくらたに付き合ってくれたあーちゃんの心の広さよ。
つくづく師匠と友達には恵まれる人生です。
さて、『ウィキッド』オープニング曲「グッド・ニュース」最高音は高いシです。アルトのくらたには高すぎる。合唱部時代、アルトに高いシがある譜面なんてお目にかかったことはありません。
でもこのときは、カラオケに行く前にひとしきりしゃべってのどが開いていたのか、『ウィキッド』がカラオケにあったことへの歓喜からか、音量をコントロールできない=小さい声では出せないけれども、なんとかかろうじて歌声として出せたのです。
このあと、のどがスカスカのカッスカスになりましたが、持てる能力を使いたいことにフルに使えた、という充実した爽快感みたいなものがありました。
転じて、自分のIQについてもきっとそれと同じなのかも、と思いました。
生きていれば、自分も自分の大切な人たちも、「奇跡は死んでいる」としか思えないような場面があります。もしもわたしの言語を扱う能力が優れているのだとしたら(言語理解IQ130台)、それは自分の大切な人に言葉を失うようなことがあったときに使いたい。
くらたの脳みその能力の限界に近い部分を使うときには、高いシを歌うときの声と同じように、細かいコントロールができないし、使えばスカスカのカッスカスになるかもしれないけれど、でもそれがもしピンチにいる誰かの何かの助けになれるとしたら、そういうふうにその力を使いたいと思ったのでした。
もちろん、「持てる能力を使いたいことにフルに使えた」という自分の爽快感だけのためにならないように。
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