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猫を棄てる、親を棄てる

『猫を棄てる』/村上春樹 読了後、「親を棄てる」という言葉が頭に浮かんだ。少し言葉が乱暴すぎるだろうか…?でも「親を棄てる」(精神的に)ことなくして、「自分がなりたい自分」にはなれないと思っている。



この本の中で村上春樹さんは父親について語っている。それを読みながら私は母親のことを思った。 



私は母から「あまり可愛くならないように」育てられたと思っている。もちろん母は無意識だったのだろうけど…。子どもの頃や20代、30代の頃はそれに気づかなかった。ただ「私は可愛くないし、美人ではないんだな。」と思って過ごしてきた。それどころか「私ってブスだな。」と思っていた時期すらある。年頃になって周囲の女の子たちはどんどん綺麗になっていく。さながら、鮮やかにに彩られたデコレーションケーキやフルーツたっぷりのタルト。そんな中、私はずっと飾りなしの素っ気ない…パウンドケーキだった。



母に「可愛くない」と言われたわけでも、ましてや「ブス」と言われたわけでもない。つまり面と向かっての暴言や失言は一切なかった。…けれど、私に対して「可愛い」とか「綺麗」とか言わないことによって、巧妙に操作されていたんじゃないだろうか。「○○ちゃんは美人だから」なんてセリフはよく聞いたんだけど…。



どうしてだったんだろう???



私はある仮説をたてた。母の兄弟構成は母と3人の弟。家の手伝いで相当忙しかったんじゃないだろうか?忙しくてオシャレする暇もなく、味気ない生活だったんじゃないだろうか??時が流れて娘である私が年頃になったのをみて、ちょっとイライラすることもあった??「自分はオシャレする余裕もなかったのに…」と。



自分の仮説を確かめたくて母に電話をする。



「ちょっと、昔のことを聞きたいんだけど。」と…。そこで母から語られたのは予想に反して、とても楽しいものだった。(娘時代のことを聞きたかったのに、なぜか終始母は子ども時代のことを語った。)忙しい時は田んぼ仕事を手伝ったこと。ご飯はみんなで田んぼで食べたこと。豚の赤ちゃんを売りに行ったこと。ひよこも売りに行ったこと。ひよこのことを書いた作文が入選したこと。隣近所と助け合って賑やかに過ごしていた様子がうかがえる。「思い返せば、とても楽しかった。」と母は言う。



私の仮説は間違いだった。母は私を「あまり可愛くならないように」育てたわけではなかった。そもそも母には、女性が女性らしくオシャレをするとか、女性が女性らしく着飾るとか、そういった概念がないのだ。正確に言えば、概念はあるけど「女らしさ」は好きではない。ベクトルはひたすら「楽しく、健康に」へ向かっている。無意識のうちに私もそのベクトルで育てられたのだろう。



でも私は「楽しく健康」だけではいられない。



私は母の親である部分の中の一部分を棄てた。そうしないと自分でいられない。そして新たに1人の人間として母と対峙している。『猫を棄てる』から「親を棄てる」を連想したのは、冒頭の「猫を棄てる」シーンに親子の関係を連想したからかもしれない。



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