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テレビ講演で野球人生を語る
星野仙一(1947~2018)は、2004年8月~9月にNHK教育テレビ「人間講座」で「人を動かす 組織を動かす」がテーマのテレビ講演(全8回)を行った。
前年の2003年、タイガース監督としてチームを18年ぶりのセ・リーグ優勝に導いて退任。
いわば「星野株」最高値の時期だった。
今回は当時刊行された講演テキスト(日本放送出版協会)から、タイガース監督時代を中心にひも解く。
「火の中」「大ヤケド」と言われて
2001年10月、星野は2度合わせて11年間務めたドラゴンズ監督を辞任する。
同年は5位。
「ひとりの人間が長く権力の座にいるのはよくない」と型通りの弁を残した。
ところが2ヶ月後の12月、不祥事で更迭された野村克也の後任としてタイガースから監督就任要請を受け、12月18日に就任する。
突然の転身は世間を驚かせた。
当時の心境をこう明かす。
星野は周囲やファンの反応を確認した。
ミスターの思わぬ檄と受諾の決断
逡巡していたところに意外な人物から背中を押された。
2001年シーズンまでの直近3シーズンのタイガースを率いたのは前述のように野村克也。
薄い選手層をやりくりし、何とかしようともがく様子が度々見られたが、敵将の長嶋茂雄の眼には「努力していない」「勝とうというそういう気持ちすらない」と映ったようだ。
奔放なようで実は言葉に気を遣うひとの長嶋が、かくも辛辣に対戦相手の戦いぶりをこきおろすのは極めて異例だと思う。
この長嶋の受け止めを野村は知っていたのだろうか。
周知の事実だが、子供時代の星野は土地柄もあってタイガースファン。
吉田義男に憧れ、野球を始めた当初はショート。
巨人ファンと殴り合いのケンカをしたことすらあったらしい。
そんなチームから「助けてくれ」と請われるのは、野球人冥利に尽きる話だろう。
タイガース監督時代の細かな戦いぶりは有名な話ゆえ、あえてここでは触れず、ここからは星野の特徴だった「場外戦」を取り上げる。
記者を味方に選手を叱咤
タイガース監督就任が決まると星野は、スポーツ新聞の各紙担当者との朝食会の機会に自身の考えを表明し、紙面で発信する。しかも、選手にキャンプまでの「宿題」まで出す念の入れよう。意図はこうだった。