プロ野球賢者の書①【球春到来に寄せて】

はじめに
ノンフィクションライターの長谷川晶一氏は、2018年11月に『プロ野球バカ本 まったく役に立たないブックレビュー』(朝日新聞出版)を著した。
帯の説明によると内容は以下の通り。

古今東西、野球に関する「バカ本」をご紹介。本当にバカバカしいもの、人間の懊悩が垣間見える哲学的なものなど、「野球文学」の裏面史108冊を徹底レビュー!選手、フロントたちの大放言を改めて掘り起こしつつ、野球本の歴史をたどる!

『プロ野球バカ本』帯より

そもそもスポーツや芸能関係者の「著書」で実際に本人が書いているものはごく少数。よくて口述筆記、殆どはいわゆる構成作家の手によるもの。
例えば上掲書に登場する野村克也の『女房はドーベルマン』は米谷紳之介氏が書いた。
ちなみに米谷氏はすこぶる優秀な構成作家で、他にも関根潤三、伊勢孝夫、若松勉、梅宮辰夫、ガッツ石松など数多くの「著書」をまとめてきた人物。

従って、この種の本を真面目に取り合うこと自体がバカバカしいと言う向きもあろうが、各「著者」の特徴や出版当時の立場、そして時代背景を考察し、薄いユーモアを交えつつ丁寧に分析した「まったく役に立たない」どころか結構楽しめる1冊。

前置きが長くなったが、本稿で取り上げる書籍は逆に野球の歴史の重みや奥深さを味わえる作品たち。
2021年のプロ野球キャンプイン。
時勢を考慮して無観客でキャンプが行われるいま、家の中でじっくりとページをめくりながら熱球の記憶を瞼に浮かべてみよう。

浜田昭八『監督たちの戦い 決定版』〔上下巻〕(日経ビジネス人文庫;2001年)

野球関連の本の中で「監督もの」は大きなボリュームを占める。
成功した監督の「指導の秘訣」を取り上げるサラリーマン層向けの自己啓発的内容から、硬派なドキュメンタリータッチまで多種多様。
本書は、上・下巻合わせて16人の監督たちのグラウンド内外に跨る苦闘と歓喜を描いた「監督もの」の最高峰に位置する傑作。

登場するのは掲載順に王貞治、仰木彬、野村克也、上田利治、西本幸雄、吉田義男、近藤貞雄、三原脩(ここまで上巻)、長嶋茂雄、星野仙一、森祗晶、広岡達朗、大沢啓二、川上哲治、藤田元司、鶴岡一人(以上下巻)。

著者の浜田昭八(1933~)は、デイリースポーツを経て1960年から35年以上日本経済新聞の運動部で野球担当だった名物記者。定年退職後も2023年2月まで同紙にコラム「選球眼」をものしていた。
本書は日本経済新聞夕刊の長期連載「監督たちの戦い~ベンチ裏の人間学」(1997年と1998年の二期)を基に大幅な加筆修正を施したもの。
元記事は野球殿堂博物館の図書館でファイルされたものを閲覧できる。

「はじめに」で作品の狙いをこう明かす。

勝てば名将、負けると、ただの人である。プロ野球の監督の評価は一日ごと、シーズンごとに変わる。
なにはともあれ、監督は敵と戦う前に味方と戦わねばならない。難敵は球団のサイフを預かる人間と、誇り高いスター選手だ。監督ならだれでも有り余るほどの戦力を欲しがる。だが、球団には企業の論理がある。「強化」と「採算」は激しく綱引きをして、抗争を生む。
監督は選手を育て、引き立てる。その一方で「名監督が名選手を作るのではない。名選手が名監督を作る」というジョークが、球界でまかり通る。成長した選手は、監督やコーチが考えるほど恩義を感じてはいない。
米大リーグで言われていることだが、監督は「解雇(ファイア)されるために雇われる(ハイア)」苛酷な職業である。それでも、ユニホームを着た人間なら、一度はやってみたいと思うほど魅力があるらしい。そんな監督たちの喜びと、苦しい戦いにスポットを当てたストーリーを書き留めておきたい。ただの名将賛歌を歌い上げるつもりはない。

浜田昭八『監督たちの戦い・決定版 上』

勝負の機微と集団にひそむ心の襞をとらえるリズムのいい筆さばきは一見淡々たるものだが、読み手の想像力を呼び覚ます。
なかでも大物選手の扱いを巡る因果、監督とフロントの綱引きの描きぶりは巧みで良きにつけ、悪しきにつけ顔を出す「日本型組織」の人間模様を浮き彫りにする。
このあたりは日経の連載ゆえ、読者層の関心を意識した視点だろう。

例えば上田利治の項には「世代交代」を巡るこんな一節が。

選手にとっては、自分を使ってくれる監督が名監督だ。千勝監督であろうと、駆け出しの監督であろうと、関係はない。しかし、使う側の監督から見ると、選手は例外なく”うぬぼれ屋”だから、始末が悪い。自分を使わない監督の用兵が妥当だと思う選手は、まずいない。いたとしても、それは体力も気力も衰えた、引退寸前の選手だろう。
それだから、監督は悩む。今シーズンだけなら、あるいはいけるかも知れないというベテランを、あえて退けるときが一番難しい。功績のあった選手に、マスコミはおおむね同情的だ。それでも監督は、新旧交代の断層を大きくしないために、常に二、三年先を見据えなければならない。

野球に限らず、多くのスポーツ、ひいては一般企業でもしばしば渦巻く「世代交代」の難しさを端的にまとめている。

16人の監督のうち、6人は執筆当時現役だった。
「戦い」が現在進行中の状況で日和見にも暴露趣味にも陥らず、当該人物の功罪をあぶりだすのは至難の業だが、著者は自身が「はじめに」で記した通りの情熱と醒めた目のバランスの取れた視点を保ち、ある程度それに成功している。

通読すると野村克也の言う「監督をしたいひとは多いが、やってみればこれほど分の悪い仕事はない。ハリのムシロに座り、負けるとただの人」が重く感じる一方、近藤貞雄が自身は本命の監督候補でないと知りつつ大洋のオファーを受けた理由を問われて「断るつもりだったが、血が騒いでね」と答えた監督業の面白さもじんわり伝わってきた。

さて続いては「監督たちの戦い」に登場した監督が日本経済新聞の名物コラム「私の履歴書」で半生を記したものを御紹介したい。

西本幸雄「私の履歴書」【熱く強かに】

大毎、阪急、近鉄の3球団で監督を務め8度パ・リーグ優勝しながら日本一に縁のなかった西本幸雄(1920~2011)。
『監督たちの戦い』でつけられたキャプション「熱血手作り野球」の通り、体当たりで選手に向き合い福本豊、山田久志、梨田昌孝などを鍛え上げ、弱小チームを優勝まで導いた。
育てる力と勝つ力を兼ね備えた監督は意外に少なく、またチームの成長過程では当然アップダウンがあるため、球団フロントとの駆け引きに勝たないと志半ばで退く羽目になる。
西本幸雄はグラウンドの外でも激しく戦い、種蒔きから開花まで監督にとどまれた。

詳細は下記リンクの2020年に筆者が西本幸雄生誕100年としてブログで綴った記事を御覧くださればと思う。

鶴岡一人「私の履歴書」【通算最多勝「親分」の知性】

南海ホークス(現、福岡ソフトバンクホークス)一筋で23シーズン指揮を執り、日本プロ野球史上最多通算1,773勝をあげた鶴岡一人(1916~2000)。
球史に輝く名将だが実は選手(内野手)時代の実績も堂々たるもの。
兵役を挟んで実働8年、戦後の7シーズンは監督兼任ながら本塁打王(1939年)、打点王(1946年)を獲得。1946年・1948年・1951年の3度MVPに輝いた。
戦後の混乱期の兼任監督時代を鶴岡はこう回想する。

プレーイング・マネジャーなんて呼び方をされたこともあったが、そんなハイカラなものではなかった。米軍の倉庫にされていた中もず(南海沿線)の合宿を返してもらって住み、近くの畑にイモを植えた時期があった。食い物のことで大の男が争ったこともあった。

浜田昭八『監督たちの戦い・決定版 下』

1946年に再開したプロ野球最初の優勝チームは29歳の鶴岡(当時山本姓)兼任監督率いる南海ホークスの前身グレートリングだった。
「祝宴」として実兄が差し入れた薬用アルコールを湯で割り、香料をたらして、スルメや豆をつまみにささやかに乾杯した。
その後、2リーグ分立を経て最終的に通算11度のリーグ優勝(日本一2回)を重ねたが忘れがたいのは、初優勝のささやかな「祝宴」だと鶴岡は述懐する。

戦後の混乱期には中心選手兼監督としての役割以上に様々な問題への対応を求められた。
例えば八百長対策。戦後まもなくのプロ野球は賭け屋に汚染されていた。
鶴岡は様子のおかしい選手がいないか眼を光らせ、疑念を抱くと警察に尾行を依頼。証拠をつかむと当人の将来を考慮してひそかに追放した。
女性を巡るトラブルも多く、遠征の宿舎を繁華街から遠ざけるなどの苦労があったという。

自由競争時代のジャイアンツ、ライオンズとのスカウト合戦で苦しみつつもファーム組織の整備やテスト生出身の野村克也や広瀬叔功を抜擢するなど時を大きく隔てた現代のホークスとダブる育成力で強いチームを構築。
加えて外国人選手の扱いも巧みで今風に言えば「おもてなし」を活用した。
この点については下記リンクの筆者ブログ記事(2017年)で。
吉田義男の『牛若丸の履歴書』(日経ビジネス人文庫)の記述も一部紹介している。

後年、野村克也が発言や著書で何かにつけて鶴岡を「精神派」と決めつけた。確かに軍隊経験者特有のドスのきいた号令こそあったが、言葉の端々から感じられるのは先見性、合理性を重んじる姿勢。
また大リーグ視察を通じてGM制度に興味を持ち、自身もゆくゆくはと考えたそうだが諸事情で実現しなかった。
なお、野村克也の著書には殆ど書かれていないが、鶴岡は野村の存在を知らせる峰山高校の校長先生の手紙を見て入団テストの前に西京極球場に試合を観に行っている。

『監督たちの戦い』と2人の「履歴書」の文面から鶴岡一人、西本幸雄の「私の履歴書」は間違いなく浜田昭八の構成だと考えられる。

野村克也『無形の力』【歴史と現在を繋げた集約者】


語り尽くされたひとなのでInstagram投稿と、下記リンクの筆者のブログ記事2本を読んで頂ければ。

※文中一部敬称略

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