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永田紅『春の顕微鏡』(青磁社)

 第四歌集。2006年秋から2011年末までの5年間31歳から36歳の676首を収める。終わった恋に寄せる歌、研究生活、東京での、また京都へ戻っての暮らし、母である河野裕子の癌の再発、自身の病気、結婚、祖母の死、母の死、祖父の死など様々な出来事が作者の周囲で起こった。そうした出来事を自身の中を濾過した言葉で丁寧に紡ぎ出す。読んだ後、心がふっくらと膨らむような歌集だ。特に前半に多い相聞歌はどれも透明感のある美しさに満ち、読者が自身の半生を振り返るよすがともなるものと思った。

説明のできぬことだと言われれば雪虫飛ぶなか微笑むほかなし(P15)
 自分は相手から受け入れられなかった。忙しい生活のなかで突然それを告げられる。上句はおそらく相手の言葉だろう。相手も自分の気持ちを説明することができないのだ。そして主体はその説明のできなさを理解できる。一度触れ合った心と心が離れてゆくのを見守る一連。どの歌も心に沁みた。

会わざりし時の間の出来事をことさら語るということもせず(P39)
 疎遠になって会うことも少なくなった人。おそらくは一度は深く心を通わせた人だろう。会わなかった間に起こった色々な出来事をわざわざお互い語り合うということはもうしない。ただ、当たり障りのない話をするに過ぎない。関係性が変わってしまった。そしてそれが元に戻ることはもう決してない。

メロンパン鯉にやるため買いにゆき並びて池の縁にしゃがみぬ(P70)
 麩ではなく、パン。それもメロンパン。鯉にメロンパンをやるのは主体の思い付きか、あるいは池端に「鯉の餌」としてメロンパンが売っているのか。その具体の意外性にぐっと意識を引かれるが、大切なのは下句。誰かと並んで池の縁にしゃがんだ。もちろん鯉に餌をやるためだが。その「並びて」に誰と、というのが全く消されているのがこの歌の読みどころだと思う。一人では無いことはもちろん分かる。そして例えば「人と」とでも入れれば分かりやすくなるところを敢えて一切言わない。言わないことで表されることがあるのだ。

君には君の巻き戻せない時間軸 栞は何本あっても足りない(P83)
 時間は巻き戻せない。しかし時間の流れをどのように感じ取るかは人によって異なる。君には君の時間軸がある。主体の時間軸同様、元に戻すことはできないのだけれど。それぞれの時間に栞を挟むように慈しみたいのだが、栞が何本あっても足りない。ここは覚えておきたいという瞬間が多過ぎるのだ。

野の花の黄色き蘂をゆらしつつ悲しみは蜂が集めてくれる(P96)
 蜂が集めているのは野の花の蜜だろう。「悲しみは」以外全て描写なのだが、この一語があることで一首の象徴性が高まる。蜂が集めているのは私の悲しみだ、と思いながら見ている主体。蜂が集めてくれるから、それに任せておけばいい、自分で自分の悲しみを何とかしようとしなくていいのだ。

疾うに君をそしてわたしを蔓草の縛りから解いてやるべきだった(P102)
 「ジシバリ」三首の最後の一首。短いがとても濃い連作。あまりにもお互いを理解し合い、お互いが自分の分身のようになった関係ゆえに、まるで縛られたように離れられなかった二人。もっと早く別れるべきだった。そうすればまた違う人生の岐路があったかもしれない。深い後悔と疲れを感じながら何とか執着を手放した。あるいはまだ手放そうとしている最中か。
 連作としてあまりに惹かれたので三首とも引いておく。
我よりも我に似たると思うまであなたを長く待たせていたり
ふかいふかい理解のゆえに切れ難くジシバリは地を縛りて咲けり
疾うに君をそしてわたしを蔓草の縛りから解いてやるべきだった

表現ってなにが本当なのでしょう表わされたものだけが偉くて(P116)
 「表現」八首より。この歌は同連作中の次の歌と響き合っている。
本当にしんどいことが表現にたどりつくまでに死んでしまいそう
 短歌を詠むことは自分の中にある何かを表現することによって、その部分を曝してしまうわけだが、本当に自分の中にあるものを引き出せているかどうかは分からない。もしかしたら表現の途中で脚色されたり、すり替わったりしてしまうかもしれないのだ。一番表現しなければならなかったことが表現に行きつくまでに死んでしまう、そして美しく表現できたものだけが評価される。そんな実感は、表現する者の多くが持つものだろう。

銀色の繊さをおそれ触れぬよう糸をくぐりて歩きし日あり(P232)
 自分の若い頃を回想している歌。これも前後を含めて読みたい歌。
若き日の好意はほそき銀色の糸を樹間に張りめぐらしぬ
銀色の繊さをおそれ触れぬよう糸をくぐりて歩きし日あり
笑いつつ気づかぬふりをせしことものちに気づきしこともありたり

 はっきりとは告げられてはいないが、相手からの好意が伝わってくる。その好意に応えることができない、けれど相手の気持ちを傷つけたくない、そんな気持ちで蜘蛛の糸のような繊細な思い、張り巡らさせた思いに触れぬよう、くぐって歩いていた。お互いの好意が常に等価で釣り合う訳では無いし、特に若い頃は互いにそうした好意を張り巡らせることが多い。張り巡らされた糸も繊細だが、それに気づく心理も繊細だ。

鳥柱この世につづくまたの世のあるごとく空を捩じりていたり(P147)
 鳥柱そのものが捩じれていくのだが、それを空を捩じる、と把握した。捩じられて時空の歪んだ空から、この世につづくまたの世が覗くようだ。母を亡くした喪失の日々の中で詠まれた一首。読者である私は今後、鳥柱を見る度にこの歌を思い出すだろう。

君の辺に流れつきしは偶然でそこから先に意志はありたり(P289)
 夫を詠った歌。君に出会ったことを初句二句のように表現する。まるで頼りない木の葉が、水の流れによって流れ着いたかのようだ。そこまでは偶然。しかしその後、君との結びつきを深め、最終的にお互いを伴侶として選び合ったことは意志なのだ。流れついた偶然を、意志の力で運命に変えている。素直な明るさ、前向きさに満ちた歌。

 折にふれ、ページを開いて読みたい歌集。今回、十首評は十首のみという自分ルールを破って多くの歌を引いた。やはり一冊の歌集を十首で表すのは難しいな。

青磁社 2018.9.  定価(本体3000円+税)





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