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そしてもう一度、私は自分に期待する。


サッカー選手現役の時に、こんな事を言われたことがある。
「自分に期待しなさい」

これは、以前noteにも書いたことがある。

この言葉は、あの時の私を救ってくれた。
一度戦力外通告を受けてから、私の自信はきれいさっぱりなくなっていた。移籍した先でも、プレー中はいつも失敗する事を怖がっていたし、こんな自分が結果を出していくのはどうせ無理だと、心のどこかで思っていたのだと思う。

でもこの言葉を貰ったとき。ありったけの勇気をかき集めて、自分はできるのだと信じた。意識が変わり、行動も変わった。小さな成功体験を積み重ねていくうちに、心からサッカー選手としての自分に期待することが出来るようになった。この経験は、これから私が生きていく中でも大きな意味をもたらしたと思っている。


…そして、このnoteを読んで自分は変われたのだと言ってもらったことがある。周りではなく、自分と向き合うことが出来るようになったと言ってもらえた。
”自分に期待する”という言葉が誰かの生き方を大きく左右するのだと知っているからこそ、この一か月で気が付いた「期待すること」の落とし穴と、今の私が、この言葉とどう向き合っているのかを今回は書いていきたい。


真逆の言葉にほっとした日

大学卒業と同じタイミングで現役を引退してから、私は新卒社員として企業に勤めていた。
当たり前に、初めてのことだらけ。できないことだらけ。
でも、ベンチャー企業で人も少なかったことから、私は早く結果を残さないとという意識に捉われていた。

でもまあ、そんなすぐ上手くいかない。働き始めて5ヶ月、結果が出ない。元々そんなに器用ではない私は、もっともっと積み重ねていかないと出来るようにならないよ、と今ならわかる。
でもその時は必死だったから、結果を出さなきゃここにいる意味はないと思っていた。

”大丈夫、私はできるから”
そう自分に期待して、自分を追い詰めていた。自分の期待に、自分が追いつけなくて。どんどん追い込まれた私は、わかりやすくへこたれていたと思う。


そんなある日のこと。会社の先輩と帰りの時間が被った。
駅までの道のり、約10分。元々そこまで人に踏み込んでくる先輩ではないから、帰り道が気まずくならない程度の当たり障りのない話をしていた。お腹が空いたとか、コロナがどうとか、もはや覚えていないザ・世間話をする私たち。

そしたら、もうあと30秒で駅に着くという時に先輩が口を開く。
「最近仕事どう? 」

いまかーいって思ったのはすごく覚えている。ウォーミングアップが長いのよ。もう目の前が駅なんです。9分半あったじゃないですか。

そんな心の声は出さず、私は正直に答えた。
「しんどいですね」。
その時期の私は、一人で初めてのミッションにとりかかっていた。出来るよわたし。って自分を奮い立たせながらも、プレッシャーに押しつぶされそうな日々に、結構弱っていた。

そうしたら先輩が、目の前でごにょごにょ考えながら、絞り出すように言ってくれた。

「あのさ、いい意味で期待してないから」


たぶんこの時私、笑っちゃっていたと思う。えー!って言いながら。
そしたら先輩も笑いながら必死に、「いい意味でだからね??いい意味で!」と何度も念を押していた。

最後に「だから、思いっきりやったらいいんじゃないの」ってちょっとぶっきらぼうに言っていた。もしかしたら、先輩にはまだウォーミングアップが足りなかったのかもしれない。
この時私はありがとうございま~すってヘラヘラしていたと思うけど、先輩と別れて一人になったとき、すごくほっとしたのを覚えている。期待していないの一言に、救われた私がいた。

自分の心が壊れそうになるくらい自分に期待しなくてもいいのかな。
そんな無理に期待しなくてもいいのかな。なんて思った。




期待に凝り固まる私のプライド

そしてそのすぐあとに私は退職した。
無職になった私は、12月の後半にこんなnoteを書いた。

自分の力で勝負して、経済的にも自立していくことに、自信がない。私は私の文章が好きだから、否定されるのが怖い。あなたの文章は価値がないといわれるのが怖い。

…こんなことを言いながらも私は、これから文章で勝負していこうと覚悟を決めたのだ。

ニートの肩書きを捨て、物書きですと言いながら生きていくと決めたときに避けては通れないものがあった。それが「人に文章を直されること」

私は本当にほんっとうに自分の文章を直されるのが嫌いだった。
鳩の次に嫌いなもの、自分の文章にケチをつけられること。

言い回しを変えられるのはもちろん、文末の1文字でさえ直されるのが嫌。現役中、リーグのブログとやらの順番が回ってきて、スタッフさんに勝手に文章を変えられたときは、チームメイトに1時間ほど憤りをぶちまけたこともある。


そんな私がニートの肩書きを捨てたとき、一番にやったことがある。

人に、文章の添削をお願いした。
元々出版社で働かれていて、編集者として活動していたこの道のプロの方に、自分の文章をみてもらった。そこで現実を目の当たりにしたのである。


まあ直される直される。笑
自分の文章に赤文字が入れられる。赤線が入る。もう大ダメージ。
黒かった文章が真っ赤に染まるのに耐えきれず、ちうめちゃん号泣。笑
その時の感情メモを特別に公開。

直された文章の方が絶対良い。でも今この文章を書いてと言われても書けない。よいのかなという感じ。素直にこれは私の文章じゃないなという感覚。

わかりやすく拗ねております。笑
2022年初泣き。

誤解のないように言っておくと、文章を直してくださった藍さんという方は本当に優しい。私のことを考えて言葉を選んでくださっていた。傷つくことは何も書いていない。
ただ、私の文章の出来がどん底に悪かっただけ。


そして、本当は気づいていた。
私はずっと「この状態から逃げていたことに」


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私にしか書けない私の人生。ゼロからスタートの全力の人生。すんごい楽しい。面白いもの見せます。

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2022年1月〜 ワタシトノケシキ 著者・ライターとして、自分の文章で生きていくと決めた私自身の物語。そんな私が"今"見えている景色が、こ…

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