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東京駅に降り立ち道に迷う夢

先程まで寝ていた。

部屋の明かりもつけたまま、中途覚醒を繰り返し、ちょっと苦しいものだった。

うとうとしなががら何度も苦しい夢を見ていた。

その最後の夢を覚えている。

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どうも最初は高校時代のようだったが、いつのまにかカウンセラーになって学会に出席するために上京した、ということにすりかわっている。

私は東京駅に降り立つ。そこから目的の学会開催地(東京国際フォーラム? 学会開催地の定番でもあり、臨床心理士資格試験の会場としてもおなじみの場所)に向かうはずが、道に迷ってしまう。多くの参加者がぞろぞろと歩いている。

(現実の東京国際フォーラムは、丸の内口から南に歩いて有楽町駅前まで500メートルまっすぐ歩けばたどり着けるのだから、迷いようがない)

東京都の中央区と千代田区の境界線が載っている路上の地図を私は確認している。

たまたま行きあたった喫茶店がある。私はそこに入る。

すると、そこの、何と言ったっけ? 拭うための薄い乾いたティッシュのようなもの・・・どうもそれを所持していれば、会場に遅れた際の通行証?のようなものになることがわかる。

私は店の外に出て、道に迷っている参加者に、「この紙を持っていれば大丈夫です」と呼びかけをはじめる。

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実は私は昨日の午後から、Twitter上の、私のTLのひとつのツイートに少し傷ついていた。

私は昨日にかけて、5000人という上限に達した、フォローしているアカウントを大幅整理し、そのぶん、片っ端から、カウンセラー、発達障害、PTSD、生活保護の当事者を見つけ次第フォローしていった。

そうした新規フォローした臨床心理士のひとり(恐らく若い人)が、ボソッと次のようにつぶやいていた。

「少しツイート数が増えてくると、あの同業者に絡まれてしまうのだな」

自意識過剰かもしれないか、私のことだと思った。

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私は、ネット上では一風変わったスタンスをとっているカウンセラーである。

カウンセリングに関する情報提供は滅多にしない。政治に関するリツイートも多く、最近は障害当事者のツイートのリツイートも多い(リツイートによる拡散がご本人にとって強すぎると思ったら、「いいね」止まりにしているが)。

かと思ったら、おたく関連の書き込みのリツイートも(相当吟味しているが)結構多いし、時にはフォロアーの心の安らぎにもなるだろうと、ネコ写真を結構リツイートする。

そして、眞子さま問題が紛糾するまでは、自分からはウマ娘Youtube実況の告知や、ブログのオーディオ系新エントリーへの誘導、かと思えば相川七瀬エントリーへの誘導とか、そんなのばかりであった。

カウンセラーは、クライエントさんに先入観を与えず、しかも、精神分析的に言えば、クライエントさんからの「転移」と「投影」を妨げないために、「透明な鏡」であるのが望ましく、プライベートはみだりにさらさないのがいいとされる。

ところが私は、特にブログではまるで正反対の方略をとっている。

自分の趣味や、多方面におよぶ映画や読書のレビューは晒す。オーディオや音楽趣味も晒す。自分の生育歴を含めたプライベートも晒す。

つまり、自分の個性を歴然と晒すことをむしろ確信犯的ポリシーとしてきた。

このことにより、私のカウンセリングを受けようという人のモチベーションを削ぎ、ブログ経由の新規クライエントさん獲得を妨げているのではないかとは常々思ってはいた。

でも、むしろこのようにしておくほうが、それでも敢えて私のカウンセリングを受けようとしている人のみを相手にしていくのが、クライエントさんにとっても、私にとっても、ちょうどいい安全な距離間となり、安全弁となると考えてきた

もっとも、私は別に独立した形で自分の開業オフィスのサイトは持っているし、Twitterアカウントも持っている。

そんなに流行ってはいないが、私へのカウンセリング申込みは、すべてといっていいほどそちら経由であり、そもそもネットではchitose=私の本名であることは検索不能。私のクライエントには私がchitoseであることを自分から教えたことはない。

それでも、先程のようなツイートが流れてくるということは、ネット上の私についてのよくない噂でも、同業者の間にはあるのかな?と、少し悩んでしまったわけである。

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特に今月に入ってからは、眞子さま複雑性PTSD診断公表問題に関しては、非常に積極的なネット活動を展開してきた。

しかし、それはこの問題について、精神科医を含む専門家が、ネット上でもマスコミ上でもあまりにも声をあげず、沈黙していることに「いくらなんでもあんまりだ。このままでは複雑性PTSDの診断を受けた当事者が新たな偏見にさらされるのを放置することになる」というやむにやまれぬ思いからはじめたことであり、自分の売名などは全く考えてはいない。

ただ、ネット上にセフティネットを形成し、当事者の皆様に「こんな専門家だっている」というエンパワーメントになればという目的で、ある意味では淡々と、決して感情的にはならずにやってきたつもりである。

私に疑問を持つ人には、「全員」、紳士的で論理的で冷静に応対してきた。

おかげで、殆どの場合、立場の違いを超えて、非常に友好的にネット上の対話を終えることができてきた。

そうした人たちの疑問に答える中で、私のいいたいことの核心がより一層明確化され、新規書き込みに反映させてこれたくらいだから、いちゃもんをつけてくれた人には皆感謝している。

そこで上記の同業者からの(名指しではないので私の自意識過剰かもしれないが)ツイートである。

へこんだ。

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そこに最初に述べた夢である。

私は「専門家としてのスタンス(学会参加)」の「道に迷って」いたのだと思う。

しかし、喫茶店の、あの「薄い紙」という、予想外のものが、「通行証」「道案内」として機能することに気づく。

あの薄紙は、食事のあとに口を拭うために主として用いられるものである。

夢の中の私は、その効能を信じて、再び外に出て、そのことの「広報」をはじめる。

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このことを書こうと思ったら、私のTLで、昨日、高卒の一般の人が、カウンセラーの学歴を気にして、

「話が通じない気がするので、心理士資格制度の敷居を下げるべきだ」

というツイートに対して、

「カウンセラーにも論理性と専門性が大事で、そのための担保して大学院出であることは重要。話が通じないなどと自分から言い出すカウンセラーもいるかとは思うが例外だろう」

と、私の知り合いの信頼おけるカウンセラーがレスしているのに絡んで、私は

「数多くのクライエントに接していれば、相手の社会的立場や障害の程度に関係なく、『敬意』を払えるようになるのが自然だと思う。もしそうならない治療者がいるとすれば、その人は自分の中にある、『普通』コンプレックスのようなものを自己分析すべきである」

とコメントしておいた。

それを前述のカウンセラーは「いいね」してリツイートしていてくれた。

私はほっとした。

もう、ブレないと思う。

●カウンセラーchitoseの雑記帳

●久留米フォーカシング・カウンセリングルーム

https://kasega.way-nifty.com/kurumefocusing/

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