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モノセックスな服装、そしてその変遷

Xジェンダーやクエスチョニングを自認している方のnoteを読ませて頂くと、わりと着る服に悩んでいる人が多い印象を受けた。
前回、「モノセックスな正装の話」を書いたので、今回は「セクシュアリティを決定していない」わたしの普段の服装について書いてみたいと思う。

実を言うとわたしは、正装以外の服装に特段悩むことはない。
通っていた中高一貫校が私服の学校で、古着好きな子が多かったことが、その理由の1つだ。

古着好きな人はわかると思うが、あの界隈はけっこうジェンダーレスである。
メンズを女性が試着する場面も、レディースを男性が購入している場面も、古着屋ではわりとよく見られる。
メンズの服をわたしが手に取っていてもジロジロ見てくる人はまずいないし、レディースコーナーを物色している男性がいても特に誰も反応しない。

古着におけるメンズ/レディースの区分けは、(古着愛好家が全員そんなことを意識しているわけではないだろうが)サイズ感の目安として使われているに過ぎない印象を受ける。
セクシュアリティを抜きにして、ただ単にボーイッシュな服装が好きな人はメンズ服のダボっと感を求めたり(オーバーサイズは女性性の強調に使われることもあるが)、細身のキレイめな服装を好む男性はレディース服にジャストフィットを求めていたりする。

わたしが古着にのめり込むきっかけは、周囲の子が着ていたというのもあるが、なによりその値段の安さへの衝撃だった。
下手をしたら新品の半分以下の価格で、ラルフローレンやラコステなど到底手が届かないブランド服を買えてしまうのかと目から鱗が落ちたのを覚えている。
他の子たちも、最初は毎日私服を着るため、コストを安く抑えたくて古着に走ったようだが、徐々にその魅力に取り憑かれて、積極的に古着を好むようになっていったという感じだった。

古着好きな子たちに連れられて、高円寺や下北沢や原宿の古着屋を巡るのは楽しかった。
ハンジロー、フラミンゴ、シカゴなどの有名チェーン店から入り、その魅力にズブズブに漬かった。
もっと沼に引き摺り込もうとしてくる友人たちにより、チェーンではないニッチな古着屋にも通うようになり、高校に上がるころには手持ちの服はほぼ古着になっていた。

買うのはもっぱらメンズだった。
当時も今も、わたしの定番スタイルは、オーバーサイズのトップスにショートパンツである。
わたしにとってショートパンツは、「中性」の象徴だった。

ロングパンツは男性的であり、スカートは女性的だと捉えるなら、そのちょうど真ん中をいくのが、ショートパンツだと思っていた(今も思っている)。

余談だが、20歳を過ぎてから友人に勧められて知った、アニメ・漫画『少女革命ウテナ』の主人公ウテナ(自称詞は「ボク」)も、バラ色の学ランにショートパンツを着用している。
ショートパンツを中性的だと感じるのは、自分だけではないのかもしれないと、ウテナを知って思った。

とにかく、思春期の、まだセクシュアリティに自覚的ではないものの少なからず違和感を覚えていたわたしにとって、古着はパラダイスだった。
ここではメンズを選んだって店員すら「似合うと思いますよ!」と勧めてきてくれるし、そもそも古着好きな人は自分の買い物に大抵熱中しているので、他人が何を選んでいようが試着していようが、さして興味がないようだった。
その個人主義さも、わたしには心地良かった。

そんな感じで思春期は、ときには上下ダボダボのかなり男性性の強い服装を着るときもあれば、先述したようにショートパンツでバランスを取ることもあり、「服」をとても楽しんでいた。
「既存の性別に当て嵌まりたくない人」がよく「何色を身につけたらいいかわからないから、黒しか着れない」と言っているのを耳にするが、わたしは特にそんなことを考えたことはなかった気がする。

むしろ、「女性性が強い」とされる赤やオレンジ等の暖色系の色を好むし、逆にモノトーンでまとめたりシックな服を着ることはない。
これはもう単純に服装の好みだとは思うが、まず色に性別を感じることが「わたしは」なかったからかもしれない。
それに、戦隊モノの真ん中は決まってレッドだったし、なにより大好きだった仮面ライダークウガも赤色だ。

だが、服装に迷いが生じた時期もあった。
20歳を過ぎた頃、わたしはなんとなく「このままじゃダメなんじゃないか」と思ってしまったのだ。
編入前に通っていた関西の大学には古着を着ている女の子はおらず、「ボーイッシュ」を自称する女の子はいたにはいたが、正直垢抜けないことへの言い訳に「ボーイッシュ」という言葉を使用しているように見えた(ファッションの知識に長けている人ばかりの中で思春期を過ごしていたため、単純に服に興味が無い人が世間にいることを知らなかったのだ)。

周囲の女の子たちが本格的にメイクをし出し、「このままじゃ浮いてしまう!」と危機感を覚えた。
なんとか社会に順応し、わたしも「まともな女の子」にならなければ、と焦ってしまった。

その結果、だんだんと何を着るべきかわからなくなってしまった。

とりあえず赤やオレンジなどの主張の強い色よりも、同じ暖色系でももっと「女の子」らしいピンク色を意識的に選んだ。
ベリーショートだった髪もボブにし、成人式を控えていた時期は肩下まで伸ばしたこともあった。

次第に古着屋からも足が遠のき、LUMINEなどに入っている既製服を選ぶようになった。
だけど、どれもまったくしっくりこなかった。
もっと正直に言えば、男性にモテたかったという気持ちもあった。
女の子らしい格好をすれば、よりたくさんの男の人に好かれるのではないかと勘違いしていた。

服装の迷走期は2、3年続いた。
三年次編入で東京に戻ってきたころには、「カジュアルな女の子の服」に一時的に落ち着いていたのだが、自分の中での違和感が拭えることはなかった。

しばらく自分のファッションに対してモヤモヤを抱えていたのだが、服装の転機は大学院時代にもう一度訪れた。
少年犯罪から流れるようにジェンダー論に手を出し、研究する中で、「性別に拘らずもっと自由に服を選んでもいいんじゃないか」と再び思えるようになったのだ。

そしてわたしは、しばらく足を運んでいなかった原宿キャットストリートへ行った。
ハンジローはいつのまにかなくなっていたが、フラミンゴやシカゴはあいかわらずそのままで、加えて新しい古着屋もぽつぽつとできていた。

そのうちのひとつ、主にメンズのアメリカ古着を扱う店に入って、思春期のときの服へのときめきをもう一度はっきりと感じた。
求めていたのはこれだ、わたしの着たかった服はこれだ、と確信した。

店員さんとおしゃべりしながら服を上下で見繕ってもらい、試着をした。
古着屋の片隅の全身鏡に映るわたしは、本当の「わたし」だった。
カーハートのダブルニーのインディゴのデニム、オーバーサイズのスウェット、そしてラルフローレンのスウィングトップを羽織ったわたしは、ここ数年の中でいちばん正しい「わたし」だった。

その日、中学生のときに初めて古着屋に入ったときとたしかに同じ高揚感を抱えて、それら全てを購入し(計3万円強!)帰宅した。

現在、わたしの服装は高校時代まで「回帰」した。
もっと正確に言えば、高校時代の服を少しだけアップデートした形に固定された。
髪も再び短く切り、ベリーショートに戻した。

最近も、定時で仕事を切り上げた後、夜の原宿古着屋巡りをした。
そのときの収穫が、アイキャッチ画像である。
ベティちゃんのTシャツに、ラルフのLサイズコットンニット、FIVE BROTHERのネルシャツ、70年代もののベイカーパンツ。
いずれもすべて、メンズ服だ。

昔と同じように、いや、それ以上に、27歳のわたしは「服」を楽しんでいる。

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