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円空~仏は自然そのものの中にある
記事内の画像はすべて許可された範囲で
2022年4月1日に撮影しました。
主人と二人で中の島の国立国際美術館「古代メキシコ展」へと向かったのですが、なんと休館日!
自分たちの間抜けさに呆れ、どれだけ落胆したかは言葉にできないほどで、しかもこの日は4月1日とは思えないぐらいの夏日のため、歩いているだけで身体にこたえる暑さに疲れは倍増しました。
アホ過ぎて精神的に落ち込む💧
こちらは前売りチケットをすでに購入しているので、また後日行くとして、今回は4月7日で終了するあべのハルカス美術館「円空」を鑑賞してきました。
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地面に立ったままの木から掘り出されたと伝わる像
案内チラシより
生涯に12万体⁉
現存するのは5千体。
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円空は寛永9年(1632)~元禄8年(1695)という江戸時代前期に生きた僧侶・仏師です。
仏像制作は超精力的で生涯に12万体も彫り上げたと言われています。
荒子観音寺(名古屋市中川区)所蔵の『浄海雑記』(全精筆)によると,「自ら十二万ノ仏軀を彫刻スル之大願ヲ発シ」云々との記述があることが根拠とされている。
いくらなんでも12万体なんて、あまりにも天文学的な数字で、とても事実とは思えない。
話を半分に聞いたとしても、とにかく信じがたいほど多作だったといういうことなのでしょう。
確認された現存のものででも5千体以上もあるそうです。
洪水で非業の死を遂げた母の供養のため出家して全国を行脚する放浪の旅に出ました。
一説には、幼いころに長良川の洪水で母を失くしたことをきっかけに出家したらしく、彼にとって愛すべき故郷の美しい大自然が最愛の母の命を奪うという理不尽さを感じて仏門に入ったようです。
しかし、その思いを払拭しようとしても叶わず、全国を行脚する修行僧として流浪の旅を続けることになりました。
「円空仏」と言われる独特の作風
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円空は特定の宗派や寺院に所属することなく、自然の中を旅しながら山岳信仰の修験僧として厳しい荒行に身を置くことになります。
それは最初こそ、深い苦しみから抜け出そうと足掻いてるだけだったかもしれません。
そのような生活の中で、彼は説法を説くのではなく、黙々と仏像を彫り続けることに生きがいと哲学を見出していきます。
やがて仏像制作に中に独特の世界観を作り出して「円空仏」と呼ばれるまでになるのです。
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日本書紀では逆賊とされている一方、土地を開拓し豊かさをもたらした英雄とされている。
案内チラシより抜粋
手に持つのが「刀」ではなく「斧」なのが、なんとも農耕者らしい。
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トーテムポールみたい!
2mぐらいの高さはあったと思う。
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頭上の三角帽子は角を表現しているかも?
円空が狛犬を彫るとこうなるのか~!となんかビミョーな感慨があった。
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仏は自然か人為か
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作品を見て、
「こんなのだったら自分も頑張ればできる。」
「子供の工作か!」
などと思われた方いませんか?(笑)
確かに有名寺院にあるような滑らかな地肌の仏像でなく、荒々しくノミの跡がそのまま残る作品たちですが、晩年に至るほど、その特徴は顕著となり、よりゴツゴツとした質感へと変化し、抽象化されていきます。
中には冒頭の金剛力士(仁王)立像(吽形)のような丸太の形をそのまま残した作品も複数点あり、あくまでも自然の造形を壊すことなく仕上げています。
これこそが円空の修行の表れなのではないでしょうか?
神道の考え方を仏教に
円空の作品を観ていると、「神道」のようにあらゆる自然に八百万の神が宿るという考え方に近く、すべての自然の中に「仏」が宿るという円空の悟りのカタチが見えてくるように感じます。
心身の奥底の神道流の考えを持ちながら、仏教にもその基盤を投影させたような感じで、神仏習合が当たり前に根付いていた日本人だからこそ到達できたものではないでしょうか。
仏像は人為的に作り出すものではなく、すでに自然界の中に潜んでいて、それを表面化する手助けをしたのが円空の仏像作りであり、悟りの成果だといえるのかもしれません。
本来、仏も自然界の中に元々存在するゆるぎないものだと強く訴えてくるのが「円空仏」なのだと解釈せずにはいられない作品たちでした。
◇◇◇
今回の美術展で飛騨高山の「千光寺」のものが多くみられました。
上記の斧を持つ両面宿儺が4世紀に開基したと伝わる高野山真言宗のお寺だそうで、「円空仏寺宝館」もあると言います。
一度行ってみたいなぁ。
案内チラシ(PDF:6.69MB)
目録(PDF:2.79MB)
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