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瞑想リラクゼーション

先週、美容院で何気なく雑誌を見ていたら、「カジュアル瞑想」という見出しが目に留まりました。

ざっと内容を紹介すると、「瞑想」と聞けば、なんだか宗教臭くて大層なイメージがありますが、普段の生活スタイルに自然に取り入れ、思考と精神を再起動させるというものでした。

例えば…
・靴ひも瞑想(あえてゆっくり根元から締め直す)
・休憩瞑想(空き時間を利用して)
・電車瞑想(つり革を持ちながら)
・眺める瞑想(1分間、同じものを眺める)

これらは全て、日常の中で誰にでもあるついボーっとしてしまう事が、実は瞑想効果があるのだというのです。

瞑想とは、心を静めて無心になること、何も考えずリラックスすること、を静めてに祈ったり、何かに心を集中させること、目を閉じて深く静かに思いをめぐらすことなどとされている。

Wikipedia

なるほど瞑想のそもそもの意味を考えると、スマホやPCから意識をいったん切離するデジタル・デトックスにも大いに役立つものかもしれません。




毎朝1分間の瞑想体験

過去の記事でもお伝えしましたが、私は仏教系の高校に通っていました。
さほど宗教心のない家庭に育った私にとって、その3年間は非常に濃いもので、ある意味驚きの連続でした。

仏教行事はもちろん、般若心経を唱えたり、書かされたり、卒業間近には寺の宿坊に一泊させられて、坐禅を組まされたり、灌頂会かんじょうえと言われる仏教儀式に参加させられたりしました。

当時は私も若かったせいか、とにかく全てが辛気臭くて、イヤイヤ参加させられている感がいっぱいでした。

その中でも毎朝、教室で着席したまま手を合わせて「1分間の瞑想」があり、これまた内心はどうしてこんなことをしなければならないのかという思いがいっぱいでした。

しかし、強制とはいえ、毎朝してると、50%の確率で上手く呼吸を整えられ、頭がすっきりする感覚になり、そのうちにまったく苦ではなくなってきたのです。

そう。上記の「カジュアル瞑想」を読んで、忘れていたその時の感覚が蘇りました。



何かに集中して”無”になる感覚

「瞑想」というと、高校時代を思い出し、どうしても身構えてしまうのですが、実は日常生活の中に自然と出来てしまうことのようです。

例えば、
手芸、絵を描く、楽器演奏、習字などに取り組んでいる時。
スポーツに熱中している時。
もっと言えば、掃除している時なども、何かをしている状態でありながら、無心になれる時はありませんか?

そして、達成感とともになんだかスッキリとする感覚が残る。
それがいわゆる「瞑想状態」なのだなと、あらためて気付かされたのです。


そして、疲れた時、思考停止して目の焦点か合わない状態でぼんやりと一点をしばらく見つめていると、気分がリセットされたような感覚にも覚えがあります。

これはきっと自分の心身が疲れを癒そうとする自然現象なのかもしれません。



坐禅と瞑想は同じではないの??

上記の「月曜瞑想」の著者は京都の禅寺・両足院りょうそくいんの副住職である伊藤東凌とうりょうさんです。

両足院りょうそくいんとは?と思って調べてみると、同じく京都の臨済宗総本山・建仁寺塔頭たっちゅうの一つで、その寺内にあるのですね。


レキジョークルでも「建仁寺」は紀行していて、しかも只今執筆中の「京都・寺社仏閣編」で最初に書かせていただいています。
それに比叡山延暦寺の天台宗を書いている時には、やはり禅宗の坐禅修行にも力を入れていることにも触れたりしましています。
(執筆完成が遅れていますが💦)

執筆中にも、おぼろげながらこの「坐禅」と「瞑想」は同じではないかと思ったのです。
これらを比べて整理してみました。


共通点

  • 仏教が原点

  • 心が無になる状態

  • 呼吸を意識する


効果が同じ

  • ストレス軽減

  • 疲れにくい心身を作る

  • 睡眠の質を向上する

  • 集中力のアップ


相違点は発祥地と目的

瞑想ーインド発祥
目的:
疲れも不安もなく穏やかな気持ちを得、ストレスなく日々を生きる事。

座禅ー中国発祥
目的:
大乗仏教の一つ禅宗の修業であり、悟りの境地に近づくためのもの。


取り入れたい自分スタイルの瞑想

高校時代の「毎朝瞑想」の基本スタイルは、

  1. 手を合わす

  2. 目を閉じる

  3. 呼吸を整える

というシンプルな3ステップです。

さらには「1.手を合わす」は修行ではないので省いてもよく、
肝心なのは目を閉じて外界から己を遮断し、呼吸を整えてなるべく「無」にに近づこうとするだけで良いのです。

私たちは悟りを開こうとする修行僧ではありませんので、どうしても雑念を取り払う事はできず、無心になるのは難しいことです。

ですから、必ずしも無心になる必要はありません。

例えば、編み物をしながら、料理をしながら、掃除をしながら、何かに集中している時も一種の「無心」状態です。

あるいは何もせずただ窓から外を眺めながら、ちょっとだけ呼吸を整えてみると、それだけで大きなリラクゼーション効果が得られるはずです。

たった1分でもスッキリできる事は、私は40年以上も前にすでに経験しているので、その効果は必ずあります。

日頃からたとえ1分でも、「無」になれる時間を作る習慣を身に付けるのは、現代人には必要ではないでしょうか?


そしてまた私は、高校時代に仏教の素晴らしさに、ちゃんと向き合わなかった事を後悔しているのです。

高校の体験

毎日瞑想

精神統一

リフレッシュ

ストレス解消の秘訣は、遠い昔にすでに知っていたのかと驚き、
「今さらか!!」と自分にツッコまずにはいられません。



【参考文献】
NEWSCHAST
lifehacker
舞の道

※トップ画像はイラストACよりCanvaで制作





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