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愛寵 百済観音 話譚

以前、法隆寺の「大宝蔵院」を訪れた時、百済観音くだらかんのんについて少し触れました。

お顔のかすかな笑み、スレンダーな身体、しなやかなポーズ。
優美すぎる百済観音に二度惚れです。

「法隆寺」を堪能する-第1回~西院伽藍

撮影禁止につき、画像をお借りするとこんなお姿です。

Wikipedia
レプリカもありますが、やっぱりお顔が違う。
どう見てもオリジナルには敵わない。

ジェンダーレスなので、彼か彼女かわかりませんが、209.4cmという痩身の長身で、頭部が小さく八頭身というナイスバランスの体型は、まるでスーパーモデルのようです。

柔和な笑みを湛えながら見下ろされると、思わずこちらも微笑まずにはいられないほど惹き込まれてしまいます。
圧倒的な存在感があり、見る者をくぎ付けにしてしまうオーラを放ち、国宝約40点を含む国の重要文化財が3,000点もある法隆寺内においてでも、ひときわ異彩を放つ仏像なのです。

ここまでの大作なのに、作者不明の上、いつの作品で誰がモデルで何のために作られたのか詳細がまるでわからないのも大きな魅力の一つであり、今もなお色褪せず、人々の関心は尽きない仏像だといえます。


謎多き百済観音

百済●●観音なのに朝鮮由来ではない?!

その名から朝鮮伝来と思ってしまいがちですが、実は使用材は国産のクスノキやヒノキであることから、日本国内で作られたものだと見られています。

確かボランティアガイドの方は朝鮮由来だとか言ってたけど💦

身体全体はクスノキの一本作りだというから驚きます。
出来上がった状態で2mを超える大作ですよ!
一体どれだけの大木を、どれほどの魂を込めて彫り上げたのでしょう。

不思議な事に百済観音に関して江戸時代までの記録が法隆寺にもまったく無く、制作されたのも飛鳥時代7世紀初めと推定するしかありません。
記録がないだけに作者はもちろん、 法隆寺との関りや由来なども何一つわかっていません。

名前に百済と付いたのも大正6年(1917)の「法隆寺大鏡」での解説が最初であり、哲学者・文化史家の和辻哲郎氏や考古学者の濱田青陵氏が相次いで自書にて「百済観音」と発表し、いつしかその名が定着したようです。

それ以前の明治19年(1886)の宝物調査の時には「朝鮮風観音」と書かれていたのが、そもそもの始まりなのかもしれません。

さらにそれ以前はというと、聖徳太子の信仰対象だった「虚空像こくうぞう菩薩」として崇めていたそうです。
以前、仏様のランクについて書かせていただきましたが、「観音」はすなわち「菩薩」の中の一仏であり同格のものですが、「虚空像こくうぞう菩薩」は人々に知恵を授ける「知恵の菩薩」として有名です。

聖徳太子の明晰な頭脳もこの虚空蔵菩薩による恩恵かもしれませんね。

あくまでも人間らしく写実的に

飛鳥時代を代表する渡来系の仏師・鞍作止利くらつくり の とり
法隆寺でも金堂・釈迦三尊像や夢殿ご本尊・救世くせ観音像などの作者として有名なのですが、この百済観音はその止利とり式と呼ばれる部類とは完全に様式が異なっています。

止利とり式の仏像は側面を考慮しない正面観照性のものであり、立体感に乏しいのですが、百済観音像はより自然な人体として全体像を把握し、側面から見ても優雅なフォルムを実現されています。

側面から見られることを意識してる点で一段と進歩している

飛鳥白鳳芸術精神史研究序説

法隆寺内の他の国宝級仏像より、進化した意識と技法で作られているのです。

後世の仏像に見られるような、無表情で静止しているか、あるいは逞しさをデフォルメした筋骨隆々な体付きが多い中、百済観音に限ってはどちらにも該当しない。
「自然な人間」をとことん忠実に表現し、そのかすかに微笑む表情から今にも私たちに話かけてきそうなほどの人間味を醸し出し、身近さを感じずにはいられません。

私は飛鳥時代の仏像が好きな最大の理由に、「アルカイックスマイル」であることがあります。
元々は古代ギリシアのアルカイック彫刻にみられる「口元のみに見られる微笑」を指す言葉ですが、飛鳥時代の仏像にも多く見られ、大きな特徴の一つです。

この百済観音の微笑みは「アルカイックスマイル」と言うにはさらに控えめな笑みになり、それでも無限の慈悲が含まれていて、見ているこちらも一瞬にしてその温もりに包まれてしまう魅力があります。

朝鮮風とは?

そもそも仏教そのものが日本古来のものではなく、インドで発祥したものが朝鮮・百済を通じて伝わったものです。
仏像に関しても最初の仏師、僧や大工などは、当然ながら大陸から渡来した習得者や技術者だったはずで、本来の仏教の様式に基づいて制作され、少なくとも7世紀にはこの日本国内で制作が開始されていたことに間違いはなさそうです。

朝鮮風●●●と言うものがこの百済観音のような「写実的な柔らかで軽快な雰囲気」を指すのであれば、この作者はそれを真似た日本人である可能性もあるわけです。

ここまでの大作を遺しながら、文献の一つも残されていないのはまさしくミステリー以外の何物でもありません。

東京国立博物館やルーヴル美術館などへも特別展示されたことがありますが、その際には特注のガラスケースに収められていたと言います。

しかし、現在の法隆寺「大宝蔵院」では何にも囲われていない。
飛鳥彫刻を代表する日本古代彫刻の傑作といっても過言ではないこの「百済観音」の美しく過ぎる姿を、ガラス越しではなく、生の肉眼で360度眺める事ができる幸福を、もっと私たちはかみしめるべきだと思います。


秘仏探偵の鑑定紀行

この記事を書くきっかけになったのはこの作品を読んだからです。

仏師見習いである主人公は、作品に触れるとその仏像の作者の思いに触れ、その制作過程も追体験できるという特殊能力を持っています。
この主人公に、百済観音にも触れてもらい、その来歴を体感して欲しいなどと、ついあり得ない事を思ってしまいました。
彼による体験談を3篇収蔵した、軽く読める一冊です。

一体いつ買ったのかわからないこの本を偶然家で見つけて、読み始めたら一気読みしてしまったという始末で、実は同じ作家の作品の感想を2年半も前に記事にしていて、読了後に買っておいたのを忘れていたようですね。

この話は本当に面白かったので、同じ深津十一ふかつじゅういちさんのものを読もうと思ったのでしょう。

この中に「虚空像こくうぞう菩薩」についての話もあって、たしか百済観音もそう呼ばれていたと思い当たり、早速その謎を整理したくなったわけです。

深津十一さんの作品はまだ2冊しか読んでいませんが、タイトルや取り上げるものの割には軽くて読みやすいため、また機会を見つけて読んでみたいと思いました。

最後に僭越ながら、前回も同じことを思いましたが、もっと相応しいタイトルがあるように思うけど、どうだろう??




※トップ画像
イラストACより画像DLの後、Canvaで作成しました

【参考文献】
飛鳥白鳳芸術精神史研究序説
・斑鳩町観光パンフレット
仏像ワールド
凛堂


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