見出し画像

ハウ・トゥ・サバイブ ベルリン移民に聞く アノーシュ(イラン) -1 「音楽家は弾圧される、イランはさながら共産主義国家?」

・イランのテクノシーンを描くドキュメンタリー映画に出演後、ヨーロッパに移住した理由とは?

(2016年に公開されたイランのアンダーグラウンド・テクノシーンを描いたドキュメンタリー”Raving Iran”。多くのシーンは安全上の理由から服の下に隠したiPhoneで撮影された。少なくない数の人の顔に本人が特定出来ないようモザイクがかかっている)

E:自己紹介をお願いします。

A:名前はAoosh Rakiでイランのテヘラン出身。
今でほぼ3年ベルリンに住んでる。

E:ドイツではベルリンが最初に住んだ場所?

A:ベルリンの前はケルンに1年半くらい住んでたよ。

E: ヨーロッパには合計何年いるの?

A:5年だね。

E:ベルリンでの生活はどう?基本的に楽しんでる?

A:ああ、ベルリンはすごくオープンな街だし、イラン人だけとかドイツ人だけとかじゃなくて、いろんな国から来た人達と友達になれるから、ベルリンは国際性とか、いろんな文化を知るのにはとてもいい場所だと思う。

E:じゃあ、その多様性が君をポジティブに変えたと思うの?

A:そうだね。
新しい文化やものごとを通じて。
例えば今このマテ茶を飲んでるけどこれは南アメリカのもので、以前はこんなものがあることも知らなかったんだ。
だけどどんな味でどんな効果があるが試しに飲んでみたら、自分にはすごく合っていた。
そんな感じでこれまで殆ど知らなかった国の人とも実際にあって付き合ってみるとそれが面白かったりするんだよ。

E: ベルリンでは何をやってるの?

A:俺はDJ /プロデューサーで、メロディックな要素もあるディープテクノを主にやってる。
だけど今はコロナの影響で音楽イベントとかは殆どないし、ぶっちゃけだいぶ厳しいね。

E:うん、ダンサーやパフォーマーよりはマシだけどミュージシャンは厳しいね。
なんでヨーロッパに移住したの?

A:ヨーロッパではより良い生活とより良い未来があると思ったからだよ。
イランでは家もあったし家族もいたし車も持っていて、それには感謝してるんだけど、でも未来があるように思えなかったんだ。

E:選択肢とか可能性が限られてるってこと?

A:そう、可能性があったとしても、それが現実的だとは到底思えなかった。
例えば俺はこの仕事を追求したかったけど、イランでそれが出来るのだろうかと思わずにいられなかった。
だってヨーロッパみたいにいろいろと安定してないからさ。

E:例えば?

A:例えば来月のプランが立てられない。

E;来月のイベントの予定ってこと?

A:もっと全般的にだよ。
イランの国自体はすごく良いんだけど、政治家が無能でまともな判断が出来ないから、いろんな状況でその煽りを受けるんだ。 
だからもしイランに住んでたら翌月の計画が立てられない、経済的な意味でも、個人的な意味でも。
イランに住んでたら毎日驚かされるようなことが起こるかもしれない、政府の政策や方針によって。

・Anooshの思うイランの政治の問題点とは?

画像3

E:でもそれは君がDJだから?
例えば数学教師とかだったらもっと安定してるんだよね?

A:もちろんそうだよ。
不幸なことにイランでは政治と宗教はミックスされてる。
だから正式な国名も「イスラム・イラン共和国」って言って、国名が「イスラム」の後に来てるんだ。
俺にはナチスみたいに見える政党があって、それが40年か42年前かに政権をとったんだ。
その党が今でも権力を掌握していて、特に力を入れてるのがアートやカルチャーを弾圧することなんだ。
政府は自由が広がることを極端に嫌がってる。

(参考記事)イランのテクノシーンのドキュメンタリー『Raving Iran』が国際映画祭で上映へ

E:じゃあ政府はもしアートやカルチャーを弾圧しなければ、民衆を統治できなくなると思ってるってこと?

A:もちろん。
俺はイランで生まれて24年間そこで暮らしてたから、少なくともイランについてコメントの一つくらいする資格はあると思うんだけど、イランの問題は政治が宗教的な政治家の手の中にあることだと思う。
で、その政治家たちは国をどう治めるかかについてメチャクチャ古い考え方を持っていて、それが若い世代にすごく悪影響なんだ。
2020年と1000年前とじゃ全然生活スタイルが違うのに。

E:シャリーア(イスラム法)ってやつ?

A:シャリーアはスンナ派の国でより重視されるルールだよ。
イスラム教には2種類あって一つがスンナ派、アフガニスタンとか。
もう一つがシーア派で、イランはシーア派の国。

で、俺が思うにイランの問題は政治と宗教が融合していることにある。
イランにはアーヤトッラーというムッラーがいて、彼らは神から特別な使命を授かった人ということになってるんだ。
まぁ一種の預言者なんだ。
彼らは非常に高い宗教教育を受けていて……

E:預言者?
アーヤトッラーって今でも生きてる人?
それは個人の名前かい?
それとも地位や役職の名前?

A:ムッラーは言ってしまえばイスラムの聖職者みたいなもので、ムッラーの中でも特に偉いのがアーヤトッラー。
アーヤトッラーも個人の名前じゃない。
イランの政治は約40年前の革命以来、ずっとアーヤトッラーのイデオロギーの下にある。

E:アーヤトッラーは大統領よりも偉いの?

A :ああ、だけど大統領自身もムッラーで宗教家も兼ねてるんだ。
で、政府が何か今までよりもオープンな政策を考えたとするだろ。
でも、だいたいいつもムッラーが「それはイスラム教的に問題があるますねぇ」と言って全然状況が変わらないんだ。
彼らは「アッラーの思し召し」のエキスパートということになってるから。

E:じゃあ中世ヨーロッパの教皇みたいな存在なのか?

A:まあそんなとこだよ。
今のアーヤトッラーが生きてる限り状況は変わらない。
で、政治家も多くはムッラーの家系の出身で、彼らはすでに40年以上権力の座にいるんだが、宗教家みたいな格好をしてない時も多いんだ。
めちゃくちゃ縁故主義で、彼らは権力を身内の中だけで分け合ってる。
普通の人が勉強して政治家になろうとしても権力は持てない。

E:そうなのか。
じゃあ、イランの石油産業を牛耳ってるのはどういう人たちなの?

A:ムッラーだよ。

E:え!?宗教家が石油産業も牛耳ってるの?

A:そりゃそうだよ、そうやって彼らは権力を手にしたんだから。
確か去年、日本の首相のシンゾー・アベがイランに来ただろ?
シンゾー・アベはイランの最高指導者に会って、アメリカと準冷戦みたいな状況になってるイランに和解を持ちかけてたじゃん?
でも俺たちの最高指導者は「ノー、和解なんてありえない。アメリカはクソとは何かを体現している国だ。我々は独立国だ、トランプなんて知らん」って言って追い返した。
シンゾー・アベはトランプのとこに帰って「無理でした。トランプさんが思ってるよりも話の通じない奴らでしたよ」とか報告してたんだろう、多分。

・イランでは殆どの音楽がイリーガル?

画像4

(イランの「文化イスラム指導省」のシンボル。この役所に認可されないと合法的に音楽やアート活動は出来ない。)

E:なるほど。
じゃあ、そういうイランでミュージシャンとしてのキャリアを築くことは不可能だと思ったわけ?

A:全く不可能ではないよ。
ただ、政府の基準に合わせないといけない。 
音楽もペルシア文化にのっとったものでなきゃいけない。

ペルシア文化はイスラム教が今のイランに来る前から存在する文化で、イスラム文化とは違う。
ペルシアはかつてあった王朝で、そこにイスラム教徒が来てペルシアを侵略して…というような歴史があるんだけど、ペルシアの文化には独自の音楽や楽器がある。
そういう伝統的な音楽は許可されてるんだ。
もう一つ許可されてるのは安っぽいポップス。
それら以外の音楽は違法なんだ。
で、しかも歌っていいのは基本的に男だけ。

女が歌っていいのはギリギリバックコーラスまでで、合法的にメインのシンガーになることは出来ない。
それは古典音楽でもポップスでもなんでも。
1979年のイラン革命の前にはイランには素晴らしい女性ヴォーカリストが沢山いたんだけど、多くはヨーロッパやアメリカに亡命したよ。
革命後のイランに居続けたら、革命前に彼女たちが歌手だったことが前科になってしまって、監視されたり、就職するでも何をするのでも制限を受けるようになったんだ。
ある意味、檻の中に入れられたみたいな状態だよ。
俺は今30歳だけど、俺の世代ですら、まだその政策の影響を受けている。
なのでイランに残るかヨーロッパに移住するかとい選択肢のうち、俺はヨーロッパに行くことを選んだんだ。

E:じゃあイランではどうやってDJしてたの?

A:いつもアンダーグランドでだよ。
秘密のロケーション、友達の家、砂漠の真ん中、郊外のクラブ並みにでかい屋敷とか。

って言ってもベルクハイン(ベルリンにある世界的に有名なクラブ)みたいに滅茶苦茶デカイわけじゃなくて、ベルリンの中規模クラブくらいのサイズのとこだけどさ。
勿論オフィシャルにはクラブじゃないけど、そういうオフィシャルじゃないところでしか出来ないんだ。
オフィシャルにコンサート会場ってなってるところでは、ペルシア音楽か安っぽいポップスしか演奏出来ない。 
音楽家として活動するにはまず役所に登録しないといけなくて、で、許可されてるのはペルシア音楽かポップスだけだから、他の音楽はアンダーグランドでやる以外の選択肢がないんだ。
役所に登録してない音楽家は作品のリリースも出来ない。
もし政府を批判するような内容の歌詞があったりしたら逮捕されるから、ラッパーも不満抱えててもイマイチ歯切れが悪いんだ。

E:じゃあもし俺がイランのヒップホップパーティに行ってて、そこに警察が来たら捕まるの?

A :全員捕まる。
ヒップホップだろうとテクノだろうとジャズだろうと。
仮に音楽が流れてなかったとしても20人くらいいたら捕まるかもしれない。

E:なんで?

A:イスラムの教えでは結婚してない男と女が同じ空間にいてはいけないということになってるから、警察が来て、もしその20人の中にスカーフを巻いてない女がいたら面倒なことになる。 

E:なるほど。

・イランはソ連みたいな国?

画像4

A:例えばサウジアラビアとかだとイランよりももっとイスラムの教えに忠実な人が多いんだ。
もちろんどこの国にも自由の意味をわかってる人もいるんだけど、そういう人がその土地の何パーセントくらいかはしっかり見極めないといけない。
イラン革命が起こった時、多分50%以上の人は本気でイスラム教に基づいて国を運営した方が良くなると思ってたと思う。
それまでのイランは王家が国を治めてて、別にイスラム教の指導者が統治してたってわけじゃないんだよ。
で、イラン革命が起こってある程度時間が経ってくると、人々はだんだん気づいてきた訳さ。
これってもしかして、イスラム教を政府の都合のいいように使ってるだけなんじゃないのか?」って。
人智を超えた神の摂理で統治してるはずなのに、全然クリーンじゃない。
政敵になりそうなファミリーを一つ一つ潰していって今では権力は寡占状態になってる。
イランに行ったら、どこの街でもいい、老人でも若者でも誰でもいいから政府をどう思うか聞いてたらいい。
間違いなく80%かそれ以上の人が「ノー」って言うよ。
イランは革命後、実に多くのものを失ってきたんだ。
国際的な信用も失ったし、経済的にも衰退した。
俺は国を出てから5、6年になるけど、この間、毎日イランが国内的にも国際的に負けたり失ったりしたニュースが入ってくる。
イランのイラン国民も毎日イランが落ちていくのを見ている。
外国で「私はイラン人です」って言っても誰もリスペクトはしない。
「え、じゃああなたはきっとムスリムで、あれをしますよね?これもしますよね?」みたいな反応が返ってくる。 
革命前のイラン人はもっと信用されてたんだ、日本人みたいに。

E:うーん、日本人も信用失ってると思うけど。

A:とにかく革命前のイランは国を成長させようとしてたんだ。 
日本人みたいに時間にも正確だった。
今のイランで4時に来るって言ったら、それは4時半に来るって意味だ。
そういう規律が破壊されてしまった。
無責任な政府のもとで人々も無責任になっていった。

E:日本も似た状況かも、この10年くらいは特に。

A:王政の頃はもっと資本家や帝国主義者とも近かったんだ。
問題もあるけど、少なくとも彼らには時間に正確だったりみたいな規律がある。
通貨だって今よりはるかに強くて安定してた。

この2017年7月に書かれた記事によると、革命前の10000リアルは150ドルだったのに対し、革命後の現在の10000リアルは33セントで、実に450分の1にまで通貨価値が下落したと書かれている。

でも革命後の政府は、「あなた方は自由だ、税金も払わなくていい、資本家はクソだ」と人々に言うんだ。
共産主義ではないんだけど、ある意味、共産主義みたいな考え方なんだよ。
ソ連人がすっかり怠け者になったのと同様にイラン人も怠け者になった。
そしてそこに西側からの経済制裁が始まったんだ
ビジネスはイラン国内でしか出来なくなっていった。
イランのパスポートだってそうさ。
かつては日本やヨーロッパや、もしくはアメリカのパスポート並みに良かったんだよ。
でも今じゃビザなして旅行できる国はの5個か7個くらいだけだよ。
これはマジで災難だ。
革命前はビザなしていける国が150以上あったんだぜ。

それがどんどんどんどん減っていったんだ。

E:実際、日本のパスポートは世界で一番いい部類だよ、ビザなしで入れる国の数では。

A:それは何故だと思う?
俺は日本の政府はよく知らないけど、少なくとも日本の政府は信用を維持し続けているんだよ。

多くの人はおまえが「私は日本人です」って言っただけで、「あ、こいつはヤバイ奴かもしれない」とは思わないってことだよ。
でも俺が「私はイラン人です」って言ったら、最速でそう思われる。
「中東出身です」って言ったら相手の頭に浮かぶのは、「アッラー・アクバル」とか「犯罪者かもしれない」とかそういうのだよ。
ヨーロッパに3年住んで、対応の仕方はそれなりに心得たけどさ。
ベルリンはヨーロッパの他の街よりはそういう問題は少ない。
そういうステレオタイプにとらわれてない人が多いから。

E:どうやってベルリンのビザ取ったの?

A:最初、フェスティバルに招待されてスイスに来て、そこでの滞在中に難民申請したんだよ。
その後ドイツでフリーランサーとしてビザを取って、今で2年間ベルリンに住んでる。
難民になったからもうパスポートは持ってないよ。
旅行には行けるけど、アメリカやイギリスには行けない。
EUの中のシェンゲン協定加盟国にしか行けない。

一度シンガポールにDJしに行ったんだけど、空港でなかなか入れてもらえなくて大変だったよ。
既にビザも取ってたし、インビテーションもあったのに。
まあ結局は入国できてプレイも出来たけどさ。

(参考記事)イラン人DJデュオBlade & BeardがUKへの入国を拒否される

E:日本のパスポートだとそういうことはなかなか起こらないから、俺はそういう経験がないな。
そのうち日本のパスポートで入れる国は減るだろうと思うけど。

A:それはないよ。
イランのパスポートの信用が下がったのはマジでめちゃくちゃな政治をして来たからだから。
例えばイスラエルに落とすための原爆を作ろうとしたりさ。
イラン政府は否定したけど、イスラエルは衛星とかでイランが原爆作ろうとしてるの掴んでたんだ。

E:もうイランは原爆持ってるの?

A:まだ。
なんで原爆かっていうと、イラン政府はパレスチナでイスラムの同胞が迫害されてるのを見過ごすわけにはいかないと言ってるんだ。
だけどパレスチナ人は別にイラン政府に原爆落として欲しいとは思っていない。
過去10年間で、イランでは10人以上の原子力科学者がモサド(イスラエルの諜報機関、アメリアでいうCIA)に殺されたんじゃないかな。

E:10人殺されたら原爆作るのは難しそうだね。

A:昨今のイラン政府が体現しているものはソ連的で反米的な独裁体制なんだよ。
ただ、経典が資本論じゃなくてクルアーンなんだ。


=======================================================

Part.2に続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?