不可逆式歩道橋
二車線の広々として車通りが多い車道を跨るように、長くてゴツゴツした歩道橋がかかっている。表面の上品なはずだった色彩は剥がれて濃い茶色に変わっている。錆なのか経年劣化なのか、素人目には正確にはわからないが、駅に帰っていくためには、その歩道橋を渡らないと遠回りになる。
行きと帰りで使う駅を変えていると、同じ道を180°違う方向から通ることがない。帰り道の歩道橋は一方向しか使ったことがない。普段と逆の目線を味わいたいから、そして後ろが頻繁に気になってしまうから、何度も後ろを振り返る。見覚えのない後ろを振り返るときは決まって人がいない。
螺旋状になっている階段を一段ずつ上がっていく。
橋の真ん中にあたる見晴らしの良いところで、ゴツゴツとした手すりのような壁のようなもので、体がはみ出ないようにと守ってくれていることを利用しながら端に体を寄せて遠くを眺める。
街路樹は高く伸びていて、生い茂っている足下一帯は地面が見えないが、遠くには街路樹よりも高い建物が聳え立っている。
都市の発展スピードにはとてもついていけなくて、マイペースな自分が輝かしく思えるときもあれば、不甲斐なさに消沈するときもある。
マイペースとは良くも悪くも便利な言葉だ。
考えが先行してしまって行動が伴わないことを、マイペースと柔らかい言葉に荷を負わせれば、一般社会でも聞く耳は持ってもらえる。
「マイペース」な性格とプロフィールに書いておけば、こちらはのんびりしていても納得してくれるのだろうか。せっかちな性格との相性は如何程なのか。気になってきた。
高所にいると心を支配する感情の大半は恐怖なのに、普段の地上の高さに合わせた背丈では、目視では確認できず手も届かない高さの建造物を見下ろすことができるから、見晴らしのいい場所は好きだったりするのだ。
人間とは矛盾だらけで不鮮明でどっちつかずなことが多いなぁ。
人間として生活を始めたばかりだから、いまいち人間って何かわからない。人間の行動心理はマジョリティーを網羅しても、当てはまっていないマイノリティーがたくさんいる。人間はそもそもの数が多すぎる。
人間関係の失敗を繰り返して、傾向と対策を学ぶ。まるで大学受験かのように勤勉になったとしても、調査してきた人数、すなわちこれまで関係を築こうとした人の数が少ないからといって、勉強不足だと厳しいことを言われる。
真面目できっちりしている人よりも、勢いとその場のノリを見極められる楽しい人たちの方が、世渡りが上手なのはなんとなくわかってきた。ハウトゥーを読めば世の中の流れが掴めるようになるのだろうか。
無駄っと言われたら簡単に凹んでしまうから、婉曲した表現を使ってわからせてほしいし、回り諄い言い回しで到着地点をぼかして手渡ししてほしい。
また実体の見えない不安が体を包み上げてくる。
一難去ってまた一難、他にも、前途多難。
とにかく難あり、それが人間の人生らしい。
そうなんだね。難しいわ〜。
こんなことでうだうだ考えて凹むようなことがあるくらいだから、本能のままに生命を全うしている動物が羨ましく思えることだってある。人の感情を推し量って遠慮を繰り返すだけの生命は、生きるを全うしていると言えるんですかね。
はぁ〜
ため息は白く手にかかって一瞬だけ温まり、すぐさま消えていった。
歩道橋から遠くを眺めてみたら、思い出さなくてもいいうえに思い出してもなんの糧にもならない記憶を呼び起こした。
高いところには上ってもいいことはないのかもしれない。でも、高い建造物に囲まれていても、レトロさを街から消し去らないこの駅の雰囲気は好きだと言わせてほしい。
だって、私はマイペースなのだから。
自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。