ひつじ

50代バツイチ男性。 心は豆腐。体はきゅうり。 音楽鑑賞、スポーツ観戦、旅行が好き。 …

ひつじ

50代バツイチ男性。 心は豆腐。体はきゅうり。 音楽鑑賞、スポーツ観戦、旅行が好き。 美味しい物や車も好き。

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改めて。

“生きてきた時間を記そう” “これからいろいろと書いていく中で、私の人となりを知ってもらえたら” そんな思いで書き始めたものの、記事だけでは人となりはわからないので、改めて自己紹介。 父、母、兄、妹の5人家族。 幼稚園に3年通い、小中高と公立。 小5で死にかけ留年しかける。 中2で父の借金発覚。 高1で両親が離婚。 高卒で社会人となる。 31歳で結婚。 33歳で子供が生まれる。 33歳で心臓の手術を受ける。 33歳で心療内科を初めて受診。 34歳で生き別れの父死亡。 40歳

    • 結婚観。

      ジューンブライドは、もはや死語なのだろうか。 結婚願望があった。 覚えている限りでは小学生の頃からあったと思う。 今あるかと問われたら、なんとも言えないが。 小学生で結婚することの何がわかるというわけではないが、好きな人と一緒に暮らす、そこに子供がいる。 そんな家庭を思い描いていた。 そんな結婚願望は、中学、高校と年齢が上がるにつれ、より強くなった。 家庭環境の影響も大きいかもしれない。 私の両親はお見合いで結婚したと聞いた。 どちらも戦争体験者なので、結婚した当時はき

      • LGB・・・。

        LGBTQ+。 そんな言葉などない世の中になって欲しい。 小学3年の時だったと思う。 小学4年だったかもしれないが、母の当たりが厳しくなった頃なので小学3年だったと思う。 人見知りが激しくクラスに友だちはいなかった。 ただ、ひとりを除いては。 そのひとりは、男の子だった。 その男の子とだけ仲が良かった。 というか、一方的に好かれていた。 どうして私に好意を抱いてくれたかは分からないが。 朝、教室に入るといつも、 「ひつじちゃ〜ん、おはよっ♡」 高い声で腕に抱きついてく

        • 形見。

          母の形見はない。 父の形見だけがある。 形見と言うと、亡くなった後に遺品の中から形見分けした物とか、亡くなる前に本人からもらった物。 そんな印象だろう。 私が持っている父の形見は、そういう意味では形見ではないのかも知れない。 小学生から鍵っ子だった。 実家はかなり前になくなったので言えるが、鍵など持っていなかった。 家は常に鍵が掛かっていなかった。 年齢が上がり母に鍵のことを話したが、鍵を持たせて失くされるくらいなら鍵を掛けない方がいいと言われた。 居間兼食卓部屋にある

        • 固定された記事

        改めて。

          [コラム]6

          6月になりました。 定例のコラムですが、1日遅れてしまいました。 1ヶ月半ほど続いた復職プログラムを終え、5月15日から復職しました。 仕事もステップを踏んで少しずつ負荷を増やしていくことになっていて、今はのんびり仕事をさせてもらっています。 通勤の電車は、この時期特有の混雑さで、座れないのはいいのですが、押し合いながらで足を踏ん張っているのか、常に太腿が張ってはいますが。 眼科への通院も継続中です。 緑内障の治療のため。 右目の視野の一部が、欠けているというか陰のよう

          [コラム]6

          ジーンズ。

          服はいつもお下がりだった。 団地なのもあり、ご近所さんからご近所さんへと洋服が回っていく。 うちにもご近所さんから洋服が回ってくる。 私の着た服もまた、ご近所さんのところへ行った。 その中には、兄のお下がりが回りまわって来ることもあった。 そんな時代でもあった。 回って来ない時は、兄のお下がりを着せられる。 5歳離れている兄のお下がりは、サイズが合わずダブダブだった。 服の腕をまくり、裾をロールアップして着ていた。 ファッションなどわからない小学生には、着られればそれでい

          ジーンズ。

          抱きしめられたい。

          「抱きしめられたことないでしょ!」 子供が生まれ慌ただしい生活の中、市が子育て支援事業を始めた。 『お兄さん。』の記事でも触れているが、子供を預かってもらいたい人を『依頼会員』、預かりたい人を『援助会員』として募集を募った。 妻は、子供のお迎えに加え、食事を用意して食べさせるのも、お風呂に入れるのも苦痛だと言った。 朝、子供を送るのは妻。 夕方、子供を迎えに行き、夕食を食べさせ、お風呂に入れ、寝かしつけるのは私。 妻は、子供を送るのも本当はやって欲しかった。 だが、会社

          抱きしめられたい。

          小学5年。 ⑨ [一年の終わり]

          6月になっていた。 退院後、指示通り1週間を自宅で安静に過ごした。 病院を受診すると学校へ行く許可が下りた。 人見知りな上に始業式から2ヶ月も経っているので、どんな顔をして教室に入ればいいか分からなかった。 教室に入って直ぐ来てくれたのは、手紙を届けに来た同級生とは別の近所の友だちだった。 小学2年の時から一緒に遊んでいる友だち。 お見舞いの手紙では、なぜか気付かなかった。 その友だちは、誰とでも仲が良く爽やかで、勉強もスポーツも出来る人気者だった。 その友だちのお陰

          小学5年。 ⑨ [一年の終わり]

          小学5年。⑧ [退院]

          退院の日が決まった。 入院して2週間が経とうとしていた。 退院する日の朝。 いつも通り自分で朝食をワゴンまで取りに行き、いつも通り食べた。 相変わらずお粥は苦手で一口も食べられなかったが、おかずとお味噌汁は食べ、食器をワゴンへ返した。 退院日だが、いつも通りひとりだった。 母は、お昼頃に来ると看護師さんから聞いた。 食器を返して少しすると、酷い目眩がしてきた。 吐き気もしてきたのでトイレにある洗面器を病室へ持ってきたところで吐いた。 吐いたことで吐き気は少し落ち着いたが

          小学5年。⑧ [退院]

          小学5年。 ⑦ [お見舞い]

          見舞いに来た同級生は、母親に連れられて顔を出した。 同級生は診察のついでだと言い、 「これ!ひつじに渡すように先生に頼まれたから」 そう言うと、大きな封筒を手渡してきた。 何かわからないまま黙って受け取ると、 「今年同じクラスだからさ」 そう言われた。 同じ団地で家が近く、何回か話したことがある。 封筒を渡したあと、 「ひつじがまだ1日も学校に来てなくて、入院になったからみんなで手紙を書こうって先生が言ったんだよ」 そう言った。 渡された封筒には、その手紙が入っているらしい

          小学5年。 ⑦ [お見舞い]

          小学5年。 ⑥ [個室]

          個室へ変わった理由は母に聞かされた。 私が入っていた大部屋の子供たちが病院を出るのは、症状が酷くなり大学病院のような、もっと大きな病院での治療が必要になったからだ。 母は、そう言った。 私から聞いたわけではない。 母が勝手に話してきたのだ。 何を言おうとしているのか、さっぱりわからなかった。 さらに母は、大学病院へ行っても治る見込みもないほどの重い病気だ、と続けた。 転院した後、生きているのかもわからない。 だから戻ってこないんだと。 それを毎日のように見るのは辛いだろう。

          小学5年。 ⑥ [個室]

          小学5年。 ⑤ [入院]

          あと1日、いや半日遅かったら死んでいた。 医師の言葉が頭の中で繰り返された。 どうして生かされたんだろうと思った。 医師は、母からここまでに至る経緯を聞いた。 その話を聞いて、医師はまた怒った。 「肺炎で自宅療養?ありえない!」 「入院してたら1週間くらいで治ってたのに!」 「この子がどうなってもいいと思ってるのか!」 母はもう反論せず黙って聞いていた。 「1ヶ月も薬を飲んでいたから、肝臓に負担が掛かったのかもしれない」 医師は母に言った。 そして、私のところに来た。 「

          小学5年。 ⑤ [入院]

          小学5年。 ④ [医師の怒り]

          手術の出来る大きな病院に行ってください。 救急車で運ばれた先の整形外科で言われたその言葉が頭から離れずにいた。 整形外科からどうやって帰ったのか記憶はない。 こうしてゴールデンウィークの3連休は終わった。 翌日、母に連れられ市民病院の小児科へ行った。 母は、診察が終わったら仕事へ行くと身支度をしていたので、病院に着いたのは朝一番ではなかった。 3連休明けということもあり、かなり混んでいた。 痛みに慣れたのか、それほど痛みが強くなかったのか、座って待っていた。 隣で母は、

          小学5年。 ④ [医師の怒り]

          小学5年。 ③ [救急車]

          玄関のドアが開いた。 救急車のサイレンが消えて直ぐのことだった。 辛い思いをしている人は近所の人だったんだ。 そんなことを思っていたので、うちに来た理由が分からなかった。 玄関が開くと、救急隊員らしき人の声が聞こえてきた。 「患者さんはどちらですか?」 母の声が2階ですと言っていた。 初めて見る救急隊員は大きかった。 朧げに見ていたからかも知れないが。 「どこが痛いかな?」 「もう大丈夫だからね」 救急隊員は、声もたくましかった。 そして、優しかった。 5月4日に行った

          小学5年。 ③ [救急車]

          小学5年。 ② [3連休]

          腹痛ですね。 肺炎の時に母と口論した医師は言った。 胃薬を処方された。 翌日からは、ゴールデンウイークで3連休だった。 痛みは一向に引かなかった。 1日中痛い痛いと言い、布団に横になっていた。 意識も朦朧としていたのか、ただ眠かったのかはわからないが、その辺りのことはあまり記憶にない。 ゴールデンウィーク2日目の5月4日。 母は渋々パートを休み私を休日診療所へ連れて行った。 3連休ということもあり診療所はかなり混んでいた。 母は待っている間、待ち時間が長いことや急に休ん

          小学5年。 ② [3連休]

          小学5年。 ① [始業式]

          新入社や新入学。 近所に、電車に、会社に、初々しい顔を見かける。 真新しい、ランドセルに、学生服に、スーツ。 それらは希望に輝いている。 ゴールデンウィークになると思い出す出来事がある。 小学5年の始まり。 始業式は、朝から熱があり学校を休んだ。 クラス替えがあったので、近所の友だちが帰りに家に来てくれて何組なのかを教えてくれた。 近所のみんなが違うクラスになったので、私のクラスに誰がいるのか、担任が誰なのかは誰も分からなかった。 熱はその後も続き、3日目にかかりつけの内

          小学5年。 ① [始業式]