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小学5年。 ② [3連休]

腹痛ですね。

肺炎の時に母と口論した医師は言った。
胃薬を処方された。
翌日からは、ゴールデンウイークで3連休だった。

痛みは一向に引かなかった。
1日中痛い痛いと言い、布団に横になっていた。
意識も朦朧としていたのか、ただ眠かったのかはわからないが、その辺りのことはあまり記憶にない。

ゴールデンウィーク2日目の5月4日。
母は渋々パートを休み私を休日診療所へ連れて行った。
3連休ということもあり診療所はかなり混んでいた。
母は待っている間、待ち時間が長いことや急に休んだから悪く思われていることを愚痴った。
2時間待っての診察は、腹痛ですね、で終わった。

帰宅してもまだ痛いと言い続ける私に向かって母は、
「もういい加減にして!」
「ほんとは痛くないんでしょ!」
「先生は、ただの腹痛だって言ったでしょ!」
と、凄い剣幕で怒鳴り怒った。
私は、なんで怒られるのかが分からなかった。
こんなことで嘘をついたところで、なんの得もない。
3連休なのに、遊ぶことも出来ないというのに。

自家中毒と診断されることが多かった。
自律神経失調症のようなもので、学校へ行きたくないと思うと吐き気がしたり頭やお腹が痛くなった。
だが、学校を休むと連絡し欠席が決まると症状が治る。
この時は医師は自家中毒とは言ってはいないが、母はそうだと決めつけているのだろう。
あとになってそう思った。

お腹が痛み出してから数えて3日目。
早く治って欲しい。
3日間も謎の痛みで辛いのに怒られるなんて。
もし自家中毒だとしたら、学校が3日間も休みなのに発症するのはおかしいと思えないのだろうか。
橋の下の子供は、こんな扱いをされるのか。

症状が出てから、まともに食事は出来なかった。
それくらい、お腹の痛みは酷かった。
寝室は2階にあったが、お腹の痛さで1階へ降りることが出来なかった。
1階へ降りる時は、トイレの時だけ。
だが、水分を摂っていなかったためか、トイレの回数はかなり少なかったように思う。
食欲などなかったが、食事に呼ばれることもなければ、母がなにか食べるものを運んでくることもなかった。
母は様子を見に来ることさえもしなかった。

3連休の最終日。
結局、3連休はずっと布団で横になっていた。
そして食事は摂っていない。
その辺りの記憶は曖昧でしかないが。
何も食べていないことだけは、何となく覚えている。
兄が一度おにぎりを持って来たが、ひとくち食べるのがやっとだった。
それも現実なのか夢なのか分からない。
だが、母は食事を運んでくることもなければ、様子を見に来ることもなかった。

その夜のこと。
どこからか救急車のサイレンが聞こえてきた。
夢なのか現実なのかわからなかった。
それでも、同じように辛い思いをしている人がいる。
その人が病院へ行って早く治るといいな。
そう思った。
だが、サイレンは遠くへは行かず徐々に大きくなった。
そして、家の近くで止まった。



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