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小学5年。 ⑨ [一年の終わり]

6月になっていた。

退院後、指示通り1週間を自宅で安静に過ごした。
病院を受診すると学校へ行く許可が下りた。

人見知りな上に始業式から2ヶ月も経っているので、どんな顔をして教室に入ればいいか分からなかった。

教室に入って直ぐ来てくれたのは、手紙を届けに来た同級生とは別の近所の友だちだった。
小学2年の時から一緒に遊んでいる友だち。
お見舞いの手紙では、なぜか気付かなかった。

その友だちは、誰とでも仲が良く爽やかで、勉強もスポーツも出来る人気者だった。
その友だちのお陰で、クラスに溶け込むことができた。

医師は念のためといい、今年一年は運動を禁止にした。
なので、体育は1年間見学になった。
6月末にキャンプがあるので、みんなと一緒に飯盒炊飯の練習をしたが、2泊3日のキャンプ中に何かあっても迎えに行けないことを理由に母が断ったので、キャンプは不参加になった。
医師は、参加するのは問題ないと言っていたが。
代わりに3日間で本を読み感想文を書くよう宿題が出された。
先生も先生だと思った。
プールも運動会も見学だった。
部活は卓球部だったが、それも見学だった。
(記憶が間違っていなければ、4月の時点で連絡帳に部活動の希望用紙が挟んであり、卓球部を希望していた)
部活は、顧問の先生が折角卓球部に入ったんだから少しでも卓球が楽しいと思ってもらえるようにと、最後の方に少しだけラリーをさせてくれた。
食べ物に制限があったが、給食は皆んなと同じだった。
夏の終わりに、先生が産休に入るからとクラスのみんなで激励会をした。
私は仲良くなった数人とコントのような寸劇をした。
先生は冬休み明けに戻ってきた。
そうしている間に、もう年度末が近づいていた。

2月に入り、先生が三者面談をしたいと連絡してきた。

先生を前に母と2人並んで座ると、先生が切り出した。
「今の状況ですと、留年になります」
えっ!留年?義務教育なのに?もう一度5年生?
通学団の1学年下の子たちの顔が浮かんだ。
いろいろ考えていると、
「はい!来年もまた5年生でお願いします」
母が即答していた。
これでもう確定だと思い、もう一度5年生になることを想像していた。

困惑したのは、私以上に先生だった。
「あのぉ、お母さん、ちょっと待ってください」
「勉強の方は、ずっと欠席だった体育以外は、遅れを取ることもなく理解出来ずにいることもなく、このまま進級しても問題ないと私は思っています」
先生は、そう言うと、
「問題は出席日数なのですが、これは私の方で調整させてもらいます」
「今日は、それをお伝えしたかったんです」
「よろしいでしょうか」
母は納得していなさそうだったが、先生の言葉に押されて受け入れた。

帰り道、母に恐る恐る聞いた。
「何で留年でいいって言ったの?」
「みんなより一年遅れになるのに」
誰よりも勉強勉強と言っていて、テストの結果を見ては怒っていた母にしては珍しいことだと思った。
「だって、もう一度5年生なら5年生が2回目だから、誰よりもいい成績が取れるはずだよね」
表情を変えず母は答えた。
母の本心が見えた。
表情が変わらなかったことは、恐怖でしかなかった。

こうして、小学5年は終わった。






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