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小学5年。 ③ [救急車]

玄関のドアが開いた。
救急車のサイレンが消えて直ぐのことだった。

辛い思いをしている人は近所の人だったんだ。
そんなことを思っていたので、うちに来た理由が分からなかった。

玄関が開くと、救急隊員らしき人の声が聞こえてきた。
「患者さんはどちらですか?」
母の声が2階ですと言っていた。
初めて見る救急隊員は大きかった。
朧げに見ていたからかも知れないが。
「どこが痛いかな?」
「もう大丈夫だからね」
救急隊員は、声もたくましかった。
そして、優しかった。

5月4日に行った休日診療所からの帰宅後。
母から苛立ちをぶつけられ、布団で横になりながら、
「このまま死んじゃったらいいのにな」
そんなことを思っていた。

あとから聞いた話だが、何もしない母を見ていた父が兄に様子を見に行くよう頼み、異常な痛がり方をしている私を見た兄が父にそれを伝え、父が救急へ電話をした。
そのようなことだった。
異常な痛がり方をしていた記憶は全くないが。

「おーい!ストレッチャーは無理!」
家に入ってきた救急隊員が、外にいる隊員に伝えた。
団地の階段は狭い上に急だった。
そして、階段には物がいろいろ置かれていた。
「おじさんがおんぶするけど捕まっていられるかな」
そう聞かれたが、お腹の痛みで返事が出来ないでいると、急に抱え上げられた。
「軽いな」
私を抱え上げた救急隊員が、ぼそっと呟いた。
私にしか聞こえないくらいに、ぼそっと。
そして、そのまま急な階段を慎重に降りて行った。
外に出るとストレッチャーが待っていて、それに乗せられ救急車に入った。
同行する母を待っていると、
「お腹痛くなってから、ご飯食べてた?」
救急隊員に聞かれたので、首を横に振った。
「もしかして、お腹痛くなってからずっと?」
首を縦に振った。
救急隊員は何か聞こうとしたが、母が来たのでやめた。

救急車が走り出す。
救急隊員が母に私の身長と体重を聞いたが、母は即答出来ず暫く考えていた。
救急隊員は、それを見て私に聞いた。
身長は答えたが、体重は分からないと正直に言った。
家に体重計はなかった。

救急車が向かった先は整形外科だった。
当時は、市内の個人病院が持ち回りで休日や夜間の救急対応をしていた。
そして、この日の担当は整形外科だった。

整形外科医は私を立たせ、爪先立ちをした状態から力を抜いて踵を下ろしてと言った。
立つのもやっとだが頑張って指示通りにすると、踵を下ろすたびに、痛い?と聞いてきた。
そもそも何もせずとも痛いので、痛いと答えていた。
整形外科医は、
「ずっと痛いと言っているので、この検査で痛いのかはわかりませんが」
そう前置きしたあと、
「盲腸の可能性があるので、明日朝一番で手術の出来る大きな病院へ行ってください」
そう言って私たちを帰した。

手術は嫌だな。
そんなことを思ったが、痛みに掻き消された。

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