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形見。

母の形見はない。
父の形見だけがある。


形見と言うと、亡くなった後に遺品の中から形見分けした物とか、亡くなる前に本人からもらった物。
そんな印象だろう。
私が持っている父の形見は、そういう意味では形見ではないのかも知れない。

小学生から鍵っ子だった。
実家はかなり前になくなったので言えるが、鍵など持っていなかった。
家は常に鍵が掛かっていなかった。
年齢が上がり母に鍵のことを話したが、鍵を持たせて失くされるくらいなら鍵を掛けない方がいいと言われた。

居間兼食卓部屋にある箪笥におやつのお菓子が入っていて、いつも妹と分け合って食べていた。
その箪笥の引き出しに無造作にカメラが入っていた。
それは父が使っていたカメラだ。
母は写真を撮らない。
撮られるのも嫌がっていたくらいだから。
昔の人が言う『魂が吸い取られる』という理由で。

小さい頃、それを使ってカメラマン気分になった。
フィルムはなく玩具として遊んでいただけだが。

父は私が物心付いた時から、一度もカメラを使ったことはなかった。
多分、私たち家族の写真を全員分撮り終え、その役目を終わりにしたのだろう。
アルバムの中の家族写真に父の姿はなかった。

父は、離婚して家を出る際、必要最低限の物しか持って行かなかったようで、そのカメラは置いていかれた。
存在すら忘れられていたのだと思う。

社会人になり、ひとり旅と時を同じくして写真も撮るようになり、その存在を思い出した。
実家に帰り一応母にもらっていいかと聞くと、好きにすればいいと言われた。
母は写真に興味はなく、カメラにも興味はなかった。
ましてや父の物となれば、捨てたいくらいだろう。

カメラは、OLYMPUSのPEN-Eというものだった。
細かな型番は忘れてしまったが、一眼レフでもなければフォーカスも露出も全てがアナログだった。
それを持って名古屋市内にあるカメラ専門店へ行った。
名古屋へ出るのはかなり面倒ではあったが、専門店でしっかり診てもらい、必要なら修理もしてもらった方がいいと思ったからだ。
診てもらったところ、多分電池が切れてるだけじゃないだろうかとのことだった。
それでも、預かってしっかり診させて欲しいとのことだったので預けた。

一週間後、受け取りに行った。
年配の店主は、やはり電池が切れてるだけだったと言ってカメラを渡してくれた。
そして、
「いいカメラだね!中古で買ったの?」
と聞いてきた。
「父の物なんです」
そう答えると、それ以上は何も聞かず、
「大事に使って」
そう言ってくれた。
電池はそのお店に売っていたので何個か買った。
店主曰く、水銀を使っているため、少ししたら生産しなくなる可能性があるとのことだったからだ。
それに、少し特殊なカメラ専用のボタン電池だった。

カメラはハーフサイズのカメラだった。
正式にどう言えばいいのか、カメラに詳しくないので未だに知らないが、通常のフィルムカメラの1枚分で2枚撮れるカメラ、そう言えばわかりやすいのかな。
つまり、24枚撮りフィルムで48枚撮れる。
通常の半分のサイズに撮れるので、写真は通常のカメラの向きで撮ると縦長の写真になる。
それはそれで趣があっていいと思った。
だが、私はそのカメラを使いこなせなかった。
一眼レフではないので、ピントが上手く合わせられなかった。
対象物までの距離を目測出来なかった。
仕事でもそうだが、目測が苦手だった。
壊滅的に。
露出は何とか頑張ってみたが、出来上がりの写真を見るたびに幻滅した。
あの時診てもらったカメラ専門店の店主に使い方を聞いておけば良かったと後悔した。

30歳を前に社員寮を追い出され、アパートへ引っ越したのを期にひとり旅をする回数も減り、それと同時に写真も撮らなくなった。
結婚して社宅に入り、その後今の家に落ち着くまでに2回引っ越している間に、そのカメラはどこかへ行ってしまった。
テニスラケットと共に。
多分、開けられていない段ボール箱がどこかにあり、そこに入っているとは思うが。

昔だから一眼レフとかオートフォーカスとか無いのは珍しくはないのだろうが、家にあった父が撮ったであろう写真は、モノクロだがピントもあっていた。

やっぱり私は、父のDNAを1ミリも受け継いでいないようだ。




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