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小学5年。 ⑤ [入院]

あと1日、いや半日遅かったら死んでいた。

医師の言葉が頭の中で繰り返された。
どうして生かされたんだろうと思った。

医師は、母からここまでに至る経緯を聞いた。
その話を聞いて、医師はまた怒った。
「肺炎で自宅療養?ありえない!」
「入院してたら1週間くらいで治ってたのに!」
「この子がどうなってもいいと思ってるのか!」
母はもう反論せず黙って聞いていた。
「1ヶ月も薬を飲んでいたから、肝臓に負担が掛かったのかもしれない」
医師は母に言った。
そして、私のところに来た。
「4日間、よく頑張ったね!」
そう言ってくれた。
私は、
「お母さんは、仕事休めないのに休んで病院に連れて行ってくれたから」
「だから、もうお母さんを怒らないでください」
そう言っていた。
自分でも何でそんなことを言ったのかわからなかった。
聞いていた医師や看護師は、悲しそうな顔をしていた。
医師は、もう大丈夫だから。
私の肩に手を置きそう言うと、診察室へ戻って行った。

入院初日は、部屋ではなくナースステーションの隣の処置室のようなところで過ごした。
医師は検査の結果、やはり急性の肝炎だと言った。
私は最初に点滴をされ、ひと通りの検査を受けた。
「夜中にお腹の痛みでお子さんが暴れると点滴が外れるので、子供さんをしっかり見ていてください」
「暴れ出したら点滴が外れないようにしっかり押さえてください」
医師は母にそう伝え、帰っていった。

その日は夜中に何度かお腹の痛みが酷く暴れた。
その度に母は起き、私を押さえた。
母はベッドの隣で椅子に座ったまま眠っていた。

1週間は絶食だった。
点滴で必要な栄養は取れるから。
そう医師の説明があった。
2日目になって6人部屋に入った。
痛みが少しずつ引いていて、夜中に暴れるほどのことはないだろうとの判断でだった。
流石に何日もナースステーションの隣の処置室のようなところで過ごすことは出来ない。

医師は、夜中に痛みで暴れたりすると同じ部屋の子供たちを起こしたり不安にさせるからと個室を勧めたが、母はそれを断ったようだ。
初日に処置室のようなところで過ごしたのは、大部屋には入れられないと判断されたからだった。
こんな母親でごめんなさい。
心の中でそう思った。

6人部屋は、私より小さな子供ばかりだった。
小児喘息などの理由で入院していると聞いた。
そして、ひとりまたひとりと退院していった。
退院だと思っていたが、大学病院への転院だと母に聞かされた。
何となく複雑な気持ちのまま大部屋で過ごした。

1週間が過ぎ、個室へ移動になった。
個室とはいっても2人部屋だったが。
点滴も外れ、食事の許可も出た。

頑なに個室を拒んだ母が、どうして個室への移動を受け入れたのか疑問だった。
看護師は、小さい子ばかりだから騒がしいでしょ。
そう言ったが、私は全然気にもしていなかったのに。

疑問の残る個室への移動になった。






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