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結婚観。

ジューンブライドは、もはや死語なのだろうか。


結婚願望があった。
覚えている限りでは小学生の頃からあったと思う。
今あるかと問われたら、なんとも言えないが。

小学生で結婚することの何がわかるというわけではないが、好きな人と一緒に暮らす、そこに子供がいる。
そんな家庭を思い描いていた。
そんな結婚願望は、中学、高校と年齢が上がるにつれ、より強くなった。
家庭環境の影響も大きいかもしれない。

私の両親はお見合いで結婚したと聞いた。
どちらも戦争体験者なので、結婚した当時はきっとお見合いでの結婚が多かったと思う。
父とは、中学に上がるまで顔を合わせることが殆どなく、母も父とのことは何も話さないので、2人がお見合い後どのような生活を送ってきたかは知らない。
家にあったアルバムは、妹の七五三の時の写真までが残されていたので、妹が3歳までは普通の家族だったのだろうと思う。
父や母が、お互いをどう思っていたかはわからないが。

私は小学校を卒業するまで、夜9時には寝るよう母から厳しく言われていた。
父は帰りが遅く朝も早かったので、父の顔を見るのは給料日だけ。
その日だけは、父はどこにも寄らずに帰宅した。

それも、父の借金が発覚して一変する。
そして、両親は離婚。

小学3年から母に叩かれ怒鳴り続けられる日々だったので、自分は子供に優しくしよう、そう思っていた。
叱ることなく褒めて育てよう、子供と仲良く一緒に遊べるといいな。
そう思っていた。

結婚は早ければ早い方がいい。
高校を卒業したら直ぐにでも結婚したい。
そこまで結婚願望は大きくなっていた。

だが、中学では2度振られ、高校は実質男子校。
彼女すら出来ないまま18歳になり社会人となった。

結婚相談所的な所への登録も考えたが、入会金や会費の高さなどでやめた。
父の借金による電話対応や取り立て屋の相手を全て一人でしていたせいか、人だけじゃなくいろいろな物事も信じられなくなっていた。
結婚相談所的な所へも自ら話を聞きに行ったにも関わらず、説明してくれた人の話を信じられず、本当に女性を紹介してもらえるかも信じられなかった。

結婚したのは32歳だった。

2人で仲良く楽しく暮らしていければ、相手が仕事をしていてもしていなくても良かった。
相手が望まなければ、子供もいなくていいと思った。
自分の望みを押し付け相手に無理させるのは嫌だった。
それは、結婚願望が出来てから変わらなかった。

結婚生活は想像していたものとは大きくかけ離れたものになった。
体調の悪い妻を毎日心配し、出来る家事は全てやった。
そして、私は心を病んだ。

多分、母からの厳しい躾と父の借金への対応。
それが原因で元々弱かった心は折れかかっていたのだ。
いや、折れていたのかもしれない。
気付いていなかっただけで。
妻への対応と家事に育児。
妻が原因かは別にして、引き金になったのは確かだ。

妻とは喧嘩が耐えなくなった。
子供にも怒鳴り散らすようになった。
理想の家庭など、最初から築ける器ではなかったのだ。

妻と離婚し、もう直ぐ3年になる。
もはや結婚願望どころか理想の家庭など、どこかへ忘れ去られた。
現実世界を生きることは、想像以上に大変だ。
それを思い知らされただけだ。





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