Michiko Hayashi

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全ての部署に飛ばされた社員って、私ぐらいじゃね?

実は自分が変人であると言う自覚ができたのは最近のことである。今は、代理グランマとして子育て応援活動を仕事としているが、それは全て会社員時代の経験あってこそなのだ。 元々美大出身で新卒でキャラクター会社に入社。企画部にて、アイデアが枯渇しないノウハウを取得。その後、結婚出産を経て、フリーランスでしばし仕事を。おもちゃあり、雑貨あり、靴や鞄ありで子供を幼稚園に送り届けては、いろいろな会社を飛び回り、アイデアを形に企画を提案。実に多忙で刺激的な日々であった。 その後、結婚という

    • 好きの種

      私はシングルマザー。子供達はすでに自立している。経済的サポートもしていない。当たり前の様に、働いてきた。一番は、稼ぐ為だ。自分と子供達の生活の為に、お金が必要だった。しかし、今思うと結局、好きな事を続けてきたように思う。美大を卒業して、キャラクター会社に就職した。自分のアイデアを形にすることに夢中になった。 会社員として商品開発畑を歩きながら、やがて営業、管理、物流と経験することになる。そして全ての部署で、ジャンルに縛られることなく、アイデアを形にするプランニングこそが、自

      • のり巻きとお味噌汁

        出勤の朝。バスで駅に着いたら、娘が不安そうに駅前に、佇んでいた。私が近づくと泣き崩れて、立っているのがやっとだった。 タクシーを見つけ、すぐに彼女を連れて自宅に戻った。車内では声を出して泣いていた。私はただ彼女の肩を抱いて、そっと腕をさする。泣く事は、回復への助走であることを、私は知っていた。 家に着き、まずはお風呂をいれ、小さなキャンドルに火を灯した。暖かいお湯が彼女を優しく包むだろうと。 次は食事の準備。あり合わせで、のり巻きとほうれん草の胡麻和えを手早く作る。お豆

        • シャイな外人

          いつもランチすることが多い友人はフィリピンのIT女子。ランチタイムは英会話レッスンに自然となる。彼女は以前、英語を教えていた経験もあり、英語を交えていろいろ言ってくる。私もわからないなりに耳をたてて話しを聞く。でもお互い負担にならない程度。日本語と英語が交互に出てくる様な不思議な会話となる。話したいという気持ちには変わらないからね。 先週末、私は風邪が治らず、仕事を休み、3日ぶりに出社。彼女は嬉しそうに『道子が元気になったー』とニコニコ顔。実は彼女は娘と同じ年。しかし昨年、

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        • Chico Report
          1本

        記事

          軟派と硬派

          再びテニス部の話し。学生時代のテニス部では、3年になると、幹部というやつをやることになっていた。部長とキャプテンと会計。毎年、決定にもめるのだ。 1年の時から、同期の学年のテニス仲間は二派にきれいに分かれていた。一つは硬派。テニス一筋。脇目も振らず、ただ一生懸命に情熱をかけるガッツ部活派。また一つは、美大だったたけに、専攻がテキスタイルだったり、ファインアートだったりで、おしゃれで可愛い女子達のいわゆる軟派。彼女達のテニス部はどちらかというと、男子と楽しくゆるく活動する場所

          軟派と硬派

          モテキ

          学生時代、テニス部の女子キャプテン。高校からテニスを始めたので、結構うまい方。短いスコートをなびかせながら、真っ黒になってテニスばかりしていた。 それは、夏の合宿。私は後輩達を部屋に呼び出し、正座をさせた。きびしい顔で後輩達に合宿の進め方について説教。がしかし次の瞬間、『それで、いったい誰が好きなわけ?』と言い放つ私。後輩達は、きつねにつままれた風。実は小芝居をかました告白タイムだったのだ。テニス部の男子の中でだれが好きかを告白しなければいけないのだ。みんな、爆笑。そして照

          コウモリ

          小学校5年生の頃だったと思う。クラスの女子の中心的存在だったF子。ある日、みんなで放課後、遊ぶことになった。場所は、とある公園。クラスの中で少しおとなしい女の子も一緒に。しかし、本当の待ち合わせ場所は別だった。F子はそのおとなしい女の子にウソを言ったのだ。今でいういじめだった。 私はこっそり、そのおとなしい女の子に、その場所がウソである事を教えた。それもこっそり。昔からそんな自分の、どっち付かずが、あまり好きではなかった。ある日、読んだ絵本。コウモリが主人公。鳥にも動物にも

          父の声

          5月19日。今日は父の命日。家を整理して出てきた、父の好きな歌謡曲のカセット。父が喜ぶかもと思い、急いで、ラジカセを探し、父の遺影の横に置いた。 音楽が流れた瞬間に、悲しくなって、泣けてきた。カラオケが好きで、よく一人で部屋にこもって、練習していた。2階の書斎から流れる音楽と父の声。 気難しく、愛情表現が苦手な父と、本当に心から話したことがあっただろうか。今の私なら、父の苦労がわかるし、仕事や家族の事、たくさん話しができたのにね。 結婚生活で、私が一番きつかった頃、父は

          あおむし

          生き物が好きだった。小学校の頃。モンシロチョウの卵を集めて、虫かごに入れていた。ある日のぞくと、あおむしだらけ。うひゃーと思ったが、その中の一匹をセーターの胸のあたりに付けて、学校へ行っていた。お気に入りのあおむし。かわいいあおむし。 しかしある日。そのあおむしの身体からなにやらで出来た。ぎょぎょっ。なんとあおむしに寄生するハチの幼虫があおむしの身体を破って出てきたのだ。 わたしのかわいいともだち。わたしのあおむしは短い生涯を閉じたのだった。庭の角にお墓をつくり、墓標もた

          カクテル屋

          最終バスに乗りそびれた夜。8年ぶりにその店に入った。男前のマスターが変わらず、ひき締まった顔つきで、暖かく、迎えてくれた。しかし、女子一人でバーにはいるのは少し勇気がいる。けれど、マスターは、私のことを覚えてくれていた。あの頃と全く変わらないまなざし。そのもてなしの流儀ともいえる、プロの仕事ぶりに、毎回本当に、心うたれていたのだった。 26才の時に独立して、お店を立ち上げたと。それから30年。変わらず、貫いてきた想いとはどんなものだろう。店内に少し気持ちのよい緊張感があって

          カクテル屋

          大量のハンカチ

          まだ、渋谷の東横線がホームに何本も乗り入れていた、あの頃。私は渋谷から帰宅するため、電車に乗り込んだ。その時、目の前に立っていた中年の男性が、突然現れた若者に殴られた。流血。若者はすぐいなくなり、中年男性はすごい形相ですぐさま追いかける。ドラマの一駒の様な一瞬の事件。 しばらくすると中年男性が鼻を押さえながら戻ってきた。逃げられたのだ。事の成り行きを知っている乗客である私たちは何故か目撃者として彼を見守る。彼の鼻は血でまみれ見かねた乗客の一人がハンカチを差し出した。その瞬間

          大量のハンカチ

          魔法の帽子

          かなり前ですが、私の幼稚園は変わった所でした。自由学園の幼稚部『生活団』という所。当時はもちろん知らなかったけれど両親がプロテスタントだったからかキリスト教関連の幼稚園だったようです。 記憶があるのは、お昼寝タイム。自分印のサクランボの刺繍のあるシーツや枕カバーの寝具を自分でひいて、パジャマに着替えて脱いだ洋服は枕元にきちんとたたんで、お休みタイム。目覚める時間には先生がピアノをひいてくれる。私は熟睡してなかなか起きなかったとか。その時のお布団の感覚が今も。 その幼稚園で

          魔法の帽子