父の声

5月19日。今日は父の命日。家を整理して出てきた、父の好きな歌謡曲のカセット。父が喜ぶかもと思い、急いで、ラジカセを探し、父の遺影の横に置いた。

音楽が流れた瞬間に、悲しくなって、泣けてきた。カラオケが好きで、よく一人で部屋にこもって、練習していた。2階の書斎から流れる音楽と父の声。

気難しく、愛情表現が苦手な父と、本当に心から話したことがあっただろうか。今の私なら、父の苦労がわかるし、仕事や家族の事、たくさん話しができたのにね。

結婚生活で、私が一番きつかった頃、父は『道子なら大丈夫』と。いろいろなことを乗り越える力があると信じさせてくれた。

父は高校野球が好きだった。父の残した日記には、夏の高校野球の予定が書き込まれていた。その時にはもう父はいないのに。

今も、なつかしい歌謡曲が流れている。父の声が聞こえる様だ。父が残してくれたこの家。そこここに父の姿が、蘇る。家では無口な父だった。いつも長椅子に横になり、テレビを見ていた。

家族を養い、家を建て、定年まで働いた、サラリーマンの一生。平凡とも思える、なんの変哲もない一生に中にも、血と汗と物語がある事を、今になって知らされる。いろいろな経験を積んだ今だからこそ。『大変だったね。ありがとう』ってね。

父の他界後、二人の娘を連れて、出戻った家。ただただ、夢中だったけれど、娘たちも今は、それぞれの土地で、それぞれの未来に向かっている。

私がシングルマザーになった事を父は知らない。さぞや、父を落胆させていたに違いないが、今の私を知ったら、きっと理解してくれたと思う。ありのままに生きなさいと。

晩年、病床に伏した父は、『道子がいてくれてよかった』とじっと天井をみつめながら、つぶやいた。今もその意味がなんだったのか、ことあるごとに思い出す。

母を残して、さぞ心配だっただろう。少女の様な母は、父に守られて生きてきた。今、そんな母と一緒にごはんを食べたり、話し相手になっていると、『道子がいてくれてよかった』と、父の声が、聞こえてくる。

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