全ての部署に飛ばされた社員って、私ぐらいじゃね?

実は自分が変人であると言う自覚ができたのは最近のことである。今は、代理グランマとして子育て応援活動を仕事としているが、それは全て会社員時代の経験あってこそなのだ。

元々美大出身で新卒でキャラクター会社に入社。企画部にて、アイデアが枯渇しないノウハウを取得。その後、結婚出産を経て、フリーランスでしばし仕事を。おもちゃあり、雑貨あり、靴や鞄ありで子供を幼稚園に送り届けては、いろいろな会社を飛び回り、アイデアを形に企画を提案。実に多忙で刺激的な日々であった。

その後、結婚という船を降り、両手に子供達を抱えて、今の家に戻ってきた。子供達の転校手続きやら自分の就活やらで、その頃の記憶があまりない。

会社員生活の最後は、とある外資メーカー。外資だけに社長が次々と変わり、組織は変わり上司も変わりで、変化への対応力が身についた。

たまたま女性の社長になってから、なぜか企画部から営業部に配属が変わり、その後は人事部から埼玉にある通勤往復4時間の物量倉庫まで飛ばされた。

さすがに本社を離れる時は、親指を立てて「I will back!」と同僚に挨拶したものだ。1年後に、物流倉庫が閉鎖となり、本社に無事に戻ってきた。

最後は営業事務の中の返品の手入力の仕事に。残念ながら商品の返品は年々増えていった。私は入力担当ながら、企画、経理、営業、物流と返品との関係性を理解し、必要と思えるデータを分析し、各部へ情報を共有した。全ての部署に返品データは活かされた。

何より、全ての部署の体験でどのメンバーに何が必要かがわかっていたから、私が提案した情報共有は有効活用されていく。全ての部署で自分ができることが何か見えてくるのだ。

私はその経験を経て業種や部署の境界線がなくなっていく。全てはユーザーにむいているだけなのだという意識しかなかった。

しかし、年齢を重ねた今は、元々私自身にあまり境界線がないことに気がつく。つまり、年齢や性別、職業、地位や肩書など本当に気にせずに興味のアンテナが向くままに動いていくタイプだったんだと。

「おかあさんは外人みたいだ」と下の娘に言われた事がある。今も多くの子供達との接点があるが、目線はほぼ同じだ。誰もが対等にあるという感覚が常に自分の中にあった。

だから、地位がある人もない人にも普通に接する。そこが会社員としては失格だったのかもしれない。もちろん最低限の礼儀作法は身につけている。しかしながら人に媚びる事ができないのだ。何故なら人は生まれながらにして対等な存在だから。

そんな自分の本質との出会いによって、それまでの自分の怒涛の経験が腑に落ちた。なんだ、そうだったのか。しかし当時のいわゆる常識にはフィットしていなかった。

今となってみるとそんな境界線をむやみにひかないことで、飲食に興味があれば美術館のカフェで働かせてもらったり、好きなプールでの仕事をしたりとすぐに身体が動いた。だからか私の履歴書は脈略がない。

専門性を求める従来の仕事の在り方にも羨望はある。一筋にひとつの世界で生きてきた人には、他を選ばなかったと言ういさぎのいい諦めと強さがある。

しかし、境界線がない私の頭には、すでに職種さえ存在しない。今はもう珍しくもないいろいろな肩書を同時に持つ仕事のスタイルかもしれない。

同世代には決して理解されない。「何をなさっている方ですか?」と聞かれても「代理グランマプロジェクトです」と言う答えしかない。ある時はベビーシッター、ある時はプールのインストラクター、カルチャーの講師、家庭教師だったりで。

全ては子育て応援活動に繋がるのかなと今は思うが、それも少し違和感がある。まだまだこれからの自分がわからない。

しかしながら、会社員生活での波瀾万丈が、私に企画力を、営業力を、地味な作業での気力さえも与えてくれているのだ。

無駄な経験などないとよく耳にするけれど、会社員時代、まさに全ての部署を経験したお陰で、変化を好み順応しては学びの繰り返しを楽しむことができるのだ。会社にとっては困った社員だったことはいうまでもない。

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