コウモリ

小学校5年生の頃だったと思う。クラスの女子の中心的存在だったF子。ある日、みんなで放課後、遊ぶことになった。場所は、とある公園。クラスの中で少しおとなしい女の子も一緒に。しかし、本当の待ち合わせ場所は別だった。F子はそのおとなしい女の子にウソを言ったのだ。今でいういじめだった。

私はこっそり、そのおとなしい女の子に、その場所がウソである事を教えた。それもこっそり。昔からそんな自分の、どっち付かずが、あまり好きではなかった。ある日、読んだ絵本。コウモリが主人公。鳥にも動物にもなれないコウモリが、自分と重なった。

今、いい大人になったが、そのコウモリの部分は変わらずに自分の中に。軽いいじめを受けている人をほっておけない。それはまるでいい人の様だけれど。違う気がする。何だろう。自分の孤独を埋める様に、人を助けてしまう様な気がするのだ。そこに自分の存在価値を見いだしたいが為に。それってどうなんばろう。

コウモリの感覚は、遠くから見た自分の中の孤独かもしれないと。どちらにもいい顔をしてしまうずるさが見え隠れするのだ。幼い時からのそんな自分の内面に何があるのかわからなかったけれど、それは自分の中の問題で。結果として誰かがひどい目にあわなければそれでいいではないかと思える様になった。

だれかが書いていた。善と悪。生と死。表と裏。静と動。二つの世界を行ったり来たり。人とはそんなものだと。生きるとはそんなものだと。コウモリのままでいい。迷いながら、揺らぎながら、生きていくのだ。小学生だった私に、そのままでいいよとつぶやいた。


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