軟派と硬派

再びテニス部の話し。学生時代のテニス部では、3年になると、幹部というやつをやることになっていた。部長とキャプテンと会計。毎年、決定にもめるのだ。

1年の時から、同期の学年のテニス仲間は二派にきれいに分かれていた。一つは硬派。テニス一筋。脇目も振らず、ただ一生懸命に情熱をかけるガッツ部活派。また一つは、美大だったたけに、専攻がテキスタイルだったり、ファインアートだったりで、おしゃれで可愛い女子達のいわゆる軟派。彼女達のテニス部はどちらかというと、男子と楽しくゆるく活動する場所。ご想像の通り、硬派女子と軟派女子の間には、どこか超えられない溝があった。

幹部を決める時もやはり、硬派と軟派でもめたらしい。私には特に記憶はないのだけれど。その頃の私はどちらかというと硬派でガッツ部活派。しかし、軟派メンバーとも何故か楽しくやっていた。どちらつかずはいつものことだが。

大学卒業後、ずっと付き合いが続いていたのは、硬派ガッツ部活女子だった。しかし、私を筆頭に、ガッツ女子派は割と波瀾万丈の人生を送っていた。一人はバツイチ。また一人は籍を入れないスタンスで同棲を長いこと、続けていた。

ある時、一人のガッツ女子に、私が社会人学校に行こうと思う事を話した。彼女はこう言った。『そんな仲間は一時的なもの。やめといたらー』と。しかし。私はふみ出していた。もう決めたことだった。そうこうしている内に、彼女とは少しずつ疎遠になっていった。友人の新たな一歩にブレーキをかける人が果たして本当の友人か、私を悩ましていた。しかし、学生時代からの長い付き合いだった。同世代の友人も大切したかった。がしかし、しばらくして、彼女から離れていった。

今、当時軟派と思っていた女子達が、普通のいい奥様になり、子供や夫の世話に明け暮れていたりで、幸せな生活をしている。このギャップはなんだろうと。まじめに厳しくテニスをしていたメンバーとゆるーく楽しんでいたメンバーの何が違っていたのだろうかと。

今になってなんとなく、わかるのだ。それは『こうあるべき』とう考えに縛られていたのが硬派。これは価値観への許容性の問題かもしれない。自分以外の価値観を受け入れる余裕があるかどうかだった気がするのだ。楽しい部活があってもいのだと、今なら思えるのだ。厳しく、まじめなだけが正しくもないではないか。いろいろなあり方があってもいいのだと。軟派な彼女達は、はじめからわかっていたのかもしれない。

時間がたって、今の私はすっかり軟派に。なんでもありではないかと思える様になって、友人も環境も変化を遂げた。お互いを許し、笑い合える関係を続けることができれば、一番ではないかと。友達も親子も夫婦も。である。

堅かった頭が柔らかくなって、多くの人と出会い、変化する楽しさを学んでいる。来週は、その軟派な女子達と楽しい再会が待っている。


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