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瞑想は「無」になること…?無になるの正体を暴く!前編

瞑想って「無」になる事ですか?
と、よく質問をされます。

そんな時、私の答えは「無」になる。
とは、ちょっと違う。
半分そうで、半分そうじゃない。と思う。
と答えます。w

今回は、この「無」になること。
の正体を暴いていく、と共に、
私が思う「無」になる。ということとは、
ちょっと違う。と答えるのは何故か?について
前編・後編に渡り書いていきます。

本題の理解を深めるために、
瞑想の種類と共に、明確にしておきたいポイント
を抑えていくのが前編。

では、前編のはじまり。はじまり~♪

✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

あーあ、今日ミスをしちゃったなぁ…
あの時、あーしてれば良かった…
いゃ、あの時のアレが原因なのかも?
でも、今更気にしても…だけど……( -ㅂ-)ハァ…

明日のあの案件、大丈夫かな…
まだやれることあったっけ…
でも、資料見直しておいた方がいいかな?
でも、寝ないと…
って、全然眠れそうになぃ…(   ˙-˙   )

誰しも、経験があるコレらの事……

「過去」や「未来」に意識がある時、
自分のアタマの中では、
「考え、思考」 が働き始めます。
すると、
自動的にそもそもの課題から連想ゲームのように、
全く関係の無いことに繋げて、
感情まで呼び起こして、心が反応し始める…
しかも、ネガティブな方向にいきがちw

人は、「過去」に意識がある時、後悔が7割。
「未来」に意識がある時、不安が7割。

と言われています。

どうにか対処したいこの状態……

「過去」や「未来」に意識を向けず、
「考え」 からの連想ゲームを脱して、
「心が反応」しない状態にしたい。


このためには、どうしたら良いのか?……

☝️とは、逆なことをする。
「考え」の真逆は、「感じる」
「過去や未来」 ではなく、
「今、ココ」 に意識を向ける。
(現在ではなく、今ココですw ここについては、後述します。)

つまり、

「感じる」ことで 「今、ココ」に居続ける。
ことで、「心が反応」しない状態にする。

そうする事で、
後悔や不安、悩みやネガティブから
心が解かれる。

これが、瞑想でやりたい事の1つなのです。
(マインドフルネスもヨガもですがw)

前編にて、明確にしておきたいポイントは、2つ。
 「今、ココ」 とはなにか?
そして、瞑想の種類によって、
「今、ココ」 へのアプローチの仕方も違うので、
瞑想の種類と、今、ココへのアプローチの違い。
この2点をクリアにしていきます。


・「今、ココ」 とは?

過去と未来ときたら、通常現在ですが、
ココで言う、「今、ココ」は、
もっともっと瞬間のことを指します。

例えば…
料理をしていたら、包丁で指を切った瞬間…
「あ!イタっ!」
ってなりますょね?
この、「あ!イタっ!」 の瞬間が、まさに「今、ココ」 。

何かを思い出したり(過去)、想像したり(未来)は、
頭の中で考える、思考している。
でも、あ!イタっ!は、頭で考えているのではなく、
感じていること。

人は、考える事と感じる事を、
同タイミングではできません。

感じると考えるについては、コチラで詳しく👇
書いています。気になった方はどうぞ。

なので、まず 「今、ココ」 とは、
とても瞬間的な今
。なのを理解しておいて下さい。

そのポイントを抑えた上で、
瞑想の種類から、「今、ココ」 へのアプローチの違いを、見ていきましょう!

・瞑想の種類と「今、ココ」へのアプローチの違いについて…

【集中瞑想】

サマタ瞑想とも言われます。
仏教では、「止」の瞑想。

一点集中する対象を決めて、
その対象に意識を置き続ける
、ということをします。

呼吸に意識を起き続ける呼吸瞑想。
マントラを唱え続けるジャパ瞑想。
トラタクは、凝視するという意味、一点凝視をし続けます。有名なのは炎を見続けるという瞑想などなど、
サマタ瞑想としての方法は、40種類ほどある、
と言われています。

《サマタ瞑想のポイント》
集中対象を決めていても、対象に集中し続ける…
中々難しいものです。周りの音に意識が飛んでしまったり、勝手に湧いてくる雑念に意識が飛んでしまったり…
中々、そのものに集中し続けられない…
サマタを行っていると、よくよく起こることです。
集中対象以外に意識が飛んでしまったことに気づいたら、また集中対象に意識を戻してくる…
飛んだら、戻す。飛んだら、戻す。
慣れないうちは、この繰り返しかもしれません。
でも、徐々に対象に意識を起き続けられるようになります。

《サマタにおける 「今、ココ」へのアプローチの仕方》
対象に意識を向け、集中し続けることで、
過去や未来に意識が飛ぶ事なく、思考を働かせず、
「今、ココ」に居続ける。
ということをしているのが、サマタ瞑想
なワケです。

【気づきの瞑想】

気づきの瞑想は、ヴィパッサナー瞑想、
仏教では、「観」の瞑想。と言われます。

前回、ヴィパッサナー瞑想について説明をしているので、そこを引用します。👇

ヴィパッサナーとは…
パーリ語(昔々の仏教で使われた言葉)で、
vi ヴィとは「ありのままに・明瞭に・客観的に」、passanā パッサナーとは「観察する・観る・心の目で見る」という意味です。

軸となる対象はあるものの、他に意識が飛んだら
それを捕まえる。サマタ瞑想と違うポイントは、意識が飛んだ先から、意識を対象に戻してくるということはしません。
絶えず飛び続ける意識を「追い続ける」。
勝手に飛んでいく意識を、観察し続ける、気づき続ける。
あ。ココに飛んだな。次はココ。と言うように…
軸となる対象→飛んだ先に気づく→飛んだ先気づく→飛んだ先に気づく……を繰り返し行う。ということをします。
どういうことか…
瞑想でよく聞く、雑念。てありますよね?
瞑想する時に、頭の中を静かにしたいのに、次から次に止めどもなく色んな事(=雑念)浮かんできたり、集中する対象ではないものに意識が飛んで、中々集中出来ない…ってことがよく起こります。

故に雑念は、邪魔なものだ。と言われるのですが、
ヴィパッサナー瞑想では、
この浮かんでくる色んなことも邪魔モノとせず、集中する対象ではないものに意識が飛んだとしても、集中対象に戻そうとせず、この次から次に止めどもなく浮かんでくることに、気づき続けたい・捕まえ続けたいんです。

https://note.com/chieyogamindfull/n/n643c6fbe939d

坐って行うヴィパッサナー瞑想もありますが、
よくヴィパッサナー瞑想法として挙げられるのが、
歩行瞑想。
個人的には、
食瞑想もヴィパッサナー瞑想を理解する上では、
よく使う手法です。

《ヴィパッサナー瞑想のポイント》
意識が飛んだ先を「捕まえる」と言えども、
過去や未来に飛んで、思考し続けることをしたい訳では
ありません。

人の意識は、観察していくと止めどもなく、
瞬間、瞬間で色んな所に飛び、
色んなことを感じています。
人は、それを無意識に流しているのが常。
ヴィパッサナー瞑想では、
無意識に流してしまうことをせず、
あえて意識が飛んだ瞬間に、
感じたことを、そのまま捕まえる。
瞬間的に移動していくので、
今、今、今、今、今……
気づく、気づく、気づく、気づく……
を繰り返しになるワケです。

だから、意識はとてつもなく忙しい。
こんなに意識が忙しかったら、
思考が働き始める隙すらない。

つまり…

《ヴィパッサナー瞑想における「今、ココ」へのアプローチ》
意識は対象に固定せす、
「今、ココ」 を「感じ続ける」ことで、
思考が働く隙を与えない。
という事をしているのがヴィパッサナー瞑想
なワケです。

マインドフルネスも、ヴィパッサナー瞑想の延長上に、あるので、やり方は一緒です。

「今、ココ」という「ゴール」は一緒だけれど、
アプローチ方法は、サマタとヴィパッサナーでは違いがクリアになったでしょうか?

さて、この前置きがあった上で、
「無」 になる件と、どう繋がるのか?

後編へ続く……w

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