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子育てをむずかしくするもの

先日、母と話していて、何だかとても胸にグッとくることがあった。

その日は午後からオンラインで抱っこ法の講座があって、わたしもスタッフで参加する予定だった。
朝食後、お茶を飲んでいると、母が「今日もお勉強なの?大変だね」と言ってきて、「でも、子育てのことを勉強できるなんて羨ましい」と続けた。「お母さんも教えてもらいたかったよ」と。

以前、わたしがまだ母をとても責めていた頃は、母にこんな柔らかさはなかった。
わたしが、昔お母さんにこうされて嫌だった辛かった、みたいに、母に文句を言っても、「そんなことしてない」とか「あんたの被害妄想だ」とか「そんなこといつまでも気にしてる方がおかしい」とか、そんな言葉が返ってきて、言わなければよかったと後悔し、ひと言「ごめんね」って言ってくれるだけでいいのに…とますます苦しい気持ちになった。

それが、わたし自身の癒しが進んで、母への恨みや責める気持ちがゆるむとともに、母自身もゆるむものがあったのか、自らの子育てをフラットに振り返るようになったらしい。

「お母さんも、子育てのこと、教えてもらいたかったよ」そう話す母は穏やかで、安心して聴いていられた。
「後悔ばっかりだよ。厳しすぎたよね、ごめんね」こんな風に謝ってくれるのも初めてじゃなくて、ここ数年は思い出すだびに言ってくれるようになっている。以前の母からは考えれないことだ。
「一生懸命やっていたつもりだったけど、大事なことをわかってなかったんだよね…」何かを思い出しているように、ゆっくりと話す母は、でも自分を責めている感じはなくて、ただ事実を話しているような感じだった。

「子育てで、どんなことが大変だった?難しかったことってどんなこと?」
ふと訊いてみたくなった。
母はしばらく考えてから、「うーん、人とくらべちゃうことかなぁ。よそのお母さんと自分をくらべたり、我が子をよその子とくらべて、自分の子育てはダメだって、自分を責めて、それが辛かったねぇ」と答えた。
わたしはちょっと驚いた。昔だったら、「子どもが言うこと聞かなくてイライラした」とか「思い通りにならなくて、大変だった」とか、そんなことを言われたように思う。
「人とくらべてしまう」とか「自分を責めてしまう」という大変さは、だいぶ根っこに近いところにある大変さだと思う。深く内省してきた母のプロセスを感じた。

「勉強勉強って言って、いっつも怒ってたよね。悪い成績は許せなくてねぇ。本当に良くなかったって思ってる」母はそんな風に続けて、「子どもの成績が良いと、子育てがうまく行ってる感じがして、そこにこだわってたんだよね」「もっと大事なことがあったのにね」と言った。
小中学校の頃、テストの点が悪かった時に「絶対許してもらえない」と思った恐怖や、大学に通えなくなった時、母が絶望したように言った「子育て失敗した」が蘇る。わたしも随分追い詰められた。子どもを追い詰めてしまうほどに、親に大きなプレッシャーがかかっているって、想像すると苦しい気持ちになる。
「子どもの失敗=子育ての失敗」って感じてしまうことって、あるよね。そうじゃないのにね。。。

母が、子育てをむずかしくしていたと感じるもの。
「くらべてしまうこと」「自分を責めてしまうこと」
そんな苦しさに困っている人は多いのではないかしら。
かく言うわたしも、ごく自然に、反応的に、くらべたり責めたりしていることが、よくある。
そのたびに、「くらべる必要なんてないよね」「責めなくていいよね。つい責めちゃうけどね」って、思い直して、フラットな在り方をとり戻す。

子育てをむずかしくするものは、いろいろあるけれど、一番根っこにあって、それでいて、むずかしさをゆるめやすいのは、自分の心に起きること(気持ち)について知ることだと思う。
自分の気持ちに気づくこと。その上で、ほんとうはどうしたいのかを選び直すこと。
それができるようになると、子育てはうんと楽になっていく。

「勉強なんかより、もっと大事なものがあったのにね…」と振り返る母が続けた言葉。
「大事なのは人間性だよね。それがわかっていたらなぁ。。いつも自信持っていられたのに。本当にいい子たちだったんだから」…
もう!泣いちゃうじゃないか。





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