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スクールカースト制度は時に個性を奪う

私は幼少期から、絵を描くことが大好きだった。

小学校に入ると、漫画好きないとこに触発され、漫画ばかり読んだ。読むだけでは足らず、お気に入りのシーンを写し描き、時にオリジナルでイラストを描いた。
周りの友人もみんな漫画が好きだったので「ちえちゃんの絵かわいい!」ともてはやされた。次はあのイラストを描いて、などとリクエストが募り、(もちろん無償だが)私の写し絵は飛ぶように売れた。
学年が終わる際、毎年クラスで作成される「クラス文集」なるものがあり、私はいつも「絵が上手な人ランキング」にランクインしていた。
得意げになった私は、もっと喜ばれたいと、暇さえあれば絵の練習をした。将来は漫画家になろう、いやそれ以外ないだろうと、疑いもなく思っていた。進研ゼミのポイントがたまると選べるプレゼントで漫画家セットを貰い、それはそれは興奮したことも覚えている。

しかし、私のこんなにも大きな「好き」と膨らんだ夢は、中学に入った途端自らで捨ててしまう結果となった。


マジョリティのつくる虚構の常識

私の通う中学は、上下関係が非常に厳しかった。スカートを少し短くしようものなら、先生より先に先輩になぶられる。「目が生意気なんだよ」と言いがかりをうけ、ボコられてしまった友人もいた。
先輩が目の前を通る際は、誰であろうとお辞儀とあいさつをした。先輩が5人一気に通りがかるなら、「こんにちは~こんにちは~こんにちは~・・」と5連続で頭を下げる。端から見ると、「水飲み鳥」のようで滑稽な光景だ。

それと同列に、スクールカースト制度が強く根付いていた。「こういう制度になってるんで!」と誰かが声高に示したわけではなく、暗黙の了解だった。
大きく分けると、「イケイケ軍」と「オタク軍」と2極に分かれる。当然ながら、前者が学年を牛耳っているため、前者に認められない人は全て後者として扱われるわけだ。

「イケイケ軍」は主に、野球部、男女ハンドボール部(ハンドボールが強い学校だったので)、男女サッカー部、女子バレー部、女子バスケ部で構成されていた。中学1年の頃はまだカースト制度に気付いてなかったのか、小学校の頃と同じようにクラス全員で仲良くやっていたが、中学2年からは、1年の頃仲良くしていた子たちの間で少し溝が出来ていた。
目が悪くメガネをかけていて、漫画が好きで、テニス部に所属していた私は必然的に「オタク軍」として見られていたのだった。

「イケイケ軍」の中には、小学校の頃頻繁にあそんでいた子、一緒に絵を描いたりもしていた子、漫画が好きだった子も多く含まれていたが、みんなそれを隠すようになっていた。自然と「恥ずかしいこと」として蓋をするようになっていた。

単純に、仲良くしていた子たちとの間に何か見えない壁が急にそびえ立ってしまったような気がして、哀しくなった。

見栄なのか、見下されたようでプライドが許さなかったのか、なぜ頑なに「オタク軍」にはまったままではいけないと思っていたのか、分かっていない。ただただ、「イケイケ軍」に所属している側が勝ち組なのだと、こちら側が「普通」なのだと、彼らが作り上げた虚構の常識に流されてしまったのだと思う。
現在の年頃で言うと、「いい歳なんだからはやく結婚しなければ」「結婚して幸せになりたい」と、「結婚適齢期」に結婚するのが賢明だと焦らされてしまう風潮によく似ていると思う。
「とんだおかしな常識だ」と今なら鼻で笑えるが、渦中にいるとそうやって蹴散らす余裕もなかった。所属する社会集団の流れに、ついていかなければ置いて行かれるのだと、自分が「何者」であるか、なるべく良いレッテル貼りをされなければと、臆病風にふかれていた。

こうして私は、”偽りの自分”を纏うようになっていった。


自己否定という自傷

依然として「オタク軍」所属だったが、気を付けた甲斐あってか、最下層に位置付けられることは免れていた。

運動は不得意、勉強はそこそこ。自分のアイデンティティといえるものを失った私は、拠り所をなくしていた。一体こんな私のどこにいいところがあるのかと、コンプレックスが増えていった。リストカット繰り返す人のように、一度自分を傷つけた刃を止めることができなくなっていた。

くせ毛な髪が嫌い、走ると遅い足が嫌い、眼鏡をすると一層頼りなさげに見えるたれ目な顔が嫌い。自分のすべてがダサく感じた。

多感な時期なので、恋もした。「イケイケ軍」の女子たちは自信満々にあの人が好きだとかこの人が好きだとか、声高々に宣誓していた。まるで「あの人は私が好きなんだから、誰も横取りしないように」とけん制されているように思えた。なるべく、彼女たちが好きになりそうな人を好きにならない努力もしたし、もし好きになっても気持ちに気付かないフリもした。はじめから、負け戦だと思い込んでいた。

自尊感情ズタズタなまま、中学校生活が終わりにさしかかった。
徒歩10分以内に中学で人気の高校があったが、この中学からの進学者が少ない学校を選ぼうと、もうひと歩き(といっても徒歩30分ほど)要して、さらにもうひとつレベルの高い高校を目指すことにした。
私を知らない人たちの中で、やり直したい。自尊感情を立て直すべく、必死に受験勉強に取り組んだ。


内の常識、外の非常識

なんとか希望の高校に合格した私は、えらく張り切っていた。
春休みの内にコンタクトに変え、頑張って肩まで伸ばしたくせ毛を縮毛矯正し、眉毛も細く整えた。外見のコンプレックスをすべて補い、どこからどう見ても陰キャではない姿ができあがった。
これでスクールカーストの上層に入れてもらおう!自由に恋をしよう!絵にかいたようなJKライフを夢見て、いざ、と高校へ入学した。

結果、周囲の反応は上々だった。友達もたくさんできたし、すぐに彼氏もできた。だがひとつだけ違和感があった。
どうやらこの高校にはカースト制度が存在しないようだった。

中学では所謂「オタク軍」だっただろうと思う容姿の子も、昔から陽キャだったんだろうなと思う子も、みんな分け隔てなく仲良くしていた。
嫌悪の目つきも、マウントをとる人も、いなかった。張り切って入ってきた私だったが、拍子抜けしてしまった。

よくよく話を聞いてみると、私の中学の制度は、比較的過激だったようだった。他の中学は、そこまで激しく二極化はしていなかったらしい。突き付けられた未踏の「常識」に戸惑ってしまった。

高校には、活発でフレンドリーでみんなに好かれ、学年を取りまとめるような存在の女の子がいたが、その子は「絵を描くのが好き」な子だった。
私の通った中学では虐げられたような特技を、惜しみなく発揮して、周囲にも「イラストレーターになりたい」と公言していた。彼女のことが眩しくて仕方がなかった。

ーーそうだ。本当は私もこうなりたかったんだ。
自分の素直な気持ちを受け入れるのに、少し時間がかかった。
受け入れられるようになってから、穴を開けられてしまった可哀そうな自尊感情へ、粗雑に「偽り」という応急処置がほどこされている自分に気が付いた。


小さな「社会」に所属している自覚をもつこと

「好き」を失った私の日常は虚しかった。
というより、偽った日常という方が正しいのか。

「偽りの私」に引き寄せられた友人たち。同じく「偽りの私」に惹かれた恋人。私が本当に好きなものを、知る人はだれ一人としていない。今更になって告白するというのもなという気持ちと、一度蓋をして奥の方へしまってしまった「好き」を、どうやって取り出せばいいのか分からなかったこともあり、私は偽りであり続けた。
褒められても、好きだと言われても、その言葉は私には届かず、目の前を通り過ぎていくような気がした。味のしないガムを噛み続けているような気持ちだった。
応急処置をほどこしたつもりだったのに、心の穴はちっとも埋まってはいなかった。


私も27歳になった。
最近は、あれやこれやと手を出し過ぎて器用貧乏になっているのが悩みだ。そろそろ一本に絞って手に職をつけたいが、ズバ抜けて得意なことや好きなことは見つかっていない。

「あの頃、何者にも流されなければよかった」と心底思う。
描き続けていたら、今頃は画力も相当上がっていたかもしれない。空白の数十年を経てなお、私の絵の進化は小学生で止まったままだ。

今更ではあるが、これを機にしまい込んだ「好き」を掘り起こしてみようかなとも考えている。こどもの頃と違い、仕事となると認めてもらえるレベルがうんと引き上げられるので、自信をつけるまで長い道のりになりそうだ。

結局のところ何が言いたいかというと、私の暗い過去を長々と述べたかっただけではない。

私が過度に協調を重んじるばかりに起こったことのように思ってはいたが、聞くところによると、スクールカーストの下層にいたという人たちの多くは、自尊感情を損なってしまっている人が多い。

自分とは異質なものを遠ざけようとするのも、集団の中で序列が存在するのも、自然なはたらきかけかもしれない。ただ、自分に理解のできないものであるからと、否定だけはしないでほしい。

テストの結果などのように、自分の努力や惰性が表に出て評価されるのではなく、生まれ持った感情や容姿や性質を否定され区別されるのは、いたく哀しいものだ。

そして今まさにアイデンティティの危機にさらされ揺れているような人がいたら、「流されてもいいことなんかない」と伝えておきたい。
内での常識が、外では非常識であったりもする。いま周りの人に認めてもらえないのであれば、一歩外に出てみるのもいいかもしれない。

クラス、学校、部活、会社。一見小さな社会集団のように見えるが、外を知る機会がなければそれが全てだと思ってしまう。所属する「社会」の常識を必死に模倣するだけでは、視野は広がらないし、その社会から出た時に自分に何も残っていないことを痛感することになる。

今はSNSが普及したことで、世界を広く捉え、仲間をみつけやすくなったと思う。

自分の「好き」に忠実に、生き辛さを抱える人が増えないよう願います。



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