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妹のようにかわいい部下たち

かねてから「部下を持つプレッシャーには到底耐えられない」と思っていた私に部下ができたのは、復職から2年経った時でした。

まだ双極性障害と診断されていなかったものの、抑うつ状態で1年以上休職していた私に部下をつける?とんでもない話です。この部署に異動する時の面接で「休職明けなのであまり荷の重いことはしないよう主治医に言われている」と予防線を張っておいたのに。

「体調も万全ではないですし…」こんな時の言い方はとってもむずかしい。あまりに病気アピールをしてしまうとクビになりそうだし、安請け合いしたらすぐに詰んでしまう。私は大抵、病名は口にせず「体調が良くない」とか「体力が続かない」と言っていました(本当に差し迫ったときに病名を切り出したのですが)。

「千田さん、やるしかないのよ」職務を兼任していた上司が3つ目のポジションを兼務しなければいけなくなり、組織運営上無理があるので私がひとつのチームを見ることになったのです。周囲のチームメンバーに、管理職は他に1人もいませんでした。

主治医に相談する余地はないとその場で覚悟を決めました。しばらくの間はなるべく上司に業務をやってもらうこと、年内は昇格せず同じ職位のままにしてもらうことを約束して、私はチームリーダーをやることにしたのです。病み上がりの私が昇格するのはプレッシャーが大きすぎました。

それから2年半、途中に部下の異動がありましたが私は2-3人の部下を持ちました。いずれも30代で私の妹よりちょっと下の年齢です。みんな修士や博士を取っていて、専門学校しか出ていないが上に立っていいのかな…と躊躇しましたが、彼女たちのビジネススキルは成長途上といった感じだったので、私に教えられることもありました。

私たちは週に1回チーム会議をすることにしました。メンバーの進捗を確認しつつ、上司から降りてきた連絡や課題を共有します。私が説明をすると、部下たちが素直な目で私を注視し話を聞いてくれます。日々の業務でも、色々な業務をするにあたって迷うことがあると相談にきてくれます。

なんてかわいいんだろう。すでに子育て中の人も多かったのに、私は彼女たちに対してそう思いました。彼女たちのためならなんだってする。心から自然に湧き出るそんな思いに私は驚きました。私には子供がいないのでわかりませんが、子供を愛おしむ母親の気持ちはこんなものなのでしょうか?まるで実の妹のようにかわいく感じたのです。

部下を持たなかったら、自分がこんな気持ちを抱くことに気づけなかった。それだけでも部下を持たせてもらって良かったと思いました。

今振り返るとチームリーダーをしていた時期は、いつも気持ちが張り詰めていました。自分1人のことだったらなんでも許しがちな私ですが、部下にも影響が及ぶと思うと毅然とした態度を取らないといけません。他部署と利害が一致しない場合は気持ちを強く持った交渉も必要です。

そして毎日毎日様々な承認業務に追われます。文書のレビューを依頼されても「大学院で学んだあなたに分からないことが私にわかるわけないじゃん」とも言えず、必死であれこれ調べながら目を通しました。キャッチアップすべき知識が常に追いかけてきます。

そんなこんなで半年経つ頃には頭が全く機能しなくなり、2回目の休職を迎えました。しばらくぼんやりしていましたが、主治医に勧められて外部のリワークに通いました。しかし、そこに集まった人たちとカルチャーの違いを感じた私は次第に会社が恋しくなり、「お願いだからもうリワークはやめて社に戻してください」と懇願して3カ月程で復職しました。いつものメンバーの元に戻ったとき、本当にほっとしました。

その後再び仕事に注力した私は双極性障害と診断され、リストラされ、部下との仕事は2年強で終わりました。でもこの間に学んだことの大きさは計り知れません。今は部下はいないものの、部署の人事関連の問題についてはいつも上司から相談を受けて一緒に考えていますし、最近では外部採用の書類選考と一次面接も担うようになりました。組織の中で社員を評価する視点を身に着けたことは大きな財産になったのです。

どんな短期間であっても、大した成果が残せなくても、新しい仕事をすることは確実に自分の糧になり、思いがけない形でその後の仕事に生かすことができます。そして、人とのコミュニケーションは自分の知らない自分に気づかせてくれることがあります。かわいい部下たちとの日々から私はそんなことを学びました。

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