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先生、診断名をつけてください ~私が双極性障害になったとき

主治医が許可してくれたからと言って、復職後2か月で海外に観光旅行へ行くのはちょっと元気がよすぎではないか。一般的なうつ状態の復職者としては活動的すぎる。

帰国後の私は与えられた課題に粛々と向かい合った。営業部門を縮小しても当局の規制要件に合う活動をするために業務手順や社内ルールを見直し、新しいフローを作成して当局に交渉していた。

私は「誰にもノウハウがないが誰かがやらなければならない」新しい業務をするのが割と得意だった。頭に色々なアイデアが浮かぶ。協力を仰ぐべき色々な部署の人に会いに行く。

既に初めての休職から4年以上睡眠薬を飲み続けていたが、寝る前になってもアイデアが浮かんでよく眠れなくなってきた。そんな私に主治医はリチウムの処方を開始した。

リチウム。ご存じであろうか、双極性障害の超古典的な治療薬である。かねてから双極性障害に処方する別の薬も飲んでいた私に主治医は「うつ状態にも使う薬だから」と説明していた。しかしリチウムは決定的だ。いよいよ双極性障害か…ショックを受ける私に、主治医はそれでも「双極性障害というわけじゃない」と言った。

恐らく主治医は、私が病名に囚われるのを避けたかったのだろう。目の前の症状を一つずつ治すことを大切にしたかったのだと思う。

双極性障害はいわゆる躁うつ病。活動的になる軽躁状態と気分が落ち込むうつ状態を繰り返す病気だ。今のところ原因は不明で完治はせず、一生薬を飲み続ける。「うつは心の風邪」「誰にでもうつっぽくなる時期はある」というのとは一線を画した、後戻りできない精神疾患というのが私のイメージだった。

軽躁のときは頭の回転が早くなる。よいアイデアがぽんぽん浮かんで多弁になる。リチウムはそんな躁状態を抑える薬だった。今まで自分に能力があると思えていたエピソードはすべて病気だったのだろうか。リチウムで躁状態を押さえたら、私はもう何の能力も発揮できなくなるのだろうか。そんな恐れが私を襲った。

薬を飲み始めるとこれがよく効いて、夜中にアイデアが浮かばなくなった。薬が効くということはやはり病的な躁状態なんだ、診断の有無に関係なく私は異常なんだ、と思うと体調は落ち着いたのに辛くて涙が出た。

しかし、新フロー開始にはまだ準備が必要で、それとは別に新システム導入に伴ったトラブルシューティングにもあたっていた。苦手なシステムに向かい合いつつ、何人もの営業本部長に面談を申し込んではクレームをつけられる日々を重ね、私はとうとうベッドから起きられなくなった。気分的なものではなく、物理的に寝た姿勢から上体を起こすのが辛いのだ。お風呂場で椅子に座っているのも辛く浴室の床に座ってシャワーを浴びた。今はやりの「風呂キャンセル界隈」の住人である。

社外面談を予定していたある日、私は移動中の電車内で具合が悪くなり、上司に任せて自分は帰宅しそのまま数日休んだ。週が明けて出社すると部下のひとりが退職すると言う。数日後には当局の査察も迫っている。刺激があればあるほど頭が回転して眠れなくなる。私にはもう手いっぱいだった。「うつ状態で体調が悪い」では伝えきれない具合の悪さがあった。

「先生、診断名をつけてください。このままでは上司に私の辛さは伝えきれません」私は主治医に懇願し、そこでようやく双極性障害だと診断してもらった。

よし、ここが正念場だ。退路を断って交渉しよう。
私は上司と面談を持った。「双極性障害と診断されました。このままの働き方はできません。辞めるか異動するか今のまま働き方を変えるかしないと体がもちません」もし精神障害者は雇用できないというのが会社の方針なら腹を括ろうと思った。でも心の片隅では、上司とは十分信頼関係を結べているからひどいことは言われないだろうという読みもあった。

上司は私の話を黙って聞いた後に、「それで、どういうことがきっかけで躁状態になるの?」と尋ねた。医学的知識があり冷静な上司だが、私の想像をはるかに上回る建設的な質問だった。そこには疾患への偏見や私への同情はなく、純粋に対処法のみを考える姿があった。

「一番悪いのは徹夜と言われていて、一晩で躁転することもあるそうです。ですので残業は控えたいんです」私はそう切り出すことができ、業務のいくつかを上司に代わってもらうことになった。

そこをきっかけとして、私は双極性障害患者として暮らすようになった。それから5年半が経つけれど、私はもう休職はしていない。どうしようもない体調不良が1-2カ月続くことがあっても在宅勤務でやり過ごしている。異動をして部下はいなくなったものの、部員のメンタルサポートや採用面接をしている。歩みは遅くなったけれども、キャリアを閉ざさず地道に前に進められている。

あの時双極性障害と診断してもらってよかった。何よりも自尊心が向上した。飽きっぽくてこの道一筋と打ち込めるものがなく、思いついたことをぺらぺら喋りがちで、刺激に弱くてすぐに体調を崩して寝込みがちで…そんな自分を責め続けてきたが、病気のせいと分かり気が楽になった。

「薬を飲んで躁を抑えたら私の能力はなくなってしまうのでは」という恐れも杞憂だった。確かにアイデアが冴えてヒットしまくる…ということはなくなった(当時は「自分達がこう言えば相手はこういう態度に出る」という読みが次々と当たっていた)。しかし自分がそれまで築いた論理的思考の道筋や判断力、物事を捉える角度などはそのままだった。自分の本質的なアイデンティティは薬を飲んでも変わらないように感じている。

というよりも、病を得ていることもアイデンティティなのだと今は思う。自分の周囲には華々しいキャリアの階段を上っていく社員がたくさんいて眩しさに目がくらみそうになる。でも、躁転せずにどこまで新しい景色を見ることができるのか、私は地道に探っていきたいと思っている。

#双極性障害 #躁鬱 #キャリア #ビジネス #メンタルヘルス #休職 #復職 #風呂キャンセル界隈


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